演劇の形式化はサミュエル・ベケットに極まっており、このミニマリズムに触れてしまうと「ベケット以降」がありうるかどうかすらよくわからなくなる。音楽は調性を放棄し、絵画は遠近法を放棄し、演劇は物語を放棄し、ミメーシスの原理から離脱した。それが20世紀芸術のモダニズムであり、この転回の歴史的意義については20年ほど前に『MUNKS』誌上で私論を発表したことがあるけれども、大局的に見ればここで「芸術」が終焉を迎えたという感じはぬぐえない。そして日本演劇界では、このモダニズム=形式化を徹底したのは、1990年代における絶対演劇派であり、劇団解体社であり、彼らほど徹底はしていなかったが、私が主宰していた商品劇場であったかと思う。これらと比べると、これ以降の演劇はすべて形式化からの後退に過ぎない。

 ところで柄谷行人は、形式化の徹底によって体系の自己矛盾を暴露し、「外部」あるいは「他者」へと至る道筋を切り開いたが、そこで参照されたのはペーター・ハントケが脚本を担当した、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ベルリン・天使の詩』であった。この映画では、高みからこの世を見下ろしていた天使が、永遠の生命を失って人間となる。これに対応してモノクロームの映像は後半でカラーに転ずる。確かにこの映画のロマンティシズムには胸を打たれるものがあったが、あの『カスパー・ハウザー』の作者として知られる言語実験の旗手ハントケが、転回を遂げた後の作品がこれであるとは、いったいどういうことなのか。はたして柄谷の言う「外部」「他者」とは、このように疎外論的なヒューマニズム(以外の何であろうか!)によって表象されて然るべきものなのか。そうではなく、形式化の徹底によって自己言及的な構造が暴かれた後に見出されるべきなのは、物象化論的なポスト・ヒューマニズムではないのか。「人間」という幻想を棄却することで浮かび上がる、唯物論的な関係性の網目ではないのか。

 例えばベルトルト・ブレヒトは、「人間」ドラマを媒介としながら、ネガのように「人間」不在のメカニズムを暴露しようとしたのに対し、ハイナー・ミュラーは「人間」不在の風景を、カタストロフィックなイメージによって直接的に描こうとした。ひょっとしたら、そのような試みは「失敗」の連続だったのかもしれず、やはりベケットのように、自らの舞台をヴァニシング・ポイントへと追い込んでゆく以外に解はないのかもしれない。だが稀に、SF的/ポストモダン的な美学の中に、我々は「人間」以降(あるいは以前)の何かを感知することがある。例えば、映画ならJ・G・バラード/デヴィッド・クローネンバーグの『クラッシュ』がそうだし、レオス・カラックスの『ホーリー・モーターズ』がそうだし、小説なら伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』がそうだ。演劇に話を戻すなら、タデウシュ・カントールの『死の教室』の亡霊/人形たちもまた、ユダヤ人虐殺という過酷な運命の中に、「人間」ならざる何者か(おそらくは残酷にも「ムーゼルマン」と綽名されていたような)が浮上していたことを告げているのかもしれない。

 このような観点に立つ限り、現在の日本において演劇というジャンルは、いかに活況に見えようとも、その営みを停止していると評価せざるを得ない。前述の90年代演劇が切り拓こうとした地平は、再び大がかりに糊塗され隠蔽されてきたと言わざるを得ない。死者はいつも背後から語りかけてくる。クレー/ベンヤミンの天使はその死者の側に顔を向けていたが、天使ではない我々死すべき者どもは、既に死んだ者どもと、はたして視線を合わせることができるのだろうか。おそらく演劇とは本来、そのような可能性/不可能性の綱渡りであったはずだ。2018年の年頭にあたり、私は、演劇をいかにして「再開」するかについて考えている。