SPACで演出した『大人と子供によるハムレットマシーン』に出演していたもげちゃんが、詩のボクシング神奈川大会で優勝し、全国大会に出場することになったそうです。おめでとうございます!!
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観劇された皆さん、どの役をやった子が覚えておいででしょうか。ラストシーンで「私はオフィーリア」って言ってた人です。思い出しましたね?
桐朋で教えていたとき、私は、俳優やタレントを志すのは諸君の勝手だが、いつまでに何を達成できなければ断念してカタギになるのか、「夢を諦める日付」を決めておきなさい、と、冷や水をぶっかけることしか言って来なかったわけですが。これはそれ以前、川崎市多摩区の多摩市民館でチューインガム過激弾というミュージカル・ユニットをやったときの反省に基づいていたわけですが。もっとも、このチューインガム過激弾からは、パフォーマーの石橋愛子が輩出されましたけれども。あと、まだ見たことないけど北京蝶々という劇団で女優をやっている岡安慶子さんも、やはりチューインガム出身ですな。岡安さん元気かしら?
一般論としては、こういうヤクザな世界で生きていきたいという若者には、馬鹿なことを考えるのはやめてカタギになりなさいというアドバイスをするしかないのですけれども、ただ稀に、ギラリと光るポテンシャルの持ち主がいないわけではなくて、偶然にもそういう人と出会った場合は、発想を切り替えねばなりませんね。必要があれば何かチャンスをあげなきゃいけないとも思いますし、表現活動と生活を両立させるための最善の策をアドバイスしなきゃならないとも思います。今さらながら、かつての自分に必要だったのはそういう助力だったと思うのですね……。まあ、人の言うことに耳を貸す精神的余裕などありませんでしたけど、私の場合は。
諏訪哲二さんが『間違いだらけの教育論』(光文社新書)の中で、内田樹さんの教育論を批判して「先生は師ではない」とおっしゃっていて、目から鱗が落ちたのですが。どうも私は「先生と生徒」という関係に違和感を覚えていたようです。桐朋でモヤモヤ悩んでいたのも、果たして舞台のプロになるなんてことが、「先生と生徒」という関係性によって達成できるのか?という疑問だった、と言ってもいいかもしれません。「師と弟子」なら何とかなりそうですけれども、「先生と生徒」でプロにはなれないでしょう、結局は。私は私なりに「教育」という仕事を――舞台の片手間ではありますが――続けてきているので、「先生と生徒」という関係性をそれなりに尊重してきたんですが、舞台の世界における「師と弟子」の関係性をこれと混同してしまったことが、間違いだったと改めて気がつきました。このふたつは峻別しなければいけなかったのでしょう。
もげちゃんを勝手に大岡の「弟子」にしちゃいけませんが、しかし、私の現場を通過した若い衆がどう育つかという課題に対して、ひとつ明快な答えを見せてくれたように思います。ぜひそのまま突っ走って下さい。全国大会で思いっきりハジケて下さい。期待しています。あと、「詩のボクシング」出場を薦めてくれた学校の先生は、素晴らしいと思います。
なお彼女は、SPACで10月に上演する『世界は踊る』にも出演してくれますので、こちらもお楽しみに。