吉祥寺バウスシアターで、ラース・フォン・トリアー監督『ドッグヴィル』を観る。バウスシアターは家から歩いて5分のところにあり、面白い特集を組む好みの映画館ではあるのだが、これだけ近所にあると却って足が向かなくなる。不思議なもので、以前下北沢のザ・スズナリの裏手に住んでいたときも、スズナリやら本多やら駅前やら、却って足が向かなくなった。いつでも行けるからいいや、と思ってしまうのである。

で、『ドッグヴィル』であるが、「凄まじい」としか言いようのない映画であった。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でやりたかったのはこういうことだったのか、とようやく腑に落ちた感じである。あの映画でビョークがやったのは、つまるところ情に厚いお母さんであり、次々に不幸に見舞われる不条理な設定を取っ払ってしまえば、普通に共感できる庶民的な女性であった。監督は、おそらくその凡庸さを嫌ったのだ。しかし、ミュージシャンにそこまで要求するのはいくらなんでも無理だろ(笑)。だが『ドッグヴィル』のニコール・キッドマンは、さすがにハリウッドの大物女優である。監督の要求に見事に応え、浮世離れしつつもどこかに聖性をたたえた、「アルカイック」とでも形容したくなる魅力的な人物像を作り上げた。これだけでも一見の価値はある。

テーマとしては、全編がアメリカ社会に対する挑発、皮肉、呪詛、罵倒、全否定に終始している。これだけ徹底的にやりこめている映画も珍しい。監督は一貫してアンモラルな世界観を描いており、ある意味で芸術家の王道を歩んでいるが、私としてはそのアンモラルの「浅さ」がひっかかって好きになれなかった。しかしこの作品は攻撃対象にアメリカを選んでいるので、ニヤリとさせられた次第である。