2021年5月23日(日)、静岡市清水文化会館マリナート大ホールにて、静岡県文化プログラム県域プログラム(大岡が県域プログラム全体のディレクターを務めました)の一環として、『舞踊と音楽と演劇の祭典 ふじのくにものがたり』を上演いたしました。その中で、第2部『舞踊音楽劇 かぐや姫、霊峰に帰る』の作・演出を、大岡が担当いたしました。この『かぐや姫、霊峰に帰る』について、気鋭の文学研究者であり、静岡県立大学言語コミュニケーション研究センター特任講師を務めておられる、小田透さんが劇評を執筆して下さいましたので、以下、公開いたします。

 
 

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政治と美をめぐる祝祭劇――『舞踊音楽劇 かぐや姫、霊峰に帰る』
小田 透

 
大岡淳の『舞踊音楽劇 かぐや姫、霊峰に帰る』はジャンルを撹乱する。舞踊の伴奏のために音楽があるわけではないし、舞踊を物語として支えるために劇があるわけでもない。音楽に意味を与えるために劇があるわけでもなければ、音楽を可視化するために舞踊があるわけでもない。劇を頂点とするヒエラルキーのなかに舞踊や音楽が位置づけられているのではない。そして、そのような舞台を創作する人々にしても、単一の伝統に属しているわけではないし、同一の訓練を経てきたわけでもない。バレエでもダンスでもオペラでもない舞踊音楽劇において、舞踊と音楽と演劇は、相対的自律性を保ちながら、ひとつの舞台的時空間を織り上げていくのだが、パフォーマーや音楽家たちにしても、単一の型に収斂することはない。すべてが複数的なかたちで共同創造されていく。

東京2020オリンピック・パラリンピックという世界的なスポーツの祭典を開催国の自治体レベルにおいて文化的に彩る「静岡県文化プログラム」のひとつとして構想された『かぐや姫』は、オリンピックの価値観と静岡県の文化を讃えること、ナショナルな思惑と県政的な意向に応えることを、自ら責務として引き受けているようなところがある。しかし、大岡はそのような政治的責務や美的イデオロギーを受け入れつつ、ただ従うのではなく、軽やかに戯れてみせる。世俗的な要望に応えつつ、幅広い観客層にアピールする舞台に仕立て上げてはいるが、職人的に手堅くまとめているだけではない。ここでは、娯楽性と芸術性、直感的なわかりやすさと寓意的なほのめかしが、無理なく融合している。

知らず知らずのうちにわたしたちは感動させられている。場の冒頭に挿入されるナレーション、場の終わりのクリフハンガー的な展開と相まって、観る側に過度の集中を要求することがない。それぞれの場に、オペラのアリアのような舞いや踊りが小クライマックスとして配置されており、観る側を飽きさせない。

10分ほどの短い7つの場で構成された本劇の筋書きは、基本的に単線的で、シンメトリー的ですらある。東方に生れたかぐや姫のところを西方の帝の使いたちが訪れ、拒まれ、ついには帝その人が富士の洞穴に隠れたかぐや姫を求めて山の奥深くに入っていき、山の精の王と対決し、ついにはかぐや姫のもとにたどりつく。帝にはふたりの部下がおり、かぐや姫には翁と媼がいる。かぐや姫を慕う山の民は、洞穴に挑む帝を助ける役目も担う。帝の女官は4人、かぐや姫を守ろうとする村人は4人。西と東、文明と自然、世俗と超俗といったコントラストが仕込まれており、すべてにおいて均整がとれている。

コロナ禍のなか、感染拡大防止対策を内在化することを強いられたせいで、当初の演出プランから変更を強いられた部分もあったはずだが、それが逆に興味深いジャンル撹乱的効果を生み出していた。たとえば、あらかじめ録音したセリフを舞台で再生し、それにパフォーマーたちが身体的な所作をシンクロさせるという演出によって、舞台の身体は、再生される声にたいするエコーのようなものになると同時に、反響の具現化以上のことを成し遂げる。語ることから解放された身体は、録音されたセリフの意味内容をリアリズム的になぞるのではなく、声音や抑揚を音楽にして、舞い始める。言葉は説明する。しかし、そこに説得力を付与するのはパフォーマーたちの身体であり、音楽や背景といった聴覚的なもの視覚的なものだ。その説得力は、理性的というより、直感的であり、だからこそ、わたしたちは、理解するより先に納得させられてしまう。

しかし、表層的なわかりやすさの裏には、政治と美をめぐる寓話が隠れていた。わたしたちがよく知っている『竹取物語』が求婚の物語であり、天と地の隔たりを際立たせる悲恋と別離の物語であるとすると、大岡の『かぐや姫』は、政治的なものと神話的なものの混淆の物語だ。ここでは、ふたつの神的秩序が拮抗する。みずからの神性をよりどころに国を統べようとする西方の帝。自然のエレメントの力を司る東方のかぐや姫。かぐや姫は、帝である桓武天皇と「あそぶ」ために、彼の夢枕に立ち、富士山のもとに招き寄せるが、ふたりの対立は、争いや力ではなく、舞と歌によって解決される。美的な遊戯が、たとえ束の間のことでしかないとしても、すべてを調和に導く。戦争とは別の仕方の解決の可能性。

