対談:モダニスト大岡淳をめぐって <第2回>

 

­●トーマス・マンからゲーテへと回帰する

 
佐々木   先程の話ですが、確かに僕らの世代はロストジェネレーションとも言われますが、ぼんやりして、好きなことをやってても、いつかは社会の役割を担える人間になる、ということが絶望的になったわけですね。もちろん、いつの時代もそういうことに左右されない恵まれた人もいますし、その逆に、悪い意味で左右されない人もいるわけですが、時代の症状を見るときは、上と下を較べても、あまり変わらないので中間層を見てみると、大岡さんの世代からすると、ちょっと社会の役割を担うという将来へのヴィジョンへの恥ずかしさ、閉鎖感のようなものがあったとして、今、僕らの世代ってこう妙に働く自分というのを嬉しそうに語る。社会の役割を担っていることが嬉しくてしょうがない、って感じになっているんですよね。

大岡    ふふふふ、うんうん。ボランティアやったりするのに抵抗がないのはいいと思うんだけど、不言実行じゃなくて、SNSでつぶやきまくるわけですね(笑)。

佐々木   人に、社会に自分は必要とされているという証明書を見せて歩くように、自分は社会の一役割を担っていることに喜びを見出す。しかし、その役割が何かという自問はないんですけどね。

大岡    自問すると不安定になりますからね。

佐々木   これも症状だと思いますが、ブログもツイッターもフェイスブックも、“社会で一役割を担っています合戦”の様相を呈していますね。何食べた、あれを見た、どこ行った、と、カメラでパシャパシャやって、私は社会の中で労働をし、素敵なお店に行って、または自炊して、健やかに、楽しく、たまに疲れるけど、みんなのお陰で、元気になりました的なことを執拗なまでに言ってますね。でも80年代の時というのは、それがどちらかというと恥ずかしいことで、その感覚としてサブカルがあった。でも今は、嬉しいことの中にサブカルも入っちゃっている。

大岡    嬉しいことというのは、つまり……

佐々木   「いいね!」ですよ、なんて言うんですかね、社会が与える役割が私にもあった。で、サブカルも僕の趣味の一つと。そしてサブカルの経済効果とかをメディアやネットにのせられて考えて、自分の懐に入るわけでもないのに、これだけ経済効果があるから凄い、何百万人に影響を与えているから凄い、となんでしょう。おかしくないですかね?

大岡    社会的役割も、サブカルチャーも、私語りの中に包摂されてしまうということですね。

佐々木   そうですね。私語りが持つ「全く理解されない可能性」というリスクを持たず、みなが共有するだろうものを私語りに包摂するんですね。

大岡    それはありますね。例えば若い俳優さんをキャスティングするとしますね。SPACみたいなプロの劇団の場合はこんなことないと思いますけど、20代30代の若者をキャスティングすると彼らが必ず言うセリフがあって、「なんで自分を選んだんですか?」って言うんだ(笑)。なぜこの役に自分を選んだのかって、二人きりになると必ず訊いてくるんですよね、その感じ。あと就職した連中が言いたがる、「もう入社何年目だよな」とか、「ずいぶん時間も経ったよ」とか、「後輩たちも育ってきた」とか。いやオマエまだ若手だから!ってツッコミたくなる(笑)。なんか1年刻みでストーリーにしたがる感じがありますよね。高校卒業したばかりの女の子が「若い子わかんないよね」「ウチらもうオバサンだから」って言ったり。そういう私語りの氾濫の枢軸に『エヴァンゲリオン』が位置して、「逃げちゃだめだ」ってぶつぶつ念を送ってくれてます(笑)。

佐々木   文学ではいわゆるビルドゥングスロマンというのがありましたね、教養小説と言われる自己形成、自分をいかに作っていくかっていう物語形式ですが、ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』『遍歴時代』なんてのは有名ですが、教養小説の中で主体が作られていくというのが基本ですよね。様々な経験や、対話、旅、職業などなどを通して、主体を形成するというようなね。で、これに対抗するようにあったのが、トーマス・マン『魔の山』だと思うんですよね。学校も出たし、この後は就職というような線路に乗っている青年が、従兄弟だったか忘れましたが、保養所に訪ねてから、数年間いることになってしまい、自分を作っていくかといったら様々な意見に振り回され、最終的に一無名兵士になる。自分をなくす、という方向に行くんですね。そう考えると、80年代のサブカルチャーっていうのは非常にトーマス・マン的かもしれないとも思うんですよね。『魔の山』的な気がする。

