自分の能力を評価することの難しさについて


自分の能力を正当に評価するというのは、誰にとっても難題ですね。謙譲の美徳が称えられるこの風土では、迷ったときは自分を過小評価しておけば安全ですが、しかし余りに過小評価ばかりしていると、チャンスを逃したり、本当に能力が低下したり、人間的に醜くなったり、つきあう人間のレベルが下がったりするので、却って面倒ということもありますね。だからといって自分を過大評価すると、傲慢と見られるばかりか、能力不足に起因するミスを引き起こして他人に迷惑をかけ、結果的に自分の首を絞めることになりますから、これも大問題ですね。

私の場合、演出という仕事を中心に置いているフリーランサーですけれど、自分の演出家としての技能が徐々に(本当に徐々にですが)向上しているということを、近頃実感しつつあります。で、そのように自分の方の条件が変化すると、どの仕事には自分にとって資するところがあり、どの仕事にはないか、という線引きの基準もまた、修正していかねばなりませんね。そして、難しそうに見えても引き受けるべき仕事は引き受け、勇気をもって断るべき仕事は断らねばならないのでしょうね。

今年度は、依頼された仕事を片端から引き受けてしまい、今頃になって色々なところで無理が生じてしまいましたので、来年度は少し絞り込もうと思います。静岡も4年目ですし、いくらか自分を取り巻く状況が変わってきました。失うものもありますし、得るものもあります。

もうひとつ、近年の大岡は、若い衆にいい仕事をなるべく多く提供するように、できる限り努力しているのですが、このやりかたも今後検討が必要だと気づきました。若い衆にはまだ立場というものがありませんから、自分はただの媒介役のつもりでも、何か問題が起きたときには、すぐに出て行けるようにスタンバイしておかねばなりません。逆に言えば、自分が間接的にでも関わる余裕のない仕事を、無闇にばら撒いてはいけないということですね。

いずれにせよ、自分の能力に対する正当な評価を欠いては、仕事の選定はできませんね。ところが、自分の能力ほど正当に評価することが難しいものは他にない。とりわけ私みたいな文化系フリーターは、組織内でのポジションとか、数値化されたテクニックとか、そういう客観的な基準に依拠することができませんので、過小評価と過大評価を往ったり来たりしつつも、冷徹に自分の実情を見定めることが大切です。そのためには――ここであえて仏教を援用しますが――「自己」とは突き詰めれば幻想に過ぎない、という認識を持つことが第一歩となるように思います。幻想に振り回されることの馬鹿馬鹿しさをいったん肝に銘じたうえで、改めてその「自己」を見つめ直せばいいんじゃないでしょうか。って、これもまた言うは易し行うは難しで、堂々巡りですかね。