対談:モダニスト大岡淳をめぐって <第1回>

佐々木治己(劇作家)×大岡淳(演出家)


1992年に演出家として名乗りをあげ、大岡淳の舞台活動歴は20周年を迎えました。そこで、芸歴20周年と本ウェブサイト開設を記念し、劇作家・演出家の佐々木治己(ささき・かつみ)さんを迎え、大岡淳の20年の歩みを総括する対談をおこないました。白熱する議論は2時間半に及び、文字数は膨大な分量に達しましたので、全4回に分けてお届けします。最後まで頑張ってお楽しみ下さい。 [2012年6月6日、駒込・未生文庫にて]

 

 

●オクシデンタリズムに裂け目を入れる

 
大岡    本日は、佐々木さんがオーナーの未生文庫をお借りして、この対談を進めていきます。演劇を始めた動機から順に話していきます。始めたきっかけは単純で、1980年代の小劇場ブームに影響を受けたことです。ただ80年代は、小劇場だけが突出してたわけじゃなくて、サブカルチャー全般が非常に面白かった。音楽でいえばYMOやゲルニカや立花ハジメ、マンガだったら大友克洋や岡崎京子や内田春菊、文学だったら中上健次や村上春樹や村上龍、映画だったら森田芳光や山本政志や山川直人。『ビックリハウス』に『宝島』、ニュー・アカデミズムに糸井重里。いろんなものが溢れかえってる中で、演劇も方法論として面白いものをもっていると感じました。それは、今考えるとアングラ以降の小劇場のメソッドなんだけれど、時間や空間が飛躍する中で、うねりのように1つの物語を形成していくスタイルですね。そのスタイルに魅せられたので、最初から、再現的・模倣的な演劇のスタイルには関心がありませんでした。実験的な作風に興味があり、新劇にはまるで興味なし。それで、中学時代に演劇部に入り、いろんな人たちから影響を受けながら、観客として小劇場に魅力を感じた延長線で、大学時代に演劇をやろうと思いました。それで大学3年のときだったか、『うたかたのマクベス』というタイトルの、歌舞伎町を根城とする右翼団体を舞台とした翻案マクベスを書いて、こんな第三エロチカの猿真似みたいな戯曲書いて恥ずかしい、才能がない、と思って(笑)。それでハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』という戯曲に出会い、これを演出してみようと思ったのが92年で、それから20年が経ったというわけです。その後の作品歴で言いますと、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』やダンテの『神曲』という文芸大作を90年代に劇化していきます。なぜそういう作品を選んだか、ということが第一のポイントなんですけれども。
 このとき考えていたのは、演劇というのは僕らにとってまずは西洋から来たものだ。日本にも当然演劇や芸能の伝統はあるけれども、基本的に僕らが今やっている演劇の形式は、西洋から来たものだ。つまり近代演劇以降の演劇である。そうすると、どうしても西洋とはなんぞや、ということを考えざるを得ないですね。それで、『ハムレットマシーン』をやったときに僕は、わかりやすく言えば、加藤周一の雑種文化論のような図式で考えていました。つまり、日本文化は外部から取り入れられた様々な意匠が変形され混在しており、宗教でいえば神仏習合のように一緒くたになっている。それを加藤周一の場合は雑種文化と呼んだわけです。最近加藤周一の文章を読み直して気がついたんですが、雑種文化の反対側にあるのが西洋文化で、加藤周一はフランスやドイツの文化はいかにも一枚岩だと言っているんですね。日本みたいにあちこちから借用してきた要素が渾然一体となっているんじゃなくて、いかにもフランスである、いかにもドイツであるという、いい意味で頑固な文化的一体性がそこにあると。ただそれと比べて、日本文化が雑種文化であることを恥じる必要はない。どっちが良いとか悪いとかではなくて、これはそれぞれ異なった文化のスタイルのありようだ、と書いているんです。僕も演劇を始めた頃はそういう認識を持っていましたが、ではそもそも演劇にとって西洋とはなんぞ、ということを考えると、はたして西洋は、加藤周一や丸山真男のような進歩的知識人が考えていたように、そんなにも一枚岩なのか、そこはちょっと嘘があるのではないかという気がしました。西洋はそんなにも日本と違うのか? その答えは、今ははっきり出せます。『文明の生態史観』という著作で梅棹忠夫は、ユーラシアの西の端と東の端という視点で、日本の文明と西欧の文明に並行性を見出しています。