大岡    うん。それで思い出したんですけど、自分自身、90年代に入ったときに戦略を立てなきゃいけないって思ったんですよね。大学入ってすぐ、90年から91年にかけて、僕は浅羽通明さんと大月隆寛さんが早稲田でやっていたライブトークの常連でした。そこで問われていたテーマのひとつが、80年代サブカルの論客やアーティストたちが立ち位置を変えつつあることを、どう考えるか。典型的なのは湾岸戦争で、みんな急に真面目になって、反戦平和を言うようになってしまった。それに対して「お前らずっと遊び続けるはずじゃなかったのか」「それは転向だろ」というふうに批判したわけですよ。浅羽さんや大月さんは、むしろ率先して積極的に転向したというか、腹をくくって80年代に決別して、「地に足をつけろ」って主張していた人たちだから。そんな彼らが、サブカル出身のくせにこっそり宗旨替えして反戦を言い出したり真面目なことを言い出したりした連中に「ずっと続けるんじゃなかったのか?」という批判を繰り出していて、これには大いに共感しました。それで「そうか、バブルが弾けて、80年代のサブカルは後退戦に入ったんだ」という認識をはっきり持つことができたんですね。
 じゃあこれから文化のトレンドがどっちに向かうかを考えると、80年代みたいな乱痴気騒ぎはもう成り立たない。ボードリヤール的な、シミュラークルが全てだ、オリジナルもコピーもいっしょくただ、という、それこそ雑種文化の祭典は、もうそうそうできなくなる。そうすると次はどうなるかをやっぱり考えました。そのときに、僕は直感的に、古典的教養が復活するんじゃないかっていう、今から考えればすごく間違った観測を持っていた。みんなサブカル的な遊びにもう遊び疲れてしまったであろうから、とすると、さっきの話でいえばトーマス・マンから再びゲーテへ、という方向性がありうるのではないか。つまり、消去しようにもしきれない自己を、確固たる世界認識の中に再び位置づけようとする欲望が生まれるのではないか……。いや、そういう観測が100%間違っていたとは思いませんが、ただまさか『エヴァンゲリオン』まで劣化する、後退するとは思っていなかった。そんなことは予想もしてなくて、今こそ西洋演劇の太い幹に立ち戻るべき時ではないかと。ただ、その正統なるものを正統なままにやったらただの新劇になっちゃうので、そんなことはできない。そうすると、我々がオーソドクシーとして尊重している西洋演劇をもう一度しっかりやり直すには、デリダの考えていた脱構築という概念を使ってやればいい。だいたいそんなことを考えたわけです。しかし、今考えると「脱構築」という概念は不適切です。むしろ、T・S・エリオットの「伝統」やG・K・チェスタトンの「正統」がしっくりくる。つまり、正統に従おうとすればするほど、そこから逸脱してしまう。逸脱することによって、正統が書き換えられていく、バージョン・アップしていく。そういう弁証法的なダイナミズムをイメージしていました。だからデリダのようなポスト構造主義よりも、その敵対者であるガダマーやスタイナーの解釈学に近いかもしれません。ともかく、なぜ次はユダヤなの、なんで東欧なの、なんで南欧なの、と、皆が予想していない、オクシデンタリズムから漏れてしまう「正統」のイメージを次々に繰り出していくというのが、教養主義化を遂げていくはずの90年代に対して、先鋭的な姿勢になりうるはずだ。そういう、マーケティングという観点から見れば、二重三重に間違った戦略を立てていたわけです(笑)。
 
 

●アングラ・オリエンタリズム戦略のジレンマ

 
佐々木   非常に面白いなと思うのが、80年代小劇場ブーム、サブカルチャーが、大岡さんが演劇をやるきっかけというのは分かりましたが、大岡さんがやっている主題自体は完全にこの時のサブカルでは見向きもされなかった芝居に行っているわけですよね、でまあ、今のお話はそこに繋がってくるんだと思うんですよ。ただここで気になってくるのが、上演されていない、『うたかたのマクベス』なんですが…

大岡    いちばん封印したい作品です、それは(笑)。

佐々木   これは一番勇み足な試みだったんだと思うんですよね、で、『うたかたのマクベス』がいわゆるマクベスの翻案で、第三エロチカみたいになってしまったと、というのは、サブカル的な感性で演劇を作ってみようと思っても、サブカル自体が作った演劇的手法、ノウハウというのは実はあんまり無い。アングラを手本とするか、パロディー化するかというようなことにいってしまい、アングラ的な読み替えをするわけですよね。

