私がこの投稿を書いているのは、2020年4月6日です。現時点で、私が感じていることを記しておきます。

時間の問題ではありましょうが、日本政府は未だ「緊急事態宣言」を発しておらず、新型コロナウイルスの脅威に対しては、「ぎりぎり持ちこたえている」との認識を、安倍総理が示しています。「ぎりぎり持ちこたえている」の主語は、「日本国民」である「我々」なんでしょうけど、ところがこの「我々」というのは、つきつめると、2週間前の「我々」ですね。2週間前の「我々」が、現在の「我々」を「ぎりぎり持ちこたえさせている」のであって、現在の「我々」がどうあがいたところで、2週間前に戻ることはできない。さらに、現在の「我々」の行動によって恩恵を被るのは、2週間後の「我々」である。このタイムラグに、哲学的な問題が潜んでいるように思います。

例えば、現在の「我々」が直面する「国内感染者数」は、毎日ショッキングなものに見えているけれども、このショックの根源には、単に数が増えたのが恐ろしいというだけではなく、2週間前の「我々」が、まるで現在の「我々」を裏切っているかのような、よそよそしいものに感じられることへの驚きがあるんじゃないでしょうか。そしてまた現在の「我々」が、様々な対策をとりつつもどこか途方に暮れているのは、単にウイルスが未知なる存在であるからだけではなく、2週間後の「我々」が、「我々」にとって近いようで遠い、微妙な隔たりのある、未知なる存在だからではないでしょうか。

鏡を見て、それが自分の顔であることに気づいて、ぎょっとする。録音した声を聞いて、それが自分の声であることが、信じられない。2週間という微妙な距離――とうてい思い出として語るような遠さはなく、さりとて、昨日のことのように実感できる近さもない――を隔てて、「我々」が「我々」自身を審判することには、そのような残酷さがつきまとっていると感じます。

もちろん、2週間前の「我々」が現在の「我々」を規制し、現在の「我々」が2週間後の「我々」を規制するわけですから、そこに「同一性」が存在するように思えますが、しかし日々増加する「感染者数」は、この「同一性」を脅かしている。この「感染者数」を前にしては、少なくとも「過去の我々の努力が現在の豊かな成果を産んだ」というような、予定調和的な物語として、その「同一性」を語ることはできない。「感染者数」を突きつけられると、むしろ「我々」は2週間前の「我々」に対して、「もっとどうにかできなかったのか」という苦々しい感情を抱かざるをえない。もちろん逆に、2週間前の「我々」を「よくやった」とほめたたえる論調もありますけど、これは、2週間前の「我々」に垣間見えるよそよそしさを、なるべく見たくない、無理にでも消去したい、という心理の現れのようにも感じられます。

そして「我々」は、現在において、精一杯努力しているつもりなのだが、2週間後の「我々」は現在の「我々」に対して、「もっとどうにかできなかったのか」という、意想外に厳しい審判を下すかもしれない――現在の「我々」が、2週間前の「我々」を断罪しているように。

2週間前の「我々」は、現在の「我々」を裏切っているし、現在の「我々」は、2週間後の「我々」を裏切るのかもしれない。現実に存在するのはそのような裏切りの連鎖なのかもしれない。これを「同一性」と形容することはできるのだろうか? 仮にそこに「同一性」が存するとしても、それはもう「我々」が思い描くような「物語」とは無縁のもの、「我々」の認識や想定を超えたもの、とするほかないのではないか? つまり「我々」とは、「我々」にとって「同一」ならざるもの、すなわち、他者であると考えるべきではないか?

現在の「我々」は、過去の「我々」によって裏切られ、未来の「我々」を裏切ってしまう。そう考えると、現在の「我々」は、あたかも孤立しているかのようである。このような観点から時間を眺めると、過去と断絶し、未来と断絶した、点として、現在は存立していると、感じられる。しかし他方で、確実に過去は現在となり、現在は未来となるとも、感じられる。とすると、不連続の連続、連続の不連続として、「我々」にとっての時は流れている……。そのような時間認識も、ここで浮上するのかもしれません。

ともあれ、新型コロナウイルスの何が恐ろしいのかと言えば、それは根源的には、潜伏期間+α=2週間というタイムラグによって、「日本国民=我々」の、過去・現在・未来を貫通する「同一性」を脅かし、「我々」を「我々」にとってよそよそしいものに感じさせる点に、存するのではないでしょうか。SF的想像力が、ウイルス感染から「ゾンビ」という表象を呼び寄せてきたのも、そのあたりに理由があるのかもしれません。ダニー・ボイル監督の傑作ゾンビ映画が、『28日後…』というまさしく微妙な時間経過をタイトルに据えていたのは、慧眼だったと今にして思います。