しかし、それは、富士山を誇る静岡が、自然のエレメントの力を司る上位存在として、西の世俗権力にたいする優位を確認した後で、自発的に譲位することであり、ローカルな愛郷心をくすぐると同時に、ナショナルな自尊心を充たすという筋書きではないだろうか。天皇の神性を相対化しつつ――というのも、帝とて、天変地異には逆らうことができないから――、すぐさまそれを再強化すること――なぜなら、そのような天変地異を起こすことができる存在が帝と戯れるためにこの世を訪れたのだから――ではないだろうか。虚構的に上書きされた「歴史」(自然神たちに承認された天皇)がもたらすかもしれない政治的帰結について、『かぐや姫』は何もあえては語らない。

大岡の『かぐや姫』の劇的効果を顕在化させる身体は多様である。翁の奥野晃士は武術的な勇ましさを、媼の関根淳子は日舞的なしなやかさを、桓武天皇の大柴拓磨は正統的バレエの優雅さを、そして、義足ダンサーの大前光市は、義足なしで奔放に踊ってみせることで、山の精の王という超常的な存在のおどろおどろしい威容を、見事に受肉させていた。山の民である吾助を演じる宮原由紀夫は、ワイルドさとリリシズムの両方を巧みに体現してみせていたし、坂上田村麻呂の矢崎悠悟、侍従の西村雄光にしても、ダンスをいわばブレヒトにおけるソングのように機能させていた。かぐや姫の宮城嶋遥加は、身体能力においては抜きん出ていたものの、彼女の明晰すぎる動きはあまりに正確で、あまりに折り目正しく、かぐや姫のイノセントなお姫様的なところや、ファム・ファタル的な悪女めいたところは過不足なく表出させていたものの、超自然的な神の表象となると、いまひとつ届き切っていない部分もあった。しかし、パフォーマーごとに異なる独自の身体感覚が、雑多な寄せ集めに終わることなく、悦ばしい多様性の饗宴になっていたことは、民主的演出の勝利と呼んでさしつかえないだろう。ここでは、それぞれが、自らの特異性や独自性を自由に解き放ちながら、全体的秩序を新たに共に創り出していた。

衣装にも音楽にも同じことが言える。大岡は『かぐや姫』を平安時代の物語と位置付けているのだから、実証的に「正しい」衣装を持ってくることもできたはずだが、ここでは、アジアの民族衣装の最大公約数的なフォルムとでもいいたくなるようなものが選ばれている。パステルカラー的なニュアンスの、しかしどこかくすんだところもある明るい色づかいは、日本的というより、アジア的好みに近いだろう。渡会美帆の作曲した音楽は、浅間神社や桓武天皇時代の舞楽をベースにしつつも、ストラヴィンスキーの『春の祭典』のプリミティヴなリズムをドビュッシーのエキゾチックな和声感覚で蒸留したようなところがある。音素材や楽器編成には雅楽的なニュアンスもあるが、西欧モダニズムのフィルターで濾されている。たとえば、かぐや姫の登場のさいに用いられる鈴と笛からなるライトモチーフは、こう言ってよければ、日本「的」なものである。紛い物だから、擬装したものだからではなく、ここでは、「日本」というカテゴリーの存在それ自体が宙吊りにされているからだろう。いつかどこかに存在した真正なる日本ではなく、かつてもこれからもどこにも存在しない仮想的な「日本」をかたちにしてみせようという試みだからだろう。

舞台背景は簡素だ。簡単な書き割り、照明、投影があるばかりで、決して豪華なものではなかったが、シンプルなものを巧みに組み合わせ、動きを与え、重ね合わせることで、ミニマリズム的な抽象性から、最大限の具体的効果を生み出していた。

祝祭的イベントにふさわしい祝祭的な劇であった。プロットが言祝ぐ美学的解決の妥当性、プロットが黙して語らない政治的帰結の危険性については、なにかしらの留保をつけなければならないところかもしれないが、一度きりの公演で終わりにするのはあまりにも惜しい舞台である。とはいえ、この舞台の上演可能性は、かなりのところまで、演者たちの力にかかっている。複数のスターたちの民主的な饗宴が、どうしても必要になってくる。舞台背景や照明効果については、おそらく、別の場でも再現可能だろう。しかし、ここで共同的に創り出された舞台は、やはり、「いまここ」という時と場で創作者全員が共にあったからこそ体現することができた、繰り返し不可能な出来事であったように思う。だから、『舞踊音楽劇 かぐや姫、霊峰に帰る』が一回的な上演にとどまるのは、まさに正しい在り方なのかもしれない。