社会学者・上野千鶴子氏による、東京大学の学部新入生への祝辞が、話題となっていますな。

端的に感想を述べておきたいと思います。後段で語られる「がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」というメッセージは、なかなか強烈で良いと思うのだけど、それを説明するために持ち出される具体例が、「女性差別」に一本化してしまっている点に、この祝辞の限界があると思いました。あらかじめ言っておくと、これはフェミニズムの限界ではなくて、フェミニズム以外の話題を提供できない上野氏の、「専門バカ」としての限界だと思う。

私が問題にしたいのは、この祝辞が男子学生に対して何を求めているかで、それは要するに「そうか、あんまり自覚していなかったけど、自分は男尊女卑というアドバンテージを背負っているから、東大に入学できたんだな……」という“発見”なんだろう。

あの祝辞を聞いてショックを受け、本当にそんな“発見”をする男子学生がいるのなら、それはもちろん一定の意味がある。でも、東大に入学する男子って、本当にそこまでナイーブなんだろうか。自分の経験に照らしてみると、およそ30年前の高校時代、私は神奈川県の公立高校に通っていたんだけど、中学の同級生で優秀な連中は東京都内の有名私立進学校に通っていて、たまに情報交換すると、あまりにスクールカラーが異なっていて驚いた記憶がある。特にエリート男子校の生徒たちは、男尊女卑の社会構造が存在することなどとっくに知り抜いていて、既に高校生にして、その社会構造を利用する確信犯か!と、ウブな私は仰天したものです。といっても高校生だから、恋愛とかセックスとかそういう話だけどね。例えば、放課後の塾が終わるたび、女の子を連れて円山町のラブホテルに消えていく男子高校生たちがいたわけですよ。そんな彼らが、東大やら慶應やらに入学したわけですよ。上野氏が指摘する、大学における女性蔑視なんてのは、少なくとも都内のエリート高校生の世界には、既に胚胎していると思いますな。「東大男子学生の母親の存在を例に出さなかったのは、上野センセイの優しさなのか?」とどなたか揶揄されてましたが、これももっともですな。

まあ、今の学生は、30年前とは違うのかもしれないし、少なくとも、田舎の公立高校から東大に入るような男子にとっては、男尊女卑は当たり前すぎて、却って対象化できない風習なのかもしれない。そういう男子たちにとっては、この祝辞は、意味があったかもね。

しかし、いずれにせよ、この文脈で「がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」と語られてしまうと、男子学生は、素直に受けとめるにしても「そうか、じゃあ気の毒な弱者たちが、がんばれば報われる社会を実現できるように、ボクががんばってあげなきゃ!」としか、思えないだろうね。実際、この祝辞は「恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」としめくくられるわけだけど、これって、やはりこの文脈では、(主には)恵まれた男子学生に対して、(主には)恵まれない女子学生に手をさしのべてあげようね、という、ジェントルマンシップだかノーブレス・オブリージュだかを喚起している、と聞こえかねない。じゃあなに、「男は、か弱い女を守ってやれ」ってのがフェミニズムなわけ?! ぜんぜん違うよね、上野センセイ?! という驚きはあるんだけど、まあいいやそれは。いやもちろん、もっと普遍的なことが言いたいんだろうけど、そう受け取るには具体例が乏しいのですよ、だって女性差別の話しかしてないからね。

そうすると、「がんばったから報われたボク」というエリート的な主体性は、いささかも揺るがない。せいぜい「そうか、ボクががんばれたのは、環境に恵まれたおかげもあったんだなあ」という、マイルドな反省が生じるのみ。しかしその反省とて、「自分が恵まれた分、恵まれていない弱者たちに善意をお裾分けすれば、倫理的には相殺されるんだなあ」と、簡単に免罪されてしまう。これではむしろ、否定的契機をアウフヘーベンしてですな、エリート的な主体性が、より巧妙に強化され温存されてしまう、と言ってもいいかもしれない。

ダメでしょう、こんなんじゃ!

「がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」というメッセージで、本当に男子学生たちをギクリとさせたいのであれば、東大を卒業した男性にすら「がんばっても公正に報われない」冷酷極まりない現実が待ち構えていることを、実社会を例にとって、説明せねばならんですよ。中央省庁にだって、大企業にだって、がんばったのに冷遇されている東大卒の男性、いくらでもいるでしょう。池井戸潤がなぜ流行するかって、あれとは正反対の現実が存在するからでしょう。実力よりもコネで就職が決まったり、実績よりも派閥で出世が決まったり、パワハラでメンタルを病んだり、組織のためを思って内部告発に及んだら身の破滅を招いたり、会社に多大な貢献をしたはずが報われず意趣返しで技術流出に及んだり、そんな話はいくらでもあるでしょう。ロースクールだの大学院重点化だのに乗せられて、行き場を失った人もいるでしょう。首相官邸にひっかき回される人事に、絶望している官僚もいるでしょう。そういう東大OB男性のリアルなエピソードを、上野センセイが2、3紹介するだけで、「そうか、がんばっても公正に報われないって、女の子だけの話じゃないんだ……」という実感がわくでしょう、男子学生にも。

そこで、こう畳みかけていただきたいのですよ、上野センセイ。「男性諸君、がんばっても公正に報われない現実に直面したとき、その苛立ちを、自分より“劣位”にある人間たちを虐げることで、解消してはならない。そのときあなたは、あなたが最も憎んでいる人間に、似てしまっているからだ。敵を見誤ってはならない。戦い方を間違ってはならない。あなたの敵に正しく立ち向かうためには、“劣位”にある人間たちを味方とし、彼らと共に闘え。そのときはじめて“優劣”は消滅し、人間同士の連帯が成立する。男女平等とはそういうことだ!!」

……すみません、ガラにもなく左翼的な熱弁をふるってしまいましたが、これは昨日、取引先のおっさんの高圧的な物言いに、カチンときたせいであります(笑)。以上!