以下は、はままつ演劇・人形劇フェスティバル2013の関連企画である「劇評ワークショップ」(2013年10月18日、11月1日開催)の講師を務めた際に、執筆した文章です。さっそく公開します。

* * * * *

 大量生産・大量消費を拡大させた高度成長・安定成長の後で、消費社会が爛熟を見る80年代が訪れたように、欧化一辺倒の明治時代を経て、モダニズムからエロ・グロ・ナンセンスまで、文化の華が咲き誇る大正時代が訪れたということを、大正14(1925)年に書かれた岸田國士の戯曲2篇は感じさせてくれる。大正時代と80年代に通じるのは、全てはシミュラークル(まがいもの)でしかないと感じさせる、シミュレーショニズムである。
 
 『紙風船』には、モダンでハイカラな生活様式を象徴するガジェットが数多く登場する。目白文化村、ビスケット、活動、等々。そしてなにより、この夫婦の関係それ自体が、ハイカラな現代性を帯びたものであったろう。「日曜日に妻が退屈しない方法」を探るこの夫婦は、汽車に乗って鎌倉へ遠出することを思いつき、遠出する〈ごっこ〉にひとたび興じるが、この〈ごっこ〉の中身もまた更に、サンドウヰツチ、ステツキといったガジェットで満ちている。そして、このようなありふれた〈ごっこ〉がふたりを心から満足させることはなく、〈ごっこ〉の直後には「百円足らずの金を、毎月、如何にして盛大に使ふか、さういふことにしか興味のないおれたちの生活が、つくづくいやになりやしないか」と、夫は絶望的な言葉を妻にかげかける。妻は「あなたは馬鹿よ」と涙を流すばかりである。おそらくふたりにとっては、夫婦生活そのものが、もはや語られ尽くしたシミュラークルに過ぎないのだろう。
 
 『命を弄ぶ男ふたり』は、恋人を失った「眼鏡」と、恋人と別れざるをえなくなった「包帯」が、鉄道自殺を試みようとして鉢合わせするという筋立てだが、この男たちの身の上話もまた、彼ら自身からしても、ありふれた、通俗的な内容である。だからこそ、事故によって二目とは見られない顔となった「包帯」が、彼の顔を見た恋人から「悲しくはない」と涙ながらに告げられた話を聞かされて、「眼鏡」はあっさりと「わかりますね、その気持ちは」と応じ、「包帯」を憤然とさせてしまう。他方、恋人が死んでしまった話を打ち明け始めた「眼鏡」に、「包帯」は「もうその先は、伺はなくつてもわかるやうな気がしますが、それぢや、ただの恋愛事件ですね」と正直に感想を述べて、「眼鏡」を怒らせてしまう。しかしふたりとも、その後に何か突拍子もないエピソードを語ってくれるわけではない。いかにも大衆紙の片隅に掲載されそうな、身の上話を語るばかりだ。
 
 結局、ふたりは自殺しない。それはなぜか。もちろん死ぬのが恐いからだが、いいかえれば、死の恐怖を乗り越えさせるものが、既に失われてしまっている。つまり、ふたりの抱えた恋愛物語が、命をかけるに値するような特権的なものではなく、三文小説のネタにもならないことを、彼ら自身がよく知ってしまっている。あるいは、自殺することによってありふれた物語を完結させることを、ふたりは無自覚ながらも回避しようとしている。死ぬことそのものよりもむしろ、ありふれた死を死ぬことへの恐怖が、このふたりを突き動かしているといってもよい。
 
 『紙風船』も同様で、この夫婦は、ありふれた夫婦生活という物語に加担しつつも、それを完結させることを必死で回避する。夫婦は「日曜がおそろしい」と口にするが、何が恐ろしいのかと言えば、もちろんそれは夫婦間の断絶を直視することであろうけれども、それ以上に彼らにとっては、その断絶をあたかも「愛」によって乗り越えたかのように演じてしまうことの方が、いっそう恐ろしいことではあろう。「よそのうち」を模倣せずにはいられないこと、模倣するうちに自分たちもまた「よそのうち」と同様の〈ごっこ〉に興じてしまっていること、そして、〈ごっこ〉を演じていることにふと気がついてしまうこと――それら一切が、この夫婦にとっては忌避と抵抗の対象なのだ。
 
 シミュラークルとしての恋愛、シミュラークルとしての夫婦、シミュラークルとしての人間関係。『紙風船』は、子供の遊戯の如くに〈ごっこ〉に興ずる夫婦の様を描いたが、最後にこの夫婦は、投げ込まれた風船によって、文字通りの遊戯にふける。全てがありふれたものに転じてしまう消費社会のシミュレーショニズムに、外部はない。従って、この夫婦に幸福や救済や恩寵がありうるとすれば、それは、消費社会の外に出ることではなく(そこには諦観や虚無や絶望が待つだけだ)、消費社会が供給する物語に完全に同化してしまうことであろう。まさしく、子供のように。遊戯に没頭する、子供のような無邪気さだけが、この夫婦を解放しうる。だがその無邪気さなるものもまた、我々観客の目には、「紙風船」というガジェットによって可能となる一時の気休め、誤魔化し、シミュラークルと映る。この、堂々巡りの閉塞感が、この戯曲を優れた作品に仕立てている。
 
 畢竟、岸田にとっては西洋化という国家目標そのものが、〈ごっこ〉の域を超えるものではない、と理解されていたのかもしれない。しかし同時に、我々はこの〈ごっこ〉から脱け出す自由を与えられてはいない。このような、〈ごっこ〉を遊び続けるしかない日本人の酷薄な宿命を岸田が見出しえたのは、まさしく〈ごっこ〉の中の〈ごっこ〉たる演劇を通してであったと言えよう。
 
 ところで、岸田と同時代に、気散じに耽り「ただの人」へと頽落してしまう生を批判し、「現存在」たることを肯定するエリート主義的哲学を語ったハイデガーは、1930年代に入ると、ナチスを支持するに至った。〈ごっこ〉の出口のなさを描きながら、日本近代が強いられた宿命を捉えようとした岸田は、1940年から42年まで、大政翼賛会文化部長を務めるに至った。20世紀が始まり、大衆社会あるいは消費社会の勃興に直面して、高踏的な思想によってそれを克服しようとした人々がかつて存在したが、その彼らの思想をも収奪することで、国民国家は総力戦を戦ったということになろう。