要は、両方とも近代化する素地があったということですね。これを受け継いでいるのが、今の静岡県知事の川勝平太先生で、彼の場合は経済史だから、世界的な貿易のネットワークに注目している。詳しくいえば、文化物産複合と彼が概念化している綿織物を軸とした世界市場が大航海時代以降に形成されたんだけれども、都合のいいことに西洋には新大陸から金銀が入ってきたし、日本には石見の銀山に代表されるようにもともと金銀があった。つまり両方とも綿織物を入手する購買力があったおかげで、世界貿易のネットワークに参入でき、近代化が達成できたという説明をしているんですね。もう何の話だかわからなくなってきましたが(笑)、何が言いたいかというと、戦後民主主義的な進歩的知識人たちが思い描いていた西洋の一体性はどうもフィクションを多分に含んでいるじゃないかということが、だんだん明らかになってきたわけです。どうやら日本文化と同様に西洋文化もシンクレティズムの産物で、だからこそ両者は近代化を遂げることができた。それで、演劇の場合でもそのことを突きつけることには、何か有効性があるんじゃないか、と考えました。
 つまり、僕らが思い描いている西洋とは、僕ら――日本でも東洋でもいいですが――を鏡として規定された西洋の自己イメージに過ぎない。つまり、オリエンタリズムの逆である、オクシデンタリズムですね。このオクシデンタリズムの構造に裂け目を入れるという作業を、演劇という分野でやってみたかったんですね。後に副島隆彦の著作で知ることになるんですが、一枚岩に見える西洋の中にも、厳然たるヒエラルキーが潜んでいる。それは人種・民族でいうと、白人が一番上で、その白人の中でもプロテスタントが上。アメリカのWASPにあたる人たちがいちばんの勝ち組――上層白人という言い方を副島さんはしていますけど、これに対して、下層白人が存在する。例えばユダヤ民族がそうだし、カトリックの信者、つまりラテン系と言われる人たちも下層白人。
 ところで、演劇が古代ギリシャ発祥だと仮定すれば、それは地中海で発生した文化だということになるわけで、民族的な系譜はともかく、地理的には、地中海に面した南の暖かい地域で、お祭り的なイベントが世俗化する形で生まれたのが演劇だということになりますね。いっぽう、近代の演劇はスタニスラフスキー以降、ロシアをひとつの規範として成り立っています。あるいはもう少し遡ってイプセンの北欧、ノルウェーを想起してもいいですけど、いずれにせよ近代の演劇は、どちらかというと北国から降りてくるイメージがある。しかし、やはり暖かい南から沸き起こってくる文化や、あるいは、ユダヤ人が移り住んだ東欧という、西欧とロシアの中間地帯から発生してくる文化に注目したほうが、西洋演劇のいくつかある源流の中で、僕らが捉え損なっているものをつかむことができる。我々のイメージだと、演劇は古代ギリシャに始まり、シェイクスピアを経由して、モスクワ芸術座以降はロシアに中心が移り、現代では英仏独で花が咲いている――そういう漠然とした演劇史観があると思うんですが、これを脱構築するために、ストレートに西欧にアプローチするのではなくて、東欧や南欧を媒介として西欧にアプローチする演劇をやってみたいと思ったわけですね。佐々木さんもゴーレムを題材にした戯曲『ゴーレム 以後』を書かれたわけだけれど、東ヨーロッパでは、例えばチェコだったら人形劇が盛んだし、ポーランドのカントールの作品にも人形は非常に重要なモチーフとして出てきますが、この源流はゴーレム伝説まで遡れると思うんですね。それで人形を使うことに目が行って、『シェイクスピア 差異』というハイナー・ミュラーのテキストは、なぜか樋口一葉の「たけくらべ」とまぜこぜにして、人形劇として上演しました。また、東欧ユダヤ人たちのイディッシュ演劇というものがあって、母語であるイディッシュ語を保存するための音楽劇なんですが、これはアメリカのミュージカルの一つの源流になっていく。粉川哲夫の研究によれば、カフカの寓話のストーリーにも影響を与えているそうですが、それをモチーフにした『ミュージカル・ベンヤミンの彼方』というお芝居を演出しました。ベンヤミンのユダヤ性に着目し、イディッシュ劇を連想させる、場末のカフェでやっていそうな音楽劇という形で、ベンヤミンの生涯をたどりました。『神曲』はイタリアのダンテだし、『音楽劇・聖ニコラスの大航海』はオリジナル戯曲ですが、聖ニコラスですからこれも南ヨーロッパです。ベケットは『伴侶』というテキストを演出しましたけど、これはアイルランドの固有性にこだわって演出したつもりです。
 

