「SPAC俳優による朗読とピアノの午後」終了しました。第1週の演目は舘野さん貴島さんペアとピアニスト吉田伊津子さんによる「親から子へ伝えたい17の手紙」で、劇的世界の中に朗読を位置づけるというスタイルが、見事に仕上がったという感じでした。こういうのを異化効果と呼ぶんだろうなあ、とふと思いましたな。
第2週の演目は、布施さんの「春と修羅」、池田さんの「智恵子抄」で、ピアノはおなじみ渡会美帆さんでした。布施さんも池田さんも、昨年よりコラボ作品としての完成度が一段深まった感じで、なかなか感動的でした。渡会さんの作曲・演奏は、前半と後半で演目が異なるわけですが、これがひとつづきの楽曲に聞こえる感じがまたよかったです。
そして第3週は、石井さんによる「女生徒」、奥野さんによる「狂恋のメデイア」で、「女生徒」は、朗読の合間にMCを差し挟むという大岡の技を伝授、果たしてどうなるか賭けでしたが、本番では女性のお客様方の共感を呼んでおり、一安心でした。スタンダードな朗読としての出来もなかなかだったと思います。「メデイア」は、昨年に続く奥野さんのエンタメ路線(?!)で、実に楽しい内容となりました。テキストに笑える要素が全くないのに笑わせるところが冒険でして、私としてもやりがいがありました。いずれも、栗田丈資さんという第一級のジャズピアニストをお迎えして、絶妙なセッションを展開していただき、大船に乗ったような気持ちでやらせていただきました。栗田さんのテクニックとセンスとバランス感覚には目を見張るばかりで、稽古しながらゾクゾクしてしまいました。この稼業についてよかったと、本気で思えた瞬間でした。
振り返れば、静岡に来てからというもの、舞台を演出するときは、すっかりプロとしての構えで臨むようになりました。とりわけ、お客さんを飽きさせないためにどうするか、なるべくわかりやすくするためにどうするか、上演時間はどのくらいに収めるか、ということを強く意識するようになりました。「朗読とピアノ」は、良い練習台にさせてもらっています。観客とは即ちお客様である、という当たり前のことも、今さら腑に落ちたような気がします。
しかしこれが成り立つのは地方だからであって、東京で劇場に集まるのは、自称セミプロの同業者ばかりであり、みんながみんな「自分も負けていない」ことを確認するために他所の公演に参集するという、なんつーか、不健全な、閉鎖的な、マスターベーションな状況にあるわけですな。奇抜な「自己表現」の競い合いですな。故・中島梓が『ベストセラーの構造』(ちくま文庫)で喝破した、「作家になりたい人が作家を支持する」という撞着構造と同一ですな。文芸誌の発行部数を、新人賞応募者数が上回るというアレですね。
幸いにして、舞台芸術は複製技術に還元できないので、地方に身を移せば、この撞着構造から逃れることが可能です。しかしいずれは、地方も「自己表現」の波に呑まれてしまうのかもしれません。そのときこそ、他のジャンルの後を追って、舞台においてもプロの役割が終焉するのでしょう。ただ、芸術は万人に解放されてその特権性を失うでしょうが、エンタテインメントは商売として残るはずです。となると舞台の場合も「良質なエンタテインメント」を創造しえた才能だけが、次の時代を生き残ることになるのだろうと思います。