ワークショップ第2日が無事終了しました。メニューを紹介します。

(1) 立つ・歩く・座る

(2) ポージング&ムーブメントA

(3) ポージング&ムーブメントB

(4) ポーズからポーズへのムーブメント(光と影)

(5) 色のムーブメント(単色/グラデーション)

(6) 歩行の創造(中年女性とその影)

(7) ポージング&ムーブメントによるコクトー『声』のエチュード

(1)~(4)は第1日のおさらいでした。(5)は昨日やらなかったエクササイズです。昨日の基礎練習を応用させた(6)と、このワークショップの最終目的であった(7)は、なかなか面白い出来栄えとなりました。参加者の皆さん、本当にありがとうございました。

自分個人の演出の方法を点検するためにワークショップを開催するなんていうのは、人生初の試みでしたけれども、やってよかったです。毎年夏の恒例にしてもいいんじゃないかと感じました。やってみて気づいたんですが、これは「中級者向け」のワークショップなので、次回以降、実際に芝居で使ってみたい俳優さんたちを招いて、オーディションをするつもりでやってみるのもいいかもしれません。まあ今回もオーディション的な場ではあったんですが。

終了後の飲み会はなんと3次会まで続きまして、最後は身内だけの反省会となりました。そこで、ある演劇通が「大岡は90年代は積極的に情報発信していたが、今はどこで何をやっているのか皆目わからないじゃないか」とおっしゃっていたと知りました。地方で活動しているので東京に情報が伝わらないのは仕方がないですが、でも確かに私自身、今は発注に応えて作品を創っているだけなので仕事のしかたはプロなんですけど、でもそれって要するに新劇の演出家とおんなじじゃん、やってる内容が違うだけで、と気づいて自分で愕然としてみました。

演出というのも技術なので、それなりに蓄積があれば、だんだん食えるようにはなるわけです。ただ、小劇場演劇のように作家性をもった存在となるか、新劇のように作家性を消して職人に徹するか、というところで、スタイルがわかれます。私の場合、作家性を保ってまで追いかけたい課題を見失っていますな。今回のワークショップのように方法論だけは形になってきているのですが。

90年代にやっていた商品劇場には、デリダの『他の岬』に通じる「ヨーロッパ文化の脱構築」という戦闘的なコンセプトが存在したんですけどね。日本でやる意味が自分でもわからなくなったので、やめてしまいましたけど。あの頃は、アングラ演劇も大きく見ればオリエンタリズムの範疇に入ってしまうじゃないか、という批判を持っていました。

これは、今考えても、知的な認識としては非常に正しい。そして今も、こんなポリシーを掲げている演出家は他に存在しない。20代の大岡は何をやらせてもグズで、あちこちで迷惑ばかりかけてましたけど、頭だけは冴えていた証拠だと思います(笑)。ただ、海外の演出家たちとおつきあいするようになって、「君は日本人なんだから日本の戯曲を演出するべきだ」というような素朴なナショナリズムに感染してから、軸がぶれましたね。何をやっていいのかわからなくなりました。

もうひとつ、商品劇場時代は、そんなわけで方向性は間違ってなかったんですけど、それを具体化する方法論を持っていなかったですね。

今は方法論はそれなりに持っているわけですけれど、はてさて、それで再びかつてのコンセプトを復活させることに意味があるかどうか。もしやるなら、日本でやっても何にもならないので、それこそヨーロッパでやるべきじゃないかという気もしますが。そんな機会がいつか訪れるかしらん。