大岡    いやだから、日本国内の文脈でのみ演劇を考えるならば、なんとも狭苦しいパラダイムの中で、ごちゃごちゃやるしかなくなるわけです。こういうのを「アングラ・パラダイム」っていうんですかね(笑)。でも今だってみんな、狭苦しい中で、互いに差異化しながらごちゃごちゃやっているだけでしょ、小劇場は。困ったことに、それが最近はクール・ジャパンで、海外から評価されることもあるみたいだけど。

佐々木   今までのお話を聞いているだけだと、いわゆる西洋絶対主義に対抗してアングラが西洋を、オリエンタリズムに則ったオリエンタリストによるものにしたのに非常に似てしまって、で大岡さんは、オリエンタリズムの手法が見えたときに、これではないという…

大岡    ええ。今でも、海外に出ていく演劇は、みんな自覚なきオリエンタリストにとどまっている。蜷川幸雄が海外で評価されるというのは、もはやアングラ的な自己言及性も失い、嬉しそうに“和”のテイストを強調した結果でしょう。そこには「演劇は西洋から植えつけられた植民地文化ではないか?」という自問が欠落しています。「黄色い猿にしては頑張ったな」という話でしかないんじゃないか。その点、川上音二郎がヨーロッパに殴り込みをかけたときは、デタラメやっているように見えて、もっと緊張感があったはずです。ちなみに、例えば韓国から見れば、演劇は逆に日本から植えつけられたのですね。林英雄(イム・ヨウウン)先生なんか「小山内先生、土方先生」っておっしゃいますから。これは衝撃でした。今、日本の新劇人の誰が「小山内先生、土方先生」なんて言いますか? だから、日本で演劇やっている人は、演劇について客観的に考えたことがないんだね。主観的に考えたエンゲキ論は、みんな偉そうにベラベラ喋るけどね、ゴールデン街で(笑)。客観的な構造を見ないがゆえに、自覚なきオリエンタリストに堕落していくわけです。

佐々木   オリエンタリズムをオリエンタルな存在がやる、という見世物小屋的な仕掛けは分かりますが、それは手法としても、アングラがやりまくっていますし、そのような意味での日本近代演劇批判は正直飽きたというよりも、ただの演劇愛好家の愛好会を作るに過ぎないのではないかと思いますが、演劇業界は愛好家だけが客だと思っているから、平気で繰り返しているんでしょうね。

大岡    そもそもアダプテーションというのは、明治以来、日本近代演劇の常套手段だと思うんですね。坪内逍遥や小山内薫がやっていたような、西洋の戯曲を日本の状況に置き換えるという手法。これが、自己言及的なオリエンタリストによる、アングラ化されたアダプテーション演劇に発展したんでしょう。それは表面的には、西洋と日本を折衷するという手法だから俗受けしやすいけれども、そこに連なってしまうと既存の演劇の限界を超えられないだろうな、という判断はありました。もっとも、上演されなかった『うたかたのマクベス』について、「でもこれをやっておけばお客は来ただろう」という意見を言ってくれた友人はいますがね。師匠の小林敏明先生も評価してくれた。それはわかるんだけど、あえて捨てたということです。

佐々木   さっきのサブカルのパロディが『エヴァンゲリオン』だと考えると分かり易いですね。近代演劇のアダプテーションを批判的に継承したアングラが持ち出したオリエンタリズムを、後続の小劇場がパロディ化するわけですから、ここには何の闘争性も批判性もないですよね。ただ、和物っぽいだけというか、ちまたに溢れている和物ブームみたいのに乗っかっているというのか、三島由紀夫だったらお茶漬けナショナリズムと一蹴してしまうようなことを、ただ雰囲気でやるんですから、楽というか、見る人が見ればちょっと、恥ずかしいものなんですけどね。

大岡    「お茶漬けナショナリズム」は、いかにも三島由紀夫らしい自虐性のあらわれですね。ナショナリズムなんだけどしょせんお茶漬け、しょせんお茶漬けだけどナショナリズム、というイロニーですね。でも小劇場に限らず、村上隆をはじめとする現代美術のスーパーフラット界隈とか、クールジャパンに乗っかった人たちに、そういう屈折はないでしょう。ただもうナイーブに和の美学を「再発見」して、「いいね!」って嬉しくなっているだけじゃないですか。青山二郎・白洲正子ブームとか、みんなわかってやってんのかね。しょせん「なんでも鑑定団」レベルじゃないか(笑)。

