先日、SPACが開催しているShizuoka春の芸術祭2007で、ピッポ・デルボノ・カンパニーの『戦争』『沈黙』を鑑賞した。

舞台芸術公園の野外劇場で、豪雨の中で上演された『沈黙』も素敵だったが、やはり凄かったのは静岡芸術劇場で上演された『戦争』である。作為的な「演技」を排し、出演者が己の存在そのものをさらして、人と人が共存しうる地平を目指すパフォーマンスの数々は、第一に〈代行=表象〉のメカニズムを回避してなお演劇を成立させようとしている点で、第二に〈代行=表象〉行為としての演技に代えて、表現形式の中心に詩的言語を据えるという一種の古典回帰により作品に骨格を与えている点で、これぞ世界の最前線と呼ぶに相応しい内容であった。多分にピナ・バウシュの影響を感じさせる演出であったが、あれよりももっと徹底して作為や技巧を放棄しており、潔く、勇敢である。ピッポ・デルボノ自身、演出家として舞台の陰に隠れて全体をコントロールするのではなく、馬鹿正直に舞台上に登場し、時に詩を朗読し、時に絶叫し、時に躍り回る。その様はあたかも、この世界にはリーダーはいても支配者はいない、と高らかに宣言しているかのようだ。

ところで思えば、私が芝居をやろうと思ったのは、ウィリアム・フォーサイスの『失われた委曲』と、ピナ・バウシュの『1980年―ピナ・バウシュの世界』という2本のダンスを観たことがきっかけである。これらダンス作品に触発され、このようなインパクトを備えた作品を演劇という形式で具現化できないだろうかという思いが、22歳で商品劇場を立ち上げて以来、演出家として仕事をする際に常に原動力となってきた。このたび、ヨーロッパの超一流が、私などよりははるかに見事にその具現化を成し遂げている様に接し、大いにショックを受けた。否、今さら「ショックを受けた」なんてナイーブ過ぎる。そりゃそうだよな、私が西洋の演劇史から導き出した結論など、当の西洋の連中の方がはるかに自覚的に引き受けているよな、と納得させられた――これが正直なところである。

このような作品を観てしまうと、もう私のような小物が、わざわざ作品を創る意義などない、それどころか批評する必要もない、ということを痛感させられる。舞台の仕事から一切身を引いてもいいとすら思う。ピッポ・デルボノに限らず、ヨーロッパには優れた舞台人が数多く存在する。私ごときがこんな極東の小島でジタバタしなくても、ヨーロッパの人々は、優れた演劇や舞踊や音楽を、これからも守り通していくだろう。じゃあもういいじゃん、俺なんかが何かしなくても、別にカネになるわけでもないし。いつも引用するカフカの台詞を思い出す。「希望はある。ただし我々に、ではないんだよ。」

しかしそもそも、不特定多数に向けて何かを表現するなんていう行為に、どんな意味があるのだろうか? 世間のしがらみから逃れつつ、それでもなお他人から認められたい、というナルシシスティックな願望を満たすより他に、何か意味があるのだろうか?

その点、生前知られることのなかった創作家の存在は、表現衝動は必ずしも他人に向けられるものではない、という事実を明かしていて興味深い。そのような表現行為はもう、内心の混沌に何らかの形を与えずにはいられない、という、正気と狂気のせめぎあいによって生じたものなのだろう。

もっとも、そのような「狂気」と「表現」の結びつきという観念自体、極めて19世紀的なロマンティシズムの産物ではある。

いったい、私にはまだ、何かを表現する必然性が、残っているのだろうか?

私の「脱演劇」は「脱物語」でもある。近代日本には、物語を表現する演劇は入ってきたが、詩を表現する演劇はなぜか移植されなかった(翻訳言語の問題であろう)。新劇も、アングラも、今日の小劇場演劇も、全て前者の眷属であって、ここから離脱しようとするともはや日本では「演劇」という範疇から外れることになってしまう。詩的言語を中心に据えた舞台作品は、日本では「パフォーマンス」と捉えられてきた。私たち普通劇場も、積極的に「パフォーマンス集団」を標榜することとなった。

ところで、今ちょうどメガロシアターのために「エンドレス・ノート」と題したテキストを書いているところだが、普通劇場でも、秋ないし冬に予定されている本公演では、大岡の執筆するテキストを、基本的なフレームとして設定すればいいのではないかという意見が出た。最近私はE・M・シオランの『絶望のきわみで』(紀伊国屋出版)を読んでいるのだけれど、沈黙することと語ることとのきわどい境界をたどって綴られた言葉の数々は、到底「他者から承認されたい」などという安っぽい動機に発したとは思えず、なるほど人間には、誰に宛てたというわけでもなく、やむにやまれず文を書くことがあるのだな、と思わせられた。そしてそれは、19世紀的な「狂気」に回収しきれるものでもない。むしろ「理性」の徹底化の果てに辿り着いた、思考の極北というべきではないだろうか。

そういえば商品劇場時代、ヴァレリーの『テスト氏』を芝居にしようと考えていたことがあった。また、私自身が手がけた上演テキストでこれまでに成功したのは、『聖ニコラスの大航海』であり『神楽坂交響楽』であろう。この路線を徹底するのが、普通劇場の一つの方向性なのかもしれない。

あるいは、思考の極北において、なにごとか言葉にする必然性すら失っているのならば、もう舞台との関わり自体を絶ってしまうべきだろう。