以下、ふじのくに⇄せかい演劇祭2015の関連企画「オルタナティブ演劇大学」のひとつとして、4月29日(水祝)15時から舞台芸術公園BOXシアターで開催するシンポジウム「アングラ演劇は死なず!-小劇場運動の50年-」の予習として、記しておきます。

 アングラとは何か、という問いを、演劇に限定せず、舞踊史・美術史・音楽史・文学史等に拡張するなら、それは結局、プリミティヴィズムとは何か、という問いに帰着する、というのが私の見るところでありまして。アングラは前近代的な表象をネタにしたわけですが、ピカソがアフリカを、ゴーギャンがタヒチをネタにしたのと、同じことだと思うんですね、大局的に見るならば。
 で、モダニズムからプリミティヴィズムがいかに派生するか、という問いに答えが出せれば、それがそのままアングラ演劇の発祥をも説明することになるんだろうと思うんですが。ただややこしいのは、演劇史の場合、モダンとモダニズムが混同されておりまして、他のジャンルにおけるモダニズムのような運動が、どうやら明確に存在していないんですな。ここでいうモダニズムとは、フォルマリズムとか、リダクショニズムとか、言い換えることができるのですが。19世紀において、自然主義に対する反発から生じた象徴主義が、モダンに対するモダニズムの起源であると言えましょう。

 舞台芸術の場合、演劇史より舞踊史の方がはるかに話はわかりやすくて、イサドラ・ダンカンからモダン・バレエが始まるとすると、モダニズムはその原点において既にプリミティヴィズムを胚胎させていたことになるわけで、その延長線上に、ニジンスキーも、土方巽も、出現するわけです。ところが演劇の場合だと、そのようなモダニズムを最も良く体現するのはおそらくメイエルホリドだと思いますけど、この人はスターリンによって処刑され、ソ連では「社会主義リアリズム」が公式化されてしまうから、話がややこしくなる。ただそれでも、俳優の身ぶりに注目し京劇を評価したブレヒト、ミニマリズムを徹底したベケット、バリの民俗芸能に注目したアルトー、「持たざる演劇」を追求したグロトフスキ、「何もない空間」を実践するブルックなど、モダニズムの系譜に属していると解しうる演劇人は存在します。遡って、チェーホフにおける演劇への自己言及を、モダニズムの萌芽と解することもできましょうし、スタニスラフスキーの芸術至上主義だって、モダンからモダニズムへの一歩を踏み出していたということになるのかもしれません。

 翻って日本の場合、村山知義こそ元祖モダニストだったはずですが、しかし特殊日本的事情が働いて、築地小劇場ではモダニズムは「様々なる意匠」の一つ、という感じで相対化されちゃったんだと思うんですね。ここらへんは文学と似ていて、日本文学も大正期にモダニズムっていえば横光利一と川端康成で、これすなわち「反プロレタリア文学」っていう程度のニュアンスでしかなくって、中村光夫じゃないけど、自然主義も矮小化されたけど、モダニズムも矮小化されたんでしょうねえ。自ら「様々なる意匠」に収まっちゃった感があります。千田是也もモダニズムをよく理解してた人だと思いますけど、それこそ、自然主義もプロレタリア演劇もスタニスラフスキーもビオメハニカも異化効果も、何もかもぜんぶ一緒くたでやんなきゃいけない、それがモダンな演劇運動=新劇の使命だ!って姿勢だったんでしょう。『近代俳優術』は、網羅的過ぎるからこそ、もはや誰も指導できないマニュアルと化してしまった。
 そうすると、モダニズムってのは、少なくとも日本演劇シーンでは、ずっと破産させられてきた運動で、それが60年代後半になって一気に運動として勃興したのがアングラだったというのが私の解釈なんだけど、当のアングラは「反近代」とか標榜していたから、概念的には余計話がややこしくなるわけです。しかし確かに、自己言及的・自己否定的契機を孕むのがモダニズムではあるからして、モダニズムというのはモダンにしてアンチ・モダンであるという、なんかちょっと弁証法的な理屈を立てなきゃいけなくなって、ああややこしい。

