これまで私は静岡と東京と2ヶ所に住居を構えていましたが、静岡のワンルームを引き払い、東京の一戸建てを引き払い、静岡市内のマンション(もちろん賃貸ですが)に移りました。桐朋を辞めて、住居を一本化し、名実ともに静岡県民になるという、ささやかな決断をいたしました。お引越しを手伝って下さった皆さん、どうもありがとうございました!
今後東京には、河合塾コスモで授業のある火・水のみ滞在します。宿泊は火曜夜だけで、水曜夜には静岡に戻る、というパターンが、4月~7月、9月~12月と続きます。というわけで、東京で打ち合わせが必要な場合、火・水なら可能です。各方面よろしくお願いします。
東京では、映画・演劇・音楽・美術と、海外から押し寄せてくる優れた芸術作品の数々を、浴びるように享受することができましたが、その一方、自分が活動をする際には、何をやっても暖簾に腕押し、手応えが感じられぬままに十数年が経過してしまいました。かろうじて、余技のつもりだった演劇批評の仕事や、教育現場に演劇を導入する仕事だけが、若干の成果を収めたと言えますが、これとて、社会に対する影響を与えたというには程遠い。私個人のささやかな商売になったという程度のものですね。
大したことができなかったのを時代状況のせいにしても仕方がないんで、だったら才能がなかったものと潔くあきらめればいい。実際そのつもりで、もうこれからは現代文・小論文のセンセイに徹しよう、河合塾コスモ以外の予備校も受けて仕事を増やし、細々と物書きとして生きていこうと考えていたんですが、鈴木忠志氏に拾われ、ではもう少しだけ芝居の現場に身を置いてみようか、と軽い気持ちで静岡に来ました。
静岡に来たとたん、状況が一変しました。地方では、東京の小劇場シーンのように、奇を衒った試みを競い合っても集客につながりません。それに、内容より以前に、お膳立てに力を入れないと何もできないですな。特に浜松や袋井とおつきあいしていると、ステークホルダーを説得し、世間と渡り合う交渉能力が求められたり、行政の果たす役割に応じて、公共性を担保したスキームを設計するプランニング能力が求められたり、と、なんだか市議会議員さんみたいな仕事をせねばならず、そういうことなら割と得意なので、東京にいた頃とは打って変わって、水を得た魚のように動き回ることとなったわけです。地方では、表現活動だけを独立させるわけにはいかず、常にその公共的意義を考え、人々を説得しなければ活動が成り立ちません。そこは、東京と全く異なる点です。もちろん東京でも、1本の舞台を作るうえで、芸術的な作業というのはせいぜい2割程度のウェイトしか占めていませんけどね。8割はひたすらお金の工面と計算と回収ですからね。東京の小劇場は、お金の勘定ができるごく少数のプロデューサーの奪い合いで、このプロデューサーを味方につけた劇団だけが生き残るんですな。
劇場法が制定されると、地方の劇場の芸術監督を目指す人が増えると思いますが、アーティストとしての能力がどれだけ優れていても、それだけでは全く仕事にならないだろうということをここで警告しておきたいと思います。お金の勘定ができるのは当然として、それに加えて交渉能力と調整能力が求められます。お酒も強い方が良い。演説で人を引っ張る力も必要。やっぱり、議員さんになるようなイメージでしょう。逆に言えば、そういう世間なれした人なら、芸術的センスが乏しくとも仕事ができるということですけどね。そこが地方の落とし穴ではあります。
ともあれ、これから私は、静岡発でどれだけ面白いものが作れるかを考え、実践していこうと思っています。多少の時間的余裕が生まれれば、勉強もするつもりです。今後ともよろしくお願いいたします。