SPAC高校演劇フェスティバル第1週が終了しました。別役実さんの戯曲を課題として設定し、静岡県立静岡東高等学校演劇部『マッチ売りの少女』を、常葉学園菊川高等学校演劇部『堕天使』を上演してくれました。

『マッチ売りの少女』は、うちの俳優の貴島さんの徹底指導のおかげで、SPACの方法論が非常によい形で消化された、大変クオリティの高い仕上がりだったと思います。敗戦後の荒廃の記憶を封印しようとするブルジョア家庭に、トラウマが回復するかのごとく襲来する姉と弟。この、日本の戦後史を凝縮したような傑作戯曲を、俳優の演技ただひとつを武器としながら、それでいて重厚な世界へと立体化していた点に、静岡東の成長を見ました。このチームに『マッチ売りの少女』をやらせてあげてよかったです。

『堕天使』は、なかなかプロでもうまく見せることの難しい戯曲ですが、サスペンスを成立させる持続力を3人の俳優たちがキープしており、また6人のコロスがそれを支え、出口のない迷路をさまよった果てに死へと漸近する人々の哀愁を表現できていて、正直最初は静岡東と並べるのはきついかな?と思っていたのですが、なかなかどうして、本番ではきちんと拮抗できていたと感じました。屹立する装置をモニュメントに見立てた解釈がよかったんじゃないでしょうか。

ところで私は、20歳前後の頃は、例えば遊◎機械全自動シアターの『僕の時間の深呼吸』に感動して、もういっぺん観たくなったもののお金がなくて、意味もなく青山円形劇場の外をうろうろしたりとか、なんかそういうふうに芝居に心動かされたことが幾度もありましたが(そして演劇より以上に、ウィリアム・フォーサイスとピナ・バウシュのおかげで、物の見方が変わった気までしましたが)、舞台を仕事としてからはすっかりそんなことはなくなって、うまいなあとか下手だなあとか、技術的なところにしか目がいかなくなっておりまして。でも、高校生の芝居だけは例外ですね。このあいだの関東大会でも「演劇って面白い!」と素直に感じてしまいましたし、このSPAC高校演劇フェスティバルの場合は、各演劇部の稽古過程につきあっているのでなおのこと、高校生諸君のお芝居に心奪われてしまうのです。昨年の三島由紀夫『近代能楽集』のときもそうでした。一緒に打ち上げで飲みながら、あそこがよかった、ここが惜しかった、なんて語り合いたい感じです。まあ高校生だから飲めないわけですけど。つまんねえな(笑)。

なぜかと考えるに、彼らのお芝居には邪気がないからでしょうな。これが大学や専門学校の発表会となると、芸能界に食い込みたい若者たちの、自己顕示欲むきだしの「ボクを見てアタシを見て」大会になっちゃうので、正直見ていて気分が悪くなってくるんですが、高校生は純粋に芝居の中身に集中していますからね。あの懸命な感じが作品の内容にマッチしたときは、目前の舞台上に異世界が出現するんで、やっぱり感動させられます。私自身ティーンエイジャーとの芝居作りが専門みたいになっているわけですけど、じゃあオトナを使って、あるいはプロを使ってあの感じを出せるのかどうかが、今の私にはよくわからないのです。これからの課題ですわ。

来週は、関東大会にも出場した静岡市立商業高等学校演劇部『黄色いパラソルと黒いコーモリ傘』に、静岡県立富岳館高等学校演劇部が菊川と同じ『堕天使』に挑戦します。市商の公演は、大岡組でもおなじみ綾乃ちゃんとアンジー君の、高校生活最後の舞台となります。両校とも大変に力のあるチームですから、ぜひ観てやって下さい。