大学の講義の準備で、森本薫『女の一生』を読んだ。これは、毎度の直感的な発想でいえば、イプセン『人形の家』の続編ではないだろうか。『人形の家』のノラが、自我に目覚め「家」という軛から逃れたのに対し、『女の一生』のけいは、天涯孤独の身の上ながら資産家の一族に仲間入りし、ついには「家」の支配権を握るに至る。しかし皮肉にもその軌跡は、日本帝国主義の支那への進出とぴたりと一致していた、というお話。どことなく、有島武郎『或る女』のネガという感じもする。

こういう新劇の名作戯曲は、はっきり言って、芝居を観ずに戯曲だけ読んだ方がよい。新劇のやりかたでは、どうしても戯曲の可能性を削減するふうにしかならないのだ。