大岡淳


 

●西洋を啓蒙し/脱構築する一人二役

 
大岡    つまり、英仏独という現在の日本人が理想化しがちで、ヨーロッパ人自身も神棚の上に祀ってしまっている国々とは、ちょっと外れたところにある演劇や文芸の伝統を演出手法としてうまく活用し、そのことによって西欧の脱構築をやってみたいと考えたわけです。で、その試みの意義はともかく、結局どうなったかという話が第二のポイントなんですけど。オリエンタリズムを僕らが脱構築するという作業は、実は誰でもやっていることじゃないですか。日本的な意匠を自己パロディとして扱うことは、それ自体が再びオリエンタリズムの回路に入っていきますね。昔でいうとフランク・チキンズがそうだし、YMOもそう、みんなが知っている例でいうと、ダウンタウンがゲイシャガールズに扮したこともありました。ああいう、オリエンタリズムをオリエンタルな私たちが脱構築するアプローチは、ありふれているし、それも含めてオリエンタルだと受け取られかねない。はたしてこれがパロディだということが、ゲイシャとかサムライとかニンジャとか言ってふざけている感じが、海外の人に本当に伝わるのだろうか。そこがよくわからないんですね。それよりは逆に、むしろオクシデンタリズムを我々日本人が脱構築してみてはどうか、というすごく複雑な戦略を私自身はとったつもりです。それによって、西欧を中心とする文化のヒエラルキーを撹乱してみたいという気持ちが強かった。ところが実際やってみたら、みんなそんなに西欧のことは知らなかったというか、関心がなかったんですね(笑)。日本のお客さんはそもそも、サブカル化した小劇場演劇に親しんでいた。いっぽう我々が演劇をやる際、わざわざ口にするのも恥ずかしい伝統として踏まえているものが幾つもある。シェイクスピアだったり、モリエールだったり、イプセンだったり、ストリンドベリだったり……ブレヒトやベケット、アルトーやジュネまで入れてもいいでしょう。ところが90年代の観客は、そのような伝統・教養としての演劇のイメージは共有してなかったんですね。そうなるとその観客に、西洋というのは実はこうなんだよ、こんな多様性が隠れてるんだよ、加藤周一読んでたら気がつかないだろうけど一枚岩じゃないんだよ、とか言ってもですね、「いやよくわからないからその加藤周一という人の議論をまず説明して下さい」と、こうなるわけですよね。これは苦しい。いったん西洋について啓蒙しなければ、僕がやろうとしている演劇も成り立たないという、難しい立場に追い込まれてしまった。この頃、柄谷行人や浅田彰が、ポストモダンの意義を説くためにはまずモダンの大切さを啓蒙しなければいけない、「ドゥルーズを読むためにまずみんな丸山真男を読んでくれ」みたいな二重の役割を背負わなければいけない、とよく言っていました。僕もその二重の役割を背負わないと、自分が観客と共有しようとしている文脈が作れないということに気がついた。
 この困難に気づいた後、98年にエレーヌ・シクスーが書いた『マデュバイ小学校奪取』という戯曲を上演するんですけど、ここで初めてアジアという主題が入ってきちゃったんですね。アジア・ミーツ・アジアというフェスティバルに招かれたというコンテクストもある。プーラン・デヴィというインドの女盗賊の物語を、フランスの先鋭的なフェミニストのエレーヌ・シクスーが戯曲化した作品を上演する。となると、アジアという主題が入ってきちゃって、僕が忌避していたオリエンタリズムの構造を斥けにくくなってしまった。東欧南欧路線にもちょっと飽きていた、あるいは、今言った理由で挫折しかかっていたんで、西洋の脱構築という図式からさらに一歩外に抜け出られないかと考えて、フランスのフェミニストがインドの女盗賊を描いた戯曲を、面白いと思ってやってみたんです。その結果、大橋宏さんたちアジア・ミーツ・アジアの担い手の方々は意識していないと思うけど、「私たちはアジア人である」というクリシェに回収されてしまう感じがしました。少なくとも私の演劇歴に照らす限り、オクシデンタリズム批判がうまく機能せず、そうは意図していないのに、結果的にオリエンタリズムに回収されてしまうと感じた。これで演劇的には完全に行き詰まったという感じですね。従ってこの後に僕は、まずはモダンな西洋のエッセンスとは何か、文化的な本質とは何かということを啓蒙する仕事に入っていくわけです。すみません、長くなりましたがここでいったん区切ります。