 では、60年代になってなぜモダニズムが噴出したか。アングラ演劇の主役である第一世代は青春時代に60年安保闘争を経験していて、安保闘争の主役はブント率いる全学連主流派で、じゃあ全学連主流派って何かと言えば、日本共産党が六全協で放棄した武装闘争路線を継承し、暴力革命をやるぞ!って過激化した学生たちだったわけで。さらに、党に対する不信感の前史として重要なのはハンガリー動乱で、フルシチョフによるスターリン批判を経て、なおソ連が民衆蜂起を鎮圧したことが、日本で「新左翼」を生むきっかけとなったわけですな。
 で、安保闘争における「同伴知識人」の代表格と言えば吉本隆明ですが、吉本の自立論というのは、簡単に言うと、もう党の言うことに唯々諾々とは従わないぞ、好き勝手にやるぞ、という宣言だったわけですね。これが文学・芸術に持ち込まれると、プレハーノフたちの反映論を批判し、芸術至上主義(=言語の「自己表出」機能)を唱えることになった。つまり、これこそが和製モダニズムなんですよね。
 安保闘争以降、60年代を通して吉本の影響力は強かったわけで、アングラも当然影響を受けていたでしょう。吉本は、左翼的な政治性を備えた文学・芸術を片端から「スターリニスト」と罵倒していったわけだけど、でもメイエルホリドなんかは、モダニズムと革命礼賛を結合させていたわけで、そもそもロシア・フォルマリズム、ロシア・アヴァンギャルドってそういうものだったはずですね。日本では、芸術のアヴァンギャルドと政治のアヴァンギャルドを結合させるべきだと主張していたのは花田清輝だし、それを演劇でやろうとしたのは千田是也だったと思いますが、ところがこのような「文化左翼」は結局、党の外に支持者を広げることには失敗した。「極左冒険主義」を切り捨てた時点で、信用が得られなくなっていた。ここらへんが、なんというか、私みたいな学生運動壊滅後の世代には、理屈ではわかっても、なかなか実感がわかないところなんですよね。結果的に日本のアングラ・カルチャーは、ヌーヴェル・ヴァーグとは少し違った方向に展開した。少なくとも、ゴダールのように、マオイズムに接近するようなことはなかった。大島渚だって『愛のコリーダ』以降は急速に非政治化した。シチュアシオンのような運動も日本には登場しなかった。そのかわり、アングラ・カルチャーは、70年代以降サブ・カルチャーに変質していくわけです。

 アングラの思想的原点が日本モダニズムだとすると、その日本モダニズムの体現者は、戦後においては吉本隆明、戦前にまで遡るなら小林秀雄だった。吉本は消費社会の肥大を「大衆の原像」の名において追認したわけだけど、これとて、小林秀雄の例の「俺は馬鹿だから反省などしない」、つまり大東亜戦争追認のバリエーションって感じもします。こんなふうにモダニズムが非政治化してしまうことは、ある意味ではモダニズムの徹底なんでしょうが、それが戦前でも戦後でも、マルクス主義ないし日本共産党に対する反発に由来している点に、日本近代の特殊事情があるとは言えるでしょうね。
 そんなわけで、アングラには「政治的でありながら政治的ではない」という両義的で逆説的な性格がつきまとっていて、それが確かに面白いところではあり、これがベタにノンポリ化したらサブカルチャーになっちゃうわけだけど、その微妙な差異をとりあげて、アングラの側だけを特権化できるかどうかと考えると、そこがちょっとよくわからないんですよね。思想的には、「左翼でありながら左翼ではない」新左翼をどう総括するかって話とパラレルなのかなと思いますが。「小劇場運動50年」というフレーズは、だから、良くも悪くもこの50年には連続性があって、アングラはイイけどサブカルはダメだって、そう簡単に切断できないんじゃない?って問題提起をも、含めたつもりではあります。

 ということで、この続きは、どうぞ4月29日のシンポジウムにて、お楽しみ下さい!