目が回る火曜日


1限「身体表現法」は、今日はみんなに楽器を持ち込んでもらって、即興演奏に挑戦してもらう。ジョン・ゾーンのコブラ、ブッチ・モリスのコンダクションをお手本として紹介し、指揮者がどのような身体所作をとれば、言葉で説明せずとも演奏家にイメージを伝えることができるか、グループ毎に色々試すよう指示。学生諸君はクラシックとポピュラー音楽くらいしか知らない若者なので、フリー・インプロヴィゼーションのイメージが共有できていない点でいささか辛いところもあったが、指揮者のセンスでうまくできたチームもあった。私はまともに楽譜も読めないどころか楽器も触れないというのに、長年の現場経験で、音楽専攻の学生相手にこのくらいの指導はやってのけちゃうのである。

2限「日本演劇史(現代)」。ついにゲストで蜷川幸雄学長登場。蜷川さんは、さすがにホンモノの演出家である。的確な言葉を無駄なく選んで話をする様に、ちょっと圧倒された(演出家は、俳優を相手に言葉で勝負する仕事なので、人前で話すときの言葉はこなれているはずなのだ、ホンモノであれば)。高校生の蜷川少年が、1952年三越劇場で、ぶどうの会「蛙昇天」を観劇した経験について語ってもらう。プロセニアムの枠をはみ出し、エプロン(前舞台)を駆け回って「戦争は嫌だ」と叫ぶ、母親役の山本安英さんのダイナミックな演技(ただし、決しておしつけがましい演技をする人ではなかった、とこれまた的確な補足説明)に接して、演劇とはなんと生々しい力を備えた芸術だろう!と蜷川さんはショックを受け、これが芝居を始める一つのきっかけとなったのだそうだ。いい話である。

ところで、こういう具合に立体的な講義をデザインしてみせる私の能力は、はっきり言って、日本でも一、二を争うくらい突出したものだと思うのだが、学生は「まあそんなもんだろ」という感じで聴いているので、むかつく。お前らもっと有難がれ。感動しろ。くそ。

川越に移動し、午後の4限5限「文章表現法」は、なぜか、大日本帝国憲法と日本国憲法の比較分析。自分も素人なのに、社会科学の手ほどきをしてしまう。政治学は多少独学で勉強したからなんとか対応できたが、しかしこれはこれで凝りすぎてしまい、時間が足りなかった。

夜、東京文化会館でジェシー・ノーマンのモノオペラ、シェーンベルク「期待」・プーランク「声」の2本立てを聴く。むろん歌手の力量は圧倒的なのだが、しかし正直言って、ソプラノだけを延々と聴き続ける(それも単なる歌曲ではなくてオペラだから、台詞になっているのだ)というのは、ちょっとしんどい行為であった。演出も、セノグラフィは美しかったけれども、もっと工夫できたんじゃないかという気がした。普通のオペラの方が楽しめただろうな。