佐々木   大岡さんのお話しを聞いていると、この途方もない感じというんですかね、やはり小劇場で何かをやるというときに、小劇場ですから、演劇の商品として価値は、どれだけ売れたかというところでは判断できない。何を思考/嗜好するのかということが試されている場なんだと改めて思いました。まあ、途中で僕がこの間書いたばかりのゴーレムにも触れていただけたんで、自分の話も少し交えようかなと思ったんですが、大岡さんのお話しをもっと聞きたいな、とも思うので、自分の話は理解の助けに話す程度にしますね。

大岡    いえいえ、どんどんやって下さい。

佐々木   では、お話しを聞きながら、僕も大岡さんが考えたようなことと似たような流れにあったと思いますね。それは文学なるものを考えたとき、西洋文学と一口に言ってしまうものこそが、一枚岩ではないのですが、近代文学以降、意識せざるを得ない「文学」なるものがあったので、どうしても西洋演劇の起源を視野にいれつつ、現代演劇を捉え、そして日本の近代演劇から、特にアングラ演劇までを射程に、批判も含めてですが、演劇を再構築、またはパロディー化するというのが、課題としてありました。この最後にポストモダンのためにモダンの大切さを教えなければならないというのは、当然といえば当然ですが、その当然さ故に、今でも拒絶したいなと思うんですよね。やっぱりそれは違うと、なんていうか破壊的なことを言っちゃうと、モダンの重要さは、教えられないんですよ。自分でこの世界と対峙していこうと考えるときに、モダニストとして対峙しなければならないんですよね。で、その世界への物言いが表現欲求として発露して、ある種の段階を経た表現形式になる。この表現形式に則ることと、自分が違和感を覚えている世界というのは、実のところ同根、同じ構造を持っている。ここで言うモダンというものは何かと話した方がいいですね。僕にとってモダンというのは、自由民権、普通選挙、国民国家、還元主義、本質主義、方法で言えば、減算、これらの複合的な状態で、「より良く生きる」というお題目がそれぞれの利害と思想を一致させながら動く運動とでも言いましょうかね。意識的な主体が自らとその共同体を含めて対等な形式を形作りながら構築していく、このようなことをモダニズムだと思っているわけですね。共産主義や社会主義などが一つの理想として生まれ、で、モダニズムの極がファシズムであり、ナチス、そしてスターリニズムなどもモダニズムの極だと言えると思っていますし、ポストモダンというのは、僕にとっては、「思考する」ということをそれぞれが追い求めると、ファシズムなどを含めたモダニズムが生まれてしまう、となれば、絶対的にファシズムに陥らない思考法は何か、というのを探るのがポストモダンだと思っているんです。で、話を戻すと、表現をするということ、そしてモダニズム批判をするということは、自己批判を行っているんですね、ある意味では。なので、モダンを教えるということは、確かに重要ですが、自己撞着を起こすんじゃないかと思ってしまうんですね、耐えられなくなるんです。

