てなわけで、毎度毎度の新幹線車中であります。ただいま、岡山から静岡への帰りです。

岡山舞台芸術ゼミナール「現代日本の名作戯曲を読む vol.2」の60年代シリーズで、今回は、寺山修司『犬神』三島由紀夫『サド侯爵夫人』を扱いました。前年度にも増して受講者の意欲が高いので、毎回、時代背景・作家の特徴・作品の主題に関して、けっこうハイレベルな解説を付け加えてします。とりわけ年輩の参加者の方々と「私たちにとって戦後とは何だったのか」を、戯曲を読む作業を通して考え直す時間になっており、講座の性格も明確になってきました。大岡はふだんはティーンエイジャーを相手にすることが多く、みんな何も知らないので基礎知識を説明するだけで体力を使い果たすことが多いのですが、大人相手だとそこはストレスがないですね。それに、静岡と違って「演劇や芸術なんて自己満足だ」とわざわざ私の前で大声を張り上げ、目立ちたがるような孤独な老人も来ませんので、ここだけの話、顧客が絞られてるってホッとします(ってまたこういうことを書くと「大岡は演劇や芸術を理解しない人たちを馬鹿にした発言をネット上でしている」ってすぐに揚げ足をとられるので、いちいち面倒臭いわあ!)。いやなにしろ「続く70年代は、寺山修司が『11PM』に出て、キンキンや巨泉を煙に巻くような時代だったわけで……」と言っただけでウケましたからね。というか、これは岡山の土地柄でしょうか。たぶん静岡で同じことをやっても、こういう盛り上がり方はしないと思うんですよね。まあひとつには、岡山は作家を多数輩出している土地だということがあるかもしれません。他県に比べれば、岡山の人たちは、本を読んで物を考えるのが好きなのかもしれませんね。ちなみにこれが、距離が近いとはいえ関西人になると「俺はこれだけ物を知っている」という、静岡とは真逆の「ボキ」アピールが加わってくるので、やっぱりくたびれます。

前回の講座の際、岡山操山中学高校にお出かけして、中学高校の両演劇部合同で、2日間の演劇ワークショップをやってきたんですが、今回、その生徒たちの感想も頂戴しました。これがまた、例外なくびっしり字が埋まっていて、勉強ができる子たちだとは聞いていましたけど、それにしても驚きました。各地でティーン向けの演劇ワークショップをやった際、いつも感想はもらいますけれど、こんなに重量感のある感想が寄せられたのは初めてです。やっぱり面白い土地柄です。

肝心の戯曲講座の中身ですが、60年代において「近代」批判というタームが登場しているということに注意を促し、これは具体的には高度成長(都市化・工業化・機械化)の負の側面に注目したものだろうと解説しました。そして、ベタに「西洋近代」を模倣した新劇とは対照的に、寺山修司(やアングラの演出家・劇作家たち)はネタとしての「土着」的表象を媒介として「近代」を撃とうとした、と概括。ついでに、アングラ演劇の追随者(例えばJPAFの若手たちのことですが)が抱える問題は、このネタとしての「土着」が、ベタなお手本になってしまうところだ、と指摘しました。

いっぽう三島由紀夫は、新劇の翻訳劇演技はものまね演技だが、その徹底ぶりにおいて世界の珍品であるから利用しない手はないと揶揄したうえで、ネタとしての「近代」をアイロニカルに演じ抜くことで「近代」を相対化した、と総括しました。言い換えれば、三島由紀夫は戦後日本に現出した大衆社会において、文学や演劇が「崇高」「神聖」な役割を果たしえないことを知り抜いていたわけで、それでもあえて文学や演劇を実践したところが面白い、と。そして、このように比較すると、アングラの演出家・劇作家たちよりも三島由紀夫の方が、少なくとも思想的には一歩上を行っていたように感じる、と述べました。

ただ一点、日常を超越した価値は、超越しているからこそ意味があるので、日常へと頽落してしまったらこれを扼殺しなければならぬ、という基本構造は、『犬神』と『サド侯爵夫人』に共通している。つまり、三島にしても寺山にしても、価値あるものは一瞬の輝きとしてしか成立しないと考えているわけだから、こういう人たちが40代の若さで死んでしまったのは必然だろう、とも付け加えました。こんなふうに、激しく生を燃焼させた傑物を輩出したという意味で、60年代というのはやっぱり面白い時代だったんだなあ、というのが結論です。

追記。寺山修司が煙に巻いたのは藤本義一だったかもしれませんな。どうでもいいか。