佐々木   でもこれで結局どうなったのか。やはり、消費はされましたよね、しかしその後、という問題がやっぱり作れてない。「エヴァンゲリオン」が生んだのは、オタクという主体性を失ったオタク達、私(わたくし)になるオタク達だと思いますし、オリエンタリズムのアダプテーションをやったアングラ以降というのは、半可通な演劇愛好家を作っただけだったというような気がするんですよね。大岡さんは、そことは決別していたと。

大岡    それは、一つこういう問題があると思うんです。僕が西洋演劇の脱構築をしても、日本人の目から見るとベタな西洋演劇との違いが見えないのと一緒で、日本人がオリエンタリズムをパロディ化して海外で上演したとしても、それもまたナイーブなオリエンタルなるものとして海外では消費されてしまうんじゃないか。日本の演劇が海外で評価されて、演劇祭に招聘されたりするときって、基本的にこういう構造に入っていくんだと思います。アングラ第1世代では、鈴木忠志と寺山修司はヨーロッパで高く評価されたし、唐十郎も第三世界に行きました。彼らの作品が海外に赴いた際、今言ったようなジレンマが生じていたのではないか。例えば忠さんは、日本的なものをベタにやっているつもりはひとつもないはずです。でも――こう勝手に決めつけたら忠さんに怒られるかもしれないけれど――忠さんの芝居に拍手を送る海外の観客は、ことによると、ベタに日本的なものをそこに見ちゃっているかもしれない。そうすると、演出家がしかけた自己言及性が消去されてしまうわけだけど、でも自己言及性が消去されることによって、すんなり受容される面もあるかもしれない。いや国外どころか、日本国内ですら、若い世代からすると鈴木演出に登場する和的な表象を、パロディとして見られなくなっているのではないか。時代劇との質的な違いが認識できているのかどうか。鈴木演出は、能や歌舞伎に通じるところは多々あるけれど、でもやっぱり能でも歌舞伎でもなくて現代演劇ですよね。その距離感が、はたして若い人たちに見えているのかというと、どうも怪しい気がします。つまり、戦略的に立てられた、自己言及的にパロディ化されているはずのオリエンタルな表象が、その自己言及性を消去され消費されていく――もっと簡単に言うと、作り手がネタとしてしかけたものが、受け手によってベタなものとして享受されてしまう――そういうねじれ構造が生まれてしまったのが、90年代以降じゃないですかね。

佐々木   そうだと思いますね。まあ鈴木さんの舞台は、僕も別な、あの、特にアングラの第1世代と呼ばれる人達はそれをベタに消費させない仕掛けをいくつも作るというんですか、例えば演歌などを使うとき、日本の心の体現者のように都はるみの歌を使いますね、で、これが日本の心だなあ、と思わせておいて、そこには日本人じゃないという問題、日本人とは何かというのを批判するだけではなく、今、こうして話すのも困難なねじれのようなものを、消費させないものを提示しますよね。日本の心という表象、雰囲気と、日本人ではない、日本人とは何かという問い、仕掛けを作ることによって、オリエンタリズムのパロディ化に刃向かうというんですかね、日本の心、そんなものないんだよと、オリエンタリズムだってないんだよ、というようなものにも見えてくるわけなんですよね。

大岡    そうです! それが鈴木忠志という演出家に対する、最も正当な評価だと思います。劇中であえて歌謡曲を使う、その「あえて」の面白さ、ということですね。

佐々木   それがまた、鈴木さんの場合は西洋の演劇というものは骨組みとして、強くありますし、後の世代は、西洋演劇にどう取り組むかというときに、アングラのパロディ、ひどくなれば真似にもならないですが、劣化再生産を行っていき、どんどん失敗になっていきながら、演劇に助成金が出てきてしまったので、何の思想的な挑戦がなくても、作品は作れるようになっちゃったんですよね。とんでもないことをやっているぞ、という気持ちで人々が集まるんじゃないんです。