大岡    そこは、正直にいうと、自分でもうまく解けていないですね。まあ僕の場合はモダニズムを再定義することでかろうじて解決している気がしますが、ごまかしているだけかもしれない。これは今日の対談の全体に関わってくるテーマでしょうね。佐々木さんと僕の違いがそこにあるかもしれません。
 

佐々木治己


 

●自分は存在しない80年代、自分しか存在しない90年代

 
佐々木   ちょっと話を変えますが、大岡さんのお話しを、ひとつひとつ共感とともに聞いていたんですが、時代状況の根本的な違いというんですかね、そこに大岡さんと僕がなかなか分かり合えない部分がありますね。大岡さんが語る80年代の小劇場ブームとサブカルチャーの持っている芳醇さ、豊穣さ、これが分からない。僕は享受してきた文化が90年代ということもあるのか、お笑いや、ホームドラマ的じゃない芝居をやると、なんでも『エヴァンゲリオン』って言われましたね。僕の世代は『エヴァンゲリオン』信者が多いんですが、頭の良さそうな人達まで『エヴァンゲリオン』にハマっていてびっくりしたんですね。僕は文学などに触れるのが比較的遅かったんで、彼らが高校生くらいに読んでいた本を、貪るように読んでいるときだったんで、薦められるまま『エヴァンゲリオン』も見てから、なぜ、わざわざ『エヴァンゲリオン』を見るのか分からなかった。後になれば、彼らの不安に揺れる自分探し、自己正当化をそこに見ていたんだと思いましたが、<自分自身に対してナイーブ過ぎる人たち>に、違和感を感じましたね。で、彼らはどこかぼんやりと商品崇拝、市場原理礼賛みたいなところが、自分たちが疎外されながらも、そういった信仰を持っている。これは今、考えてみると、時代の病状だったのかもしれませんね。このような病状が、僕にとってのサブカルでしたね。横断性もなく、超越性もない、ただそこにある自分を正当化していくけれども、実際には、社会的承認が彼らに望む形でされないので鬱的になるという感じですかね。

大岡    90年代ね。

佐々木   90年代は極々小さい社会的領域、友達の延長ではないような場所にサブカルをきっかけにした発言力というのはなくなり、つまり、文化を享受するという市民性は消されてしまって、手軽に消費できるものとしてサブカルチャーというのがあったと思います。サブカルチャーもやっぱりお話聞いてたり、『80年地下文化論』というのを読んだ時も、僕たち/私たちは消費したんだよねという話にしか聞こえないという問題がある、しかし大岡さんの話を聞いてると<消費、しかしそれだけではない>という消費者主体みたいなものが立ち現れていたのかなとも思えるので、そういったことを聞いてみたいです。

