橋下失言と麻生失言が、話題となっている。橋下氏の「米兵は風俗業を活用しろ」は、たぶん本気の提案だったのだろうが、おそらく米国は挑発と受けとめただろう。麻生氏の「改憲はナチスの手法に学べ」は、安倍総理とそのブレーンたちに対して性急な改憲を戒める皮肉だったのだろうが、これもおそらく米国は、旧枢軸国の本音のあらわれと受けとめただろう。

ところがその一方で、現政権もTPP参加には積極的であり、米国追従を続けているように見える。橋下氏も「風俗業活用」は、米国におもねって撤回したし、麻生氏も「ナチス改憲」は、サイモン・ウィーゼル・センターの批判を受けてただちに撤回した。一方で米国を挑発し、他方で米国に卑屈なまでに阿諛追従するという、この保守政治家たちの二重性はどこから来るのだろうか。思えば、『「NO」と言える日本』を声高に主張した石原慎太郎が、米国ヘリテージ財団の傀儡のような立場を隠していないことも気になる。

いったい、日本の保守派は、親米なのか反米なのか?

先に答えを示しておきたい。そもそも日本の保守思想は、親米保守と反米右翼のアマルガムによって成り立っており、そこには根本的な矛盾が隠れている。

前提として言っておくと、政治思想は大雑把に分ければ、左翼・右翼・保守の3極によって成り立つというのが私の考えである。左翼思想も右翼思想も革命志向であり、ただし前者は万民の平等、後者は民族の誇りを重視する点が異なる。対するに保守思想は反革命である。ではそもそも保守思想とは、何を保守する思想なのか。そこは、近代政治思想の源流であるヨーロッパでも諸派、考えは違うだろう。王制を保守する、貴族階級を保守する、キリスト教を保守する、等々。例えば、福田恆存や西部邁が注目した保守思想家のチェスタトンは、英国のカトリック教徒であり、正統と異端を往還するカトリシズムの思想的ダイナミズムを、保守すべき対象と見ていた。

では戦後日本の保守思想が保守すべきものは何だったかと言えば、もちろん天皇制(国体)である。ところがややこしいことに、天皇は同時に、右翼思想の基盤でもあった。実際、近代における天皇の存在は、明治維新もそうだし2.26もそうだが、革命的行動の原動力となってきた。一人一殺で「君側の奸」を討てば大御心による善政が実現すると、少なくとも右翼思想の世界では信じられてきた。だが、天皇という伝統的存在が、同時に革命的存在でもあるというのは、やはり奇妙なロジックである。このようなロジックを正当化した典型は北一輝だが、さらに思想史を遡れば“伝統的存在を革命的に持ち上げた”尊王論のねじれに行き当たる。尊王論は、湯武放伐・易姓革命を否定することで、却って倒幕の思想的原動力となった。このねじれが昭和に入って表面化したのが、統帥権干犯問題や国体明徴運動における、保守思想としての天皇機関説と右翼思想としての天皇主権説の対立(久野収に従えば「密教」と「顕教」の対立)である。だが、これを思想的に解決できず、後者が前者を一方的に弾圧したまま、日本は敗戦に至った。

そして敗戦後にこの問題を再燃させたのは、三島由紀夫であった。昭和天皇のいわゆる人間宣言に対して、『英霊の声』で「などてすめろぎはひととなりたまひし」と呪詛をぶつけ、天皇が現人神であり続けることに固執した。一方、昭和天皇自身は、おそらく一貫して立憲君主論者であり天皇機関説論者であったろう。

つまり、日本の保守思想は、天皇制より他に保守すべきものを見出せなかった。ところがその天皇を崇拝する思想の核は、天皇親政を理想とする伝統的・革命精神によって構成されていた、というわけである。かくして保守思想はその中核に右翼思想を密輸し、その結果、例えば右翼の反米的な主張である「東京裁判史観」批判に対して、親米的な態度によって戦後体制を防衛せねばならないはずの保守が、迂闊にも賛同してしまうという事態もしばしば生じてきたわけである。「新しい歴史教科書をつくる会」が掲げた「自虐史観」批判が典型だ。

保守思想にとって敗戦は躓きの石となっている。保守思想は反革命思想である以上、旧ソ連、中国、北朝鮮といった共産主義国に対抗するために、戦勝国であり占領国であった米国との軍事同盟=日米安保を、なにより尊重せねばならなかった。だが「反革命」にしても「反共」にしても、それだけでは積極的な理念にはなりえない(冷戦下ではこれを「現実主義」と称したこともあったが、空疎であることにかわりはなかった)。革命勢力に対して、共産主義の脅威に対して、何を保守するのか。国家を保守すると嘯いてみたところで、その国家体制は、日本国憲法をはじめ、敗戦により連合国からもたらされたものに過ぎない。保守すべき体制は、保守すべき実質を備えていない。ここに保守思想の抱えたジレンマがある。このジレンマを乗り越えようとしたとき、かろうじて戦前から戦後へと連続している天皇制が、保守すべき対象として見出される。ところが、そうすると今度は、保守すべき伝統的なものは革命的なものでもある、という新たなジレンマに突き当たる。

伝統的・革命精神を継承する右翼思想から、対米自立に帰結する日本国憲法廃棄論や自主憲法制定論が生まれてくるのは自