大岡    うーん……いろいろ残念ながら「いいね!」を押さざるをえません(笑)。それで思い出しましたけど、「助成金もらって“公共の演劇”なんて気取ったら、国家権力の犬になりさがるんじゃないか?」なんて、全共闘崩れのチンピラ無名演劇人にすごまれたことがありましたよ、場所はやっぱり居酒屋で(笑)。でも、別にそんな心配しなくても、みんな国家や政治について考えるのを自発的にやめてしまった。ただ芝居の雰囲気としてだけ、なんとなくアングラっぽい手法が残っている。

佐々木   まあ、これは何も、アングラの後の世代だけというだけでなく、僕らの世代、もっと若い世代でも多いですよ。アングラの一断面が舞台の故郷になっちゃってるんですよね。そして、アングラのパロディとサブカルのパロディがその後どんどん主流になっていくんですよね。

大岡    アングラ第2世代以降、延々とそんな感じですね。だから若い世代も、ただの気分、ただのポーズとしては、ちょっと反体制ぶったりしますよね。思想性はないくせに、かといって、バカ呼ばわりされるのは嫌なんだね。観客が変質したんでしょうね。勉強するのは嫌いなくせにバカ呼ばわりされたくない、卑小なプライドを捨てられない観客が、小劇場演劇に共感している。むしろ率先してバカやっているお笑い芸人の方が、よっぽど知的だよね。あっちは本気のビジネスで、競争激しいから当然だけど、本当に賢い人だけが、今のお笑いブームで生きのびている。
 

佐々木治己          大岡淳


 

●ハイナー・ミュラー・プロジェクトの功績と限界

 
佐々木   大岡さんの話に戻しますが、芸術文化の、特に若手の中で、こういった流れと、大岡さんは完全に決別していきますね。 そして『ハムレットマシーン』をやられますが、『ハムレットマシーン』自体が、ハイナー・ミュラーが西洋モダンの一つの極をどう脱構築するかというのがあったと思うんですよね。

大岡    そうですね。

佐々木   粛清の問題、共産党の組織の問題というものも、わからないように全部、意識下の中に入れていくようなテキストと、さっきまで話していた文脈からすれば、もう勘弁してくれと客席から言われそうなものですが、『ハムレットマシーン』をやられたときってHMP(ハイナー・ミュラー。プロジェクト)の活動は始まってました?

大岡    もう始まってました。

佐々木   関係はありました?

大岡    92年に処女作の『ハムレットマシーン』を演出する前から、僕はHMPに出入りしてました。「これから演出しようと思ってます」と公言して、鈴木絢士さんが演出した『ハムレットマシーン』を観に行ったり、岸田理生さんと話をしたり。理生さんに可愛がってもらえたのは本当にありがたかったですね。22歳で実績ゼロなのに彼らと対等に喋ってましたから、今考えると僕もすごい度胸だし、彼らもすごい懐の深さですけど、こういう敷居の低さは、日本演劇界のただひとつの取り柄じゃないでしょうか。海上宏美さんの『ハムレットマシーン』のビデオを見せてもらったのもその頃かな。だからHMPのかなり早い段階で僕は参加していたんです。

佐々木   今になって言うと恥ずかしいんですけど、でも今だから逆に言えるなと思うのが、HMPってやっぱり重要な運動だったと思いますね。ハイナー・ミュラーという全く違う文脈を持ち込んできたわけですよね。さっきのアングラのパロディやギャグ化する小劇場、エヴァンゲリオン的なるものと全然違うものを持ってきた。西洋とはなにか。演劇はどういうものを持つのか、というような可能性をいろいろ探れた。しかしこの後、ハイナー・ミュラー・プロジェクトというのはどんどん、ハイナー・ミュラーの上演やればいいのか、というような感じがして、他のものを考えなくなったように思えました。とはいえ、この集まりが重要だったのは、定期的に会議をやっていてですね、いろんな劇団の特に意識的な人達が集まりやすい環境を作れたというのがあったと思います。そこで僕なんかもTAGTASの前身になるような集まりも、そこで知り合った人たちが大半だったというのもありました。HMPの運動というのを見つめ直してもいいかなと思いますね。もちろん批判もこめてという意味がありますが。