大岡    うーん……バブルの頃はとにかく景気が良かったんで、今考えると、本当に金回りが良かった時代だったということに尽きてしまうような気はするんですけれど(笑)。その問いに答えようとすると、80年代のサブカルチャーが何と決別しようとしたかを考えなきゃいけなくて、それはサブカルチャーという名前から察せられる通り、カウンターカルチャーでしょうね。60、70年代のカウンターカルチャー、例えば典型的には、60年代末の雰囲気を引き受けて、岡林信康とか加川良とか反戦フォークが登場し、だけど70年代が進むに従って、反戦の裏返しで、社会参加しようとしてもできないがゆえのミーイズムをフォークは歌うわけですね、吉田拓郎とか中島みゆきとか井上陽水とか。これがニュー・ミュージックという新ジャンルへと変質する。まあどのジャンルもそんな具合で、「政治と文学」論争の変奏みたいにも思えますが、「社会と自分」という二項対立の中で、あっちいったりこっちいったりするっていうのがカウンターカルチャーの鬱陶しさだったと思うんですよね。で、その「世界と私」とかいう二項対立はもう立てられないんじゃないかという感覚、言い換えれば、主体なるものはそのように自明ではないかもしれない、オリジナルと思っていたものはコピーのコピーかもしれない、みたいな感覚は、80年代のサブカルチャーに共通してあったものじゃないかと思います。あれこそがまさにポストモダンだったなあと思うし、消費者主体の積極性ってものがあったとすれば、そういうところでしょうかね。
 さっき柄谷・浅田の発言を拾いましたが、そういう意味では、僕自身がやっていた仕事は必ずしもポストモダンとは思っていないところがあって、ひょっとしたら最初からモダンの圏域でやってたかなっていう気もするんですよね、脱構築を標榜していたとはいえ。西洋近代の多様性にこだわっていたのであって、西洋近代を脱することを目指していたわけではない。そこには微妙な違いがあるように思います。で、それとは別に、80年代は今言ったように、米ソ対立の中でアメリカがいい、ソ連がいい、あるいは第三の道としての新左翼がいい、いや連合赤軍もああなったから「大衆の原像」がいい、という具合に、何か対抗する立場を設定して、そこに自分の身の置きどころを見つけていく振る舞いそのものが、嘘くさいというか古めかしいというか、もう無効なんじゃないかという世代感覚、時代感覚があった。もちろん私にもその感覚はあったからこそ、だったら〈消費〉もまた身の置きどころにはならないんじゃないかという自己相対化が働き、サブカルチャーやニュー・アカデミズムとは一線を画し、西洋近代を再審するという方針を見出すことになったのかもしれません。

佐々木   確かに、自らの立場を規定の軸の中に見出すのは困難になりましたね。しかし、特に震災以降、それまでの刹那的な、その場的なお友達共同体の馴れ合いに、市場を結びつけたような、言ってしまえば、学園祭の出店みたいなことをやっているような人たちが急に、よくあるケースに、というのか、分かり易い立場、居場所に、自身の創作活動や、発言の根拠みたいなものを見出して行っている気がしますね。それをみると、なんだあ、ただ考えてなかっただけだったのか、と思ってしまうこともありますね。そういえば、商品劇場の活動をまとめた本、通称赤本っていうんですか? その中で、オタクについて触れていますね。オタクという主体は、相手のことをオタクと呼ぶことが先行していて、自らの主体も、誰かによって作られる。それがオタクという主体だと。これは90年代以降は変わりますね。簡単にいってしまえば、90年代以降は、自分自身、または自分の仲間内しか関係がなくなるんです。その中で、オタクというのは他者から言われるというよりも、自分で言うわけですね。全部自分なんです。全部自分の世界にしていくっていう、サブカルの消費の仕方がまったく変わっていきましたよね。

大岡    ええ、変わったと思います。

佐々木   80年代のサブカルは、主体も何もかも、全部与えられているのかもしれない、私なるものはない、という中で消費していった。で、その中で自分なるものが、何なのか分からないままにしている。

大岡    「内面」は近代文学によって作られた、なんて柄谷行人が『日本近代文学の起源』で言って、意外にみんなあっさりと納得していたんです、80年代は。70年代的な「内面」の葛藤に辟易していたからでしょうね。

