中教審が、中学体育で武道とダンスの両方を必修化することにしたらしい。

http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070904/gkk070904006.htm

誤解している人が多いが、既に中学体育に武道とダンスは入っている。ただこの中教審の決定の画期的な点は、「男女が武道もダンスも両方やる」と規定しているところだ。いまどき公教育の必修科目レベルでジェンダーを持ち込むのは時代錯誤も甚だしいから、いいのではないだろうか(なんとなく、「つめこみ教育派」と「ゆとり教育派」の合作、という感じがしなくもない)。女子は恐がらずに戦う術を身につけ、男子はこっぱずかしくても蝶のように舞えばよろしい。朝のニュースで小倉が「武道はともかくダンスはどうよ?」とコメントしたようだが、しかし武道だって、勝敗を競うだけのものではないだろう。あえていえば、武道は倫理的身体を育て、ダンスは美的身体を育てる。産業社会が要請する実用的身体から解放された身体のありかたを習得する時間として位置づければ、公教育に導入する意義はじゅうぶんあるように思える。まあ、安倍ちゃんはそんな高尚な理屈は考えてないだろうけど(笑)。

ただ、ダンスを体育ではなく表現教育系の科目として位置づけるやりかたもあろうとは思う。体育から切り離して、美術・音楽・演劇・茶道・華道・古典芸能……等々と並べて、表現教育系の選択必修科目の一つにするのもよかろう。私は、実技教科の必修は体育と技術家庭(ただしこれも、男女で内容は変わらないようにする)のみとして、それ以外は選択必修で――それこそ安倍ちゃんの大好きな規制緩和で――学校によって選べる科目が異なるということでいいのではないか、と考えている。

ところで、聞くところによれば、舞踊家たちはこの動きを推進したがっているそうだ。演劇人も、演劇を学校教育に導入することを悲願としている。公教育に位置づけることで観客層が拡大することを狙っているわけだが、これしかし短慮ではないのか。演劇人も舞踊家も、なにかにつけて「美術や音楽は公教育に入り込んでいて羨ましい」などと口にする。これってつまり教育の場で利権を拡大したいと露骨に言っているに等しいわけで、「教育に利害を持ち込むなよ」と説教したくなってしまうのだが、それは措く。改めて問いたいのだが、では公教育に導入されていなければ、音楽や美術は今日の地位を獲得できなかっただろうか? そんなことはありえない。どのみち音楽は、複製技術化によって市場を拡大しただろうし、美術は、広告媒体が氾濫し商品が高付加価値化を遂げるに伴い、やはりビジュアル・アートとして市場を拡大しただろう。若い男女がファッションにお金を使うのは、家庭科で裁縫を習ったからか? グルメがブームになるのは、家庭科で料理を習ったからか? 断言するが、そういうことはありえても微小な要因でしかない。公教育の助けなど得ずとも、資本が消費者の欲望を喚起する方法など、いくらでも存在する。それが全てだ。現に、映画もテレビもマンガもアニメも、公教育の助けなど全く得ていないではないか! 

だから、舞踊や演劇が公教育の中にポジションを得たとしても、お客さんが飛躍的に拡大するなんてことはあるまいよ。公立の学校の非常勤講師なんて、ギャラが安すぎて商売にはならないし、こういうことで変な期待をしない方がいいよ、舞踊家の諸君は。純粋に教育的意義があるからやるべきだ、ということをきちんと主張できないのなら、教育に首を突っ込んじゃいけません。