大岡    でも言われて思い出しましたけど、確かにHMPがあったからこそ『ハムレットマシーン』に代表される西洋の先鋭な戯曲が、日本で上演されるようになったんですよね。それはもう歴然とした、HMPの功績だと思います。同時代の西洋の演劇――これこそまさしく現代演劇と呼ぶにふさわしい――を、ハイナー・ミュラーに限らず、西堂行人さんや内野儀さんがいろいろ持ってくるわけですよ。それはやっぱりすごいインパクトがあって、もう作品を見比べただけで素朴な実感として、日本のサブカル、あるいはサブカル化した演劇の閉鎖性が露呈してしまったと感じました。非常にオープンな祭りをやっているつもりだった我々が、しかし客観的には非常に閉鎖的な場所にいたことが自然と露呈してしまうような、様々な海外の文脈を彼らが引っ張りこんできた。そういう雰囲気の中で僕も、演出家としてスタートを切り、期を同じくしてピナ・バウシュの『1980年』とウィリアム・フォーサイスの『失われた委曲』という2つの舞台を見て、改めて舞台を続けていきたいと思ったんですね。舞台というのは、日本の演劇だけ観ていたら気づかなかったけど、こんなにもいろんなことができるのかと。でもその当時は、あんまり意味がわかってたとは言えませんけどね。今にして僕は、自分が共感したフォーサイスやピナ・バウシュやハイナー・ミュラーの共通項は、いわゆるポストモダンではなくて、あれこそまさに、西洋のモダニズムの――最終形と形容していいかどうかはわかりませんが――延長線上に登場したものだということが、やっとわかってきました。一例だけ挙げると、ハイナー・ミュラーの戯曲の詩的形式だって、明らかにT・S・エリオットやエズラ・パウンドを踏まえています。だけど当時は「ポストモダン」みたいな言葉が氾濫しちゃってたから、そういう同時代の西洋の舞台の中に、日本の舞台とパラレルに語れる性質をむりやり見出そうとして、ポストモダン的な概念を使って解読していたというのが、HMPの限界なんですよね。同時代の面白い西洋演劇をいろいろピックアップして並べて見せてくれたのは良かったんですけど、やっぱり縦軸の歴史を読み込む作業が、ちょっと欠落していたと思いますね。

佐々木   再三繰り返しますけども、80年代サブカルが衰退していく中で、どこかで知の体系なりなんなりを作りたかったんだと思うんですよね、だからポストモダンという言葉も氾濫したんだろうし、その時の思想家たちも危機感があったんでしょうね。このまんまじゃダメだと。これに歯止めをきかせるために、いろんなものを輸入したと、それをキャッチ出来る人と出来ない人という格差は広がったと思いますね。そのあとさっきハイナー・ミュラー・プロジェクトが陥ったようにハイナー・ミュラーの愛好家になってしまったり、フォーサイスファンはフォーサイスのファン。ピナ・バウシュもしかり。というように、こないだの『Pina』なんかもそういうファンの祭典をからかう様な映画になっていたと思いますが、そのように見ないで素朴に、ピナ素敵、と思った人も多くいたと思いますけど、そのような「まあ、素敵」という感性が何を回収していってしまうのかということを考えて欲しいと思うんですよね。私の何かみたいなものに回収されていってしまう。彼らが突き付けたものはどんどん失われていくわけですよね。

大岡    90年代にコンテンポラリー・ダンスがブームになって、ピナ・バウシュもフォーサイスも、ケースマイケルもヤン・ファーブルも、みんな等しくスターになっちゃった。社会現象レベルでは、コンテンポラリー・ダンスという新ジャンルにひとくくりにされて、「まあ、素敵」と消費されてしまったわけですね。日本のコンテンポラリー・ダンスを見ると、本当に絶望的な気持ちになります。要するに、「なんでもあり」の表現方法としてコンテンポラリーを捉えているわけですよ、日本のダンサーたちは。クラシック・バレエやモダン・バレエに挫折した人たちが、こんな私でも自己表現できる場があった!という感じで、コンテンポラリーに参入している。って、さすがに言い過ぎか(笑)。でも、モダニズムの極限で、西洋の名だたるコレオグラファーたちはそれぞれに自己言及的な格闘をやっていたのに、日本のダンサーたちはそれを見て、ああもう既成の文法に縛られなくていいんだって短絡したんじゃないですか? 多木浩二とか三浦雅士とか、ダンス批評の方には演劇批評より優秀な人たちが参入していたのに、こういう総崩れ状態を阻止できなかったんだから、知の体系を築くことに失敗した点では、ダンスも演劇と同じだったんでしょう。まあ、今日はダンスの話はこのくらいにしておきましょう、キリがないから(笑)。

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