佐々木    僕らの世代のときのサブカルというのは、意地汚いくらいに、全部自分、なんでも自分だっていうふうになる。ただ与えられて消費しているにも関わらず。自分というものを承認する社会と自分が承認している自分なるものとのずれを感じるでもなく、また、大きくは冷戦構造や、思想的な立場などに属することによって得られる主体の嘘くささに違和感を覚えたものでもなく、とにかく拠り所が欲しい。で、拠り所がない人たちが凶暴な振る舞いをするというのも変ですけど、キレちゃう。このキレるというのは刑事事件になるとかという意味だけじゃないんですが、意味不明かも知れないですけど、「お客様」になっちゃうというのも、キレることですね。「観客」という主体性はいらない、ただの神のような立場の「お客様」ですね。で、社会承認を熱烈に望む気持ちとお客様という存在が変梃な結合をするんですね。こういうことを言うと怒られますが、エンドユーザー向けに消費させようと劣化再生産を繰り返しているサブカルを消費することで、社会との繋がりを作り、しかし、それはあくまでエンドユーザー向けですから、エンドユーザー達のネットワークしか出来ない。これはもう疎外なんですけど、疎外だと思えない、クールジャパン戦略は自分たちの正しさの証明だとも勘違いしていますしね、このように徹底的に幼稚化させられるというのが、僕ら90年代のサブカルだったと思いますね。ここには80年代サブカルが持っていた「何か」と較べると、決定的な違いがあるように思えますね。

大岡    80年代だったら、景気が良かったから雇用状況も良くて、「売り手市場」「青田買い」っていわれるくらい恵まれていたわけですね。むしろそこでは、私を商品化していく、労働市場の中に自分を売り込んでいくっていうことは、はっきり意識せずとも、最初から決まっていること、既定路線なんですよね。どうせ数年後に自分は就職しているだろう、どうせ数年後に自分は出世しているだろう、最終的には子会社の取締役ぐらいに落ち着いているのであろう、みたいなライフプランが描けた。そういう中で生きていると、己の生すら何者かによって作られたものかもしれない、という社会構成主義的な見方は、説得力があったと思うんですね。だからバブル世代は、ガーフィンケルの社会学なんてよく読んだんじゃないかと思いますけれど。で、90年代は逆に雇用状況が一気に悪化し、そうするとかなり努力しなければ、もう社会参加ということ自体、難しくなっていくわけですね。だから“梯子をはずされた”感は、やっぱり90年代の若者世代、ロスト・ジェネレーションには強くあったんじゃないですかね。つい昨日までは80年代の、消費が生産を飲み込んでしまうパラダイスが存在して、今もあっちこっちにその残り香はあるというのに、自分にはその消費を楽しむに足る貯蓄も無く、自分を労働力として売ろうにも買ってくれる景気の良い会社はなかなか見つからないという厳しい状況の中で、社会から疎外された実存的な主体がもう一回復活してしまった。それが『エヴァンゲリオン』だ、というのが僕の認識です。実はですね、その頃ネット上で、エヴァンゲリオン論争というのがあったんですね。東京大学の大学院にいた、松井隆志君という左翼系の面白い活動家がいましてね。

佐々木    松井さん、劇団解体社の公演でときどき会いますね。

大岡     その人です。熱狂的なエヴァファンである松井君に対して、僕はエヴァなんて反動だといって、論争になった。そのとき僕は80年代サブカルのシンパとして、今さら実存主義かよと感じていて、エヴァなんて大して見もせずに、ただのリバイバルじゃないかって構わず批判したんですけど。いっぽう松井君はいやここにこそ同時代性があると擁護する。典型的な世代間ギャップなんだけれども、そんな議論をした覚えがありますね。

佐々木    ええ、確かにそういう意味では『エヴァンゲリオン』には同時代性はあります。しかし、サブカルで現在出てるものは、常に、同時代性はどういう形ですらありますからねえ。問題は、そこに抵抗の可能性、変革の種火のようなものがあるかないか、だと思っていますけどね。

大岡     ヘーゲル的にいえば、対自化する契機があるかないか。まあエヴァにはないんじゃない(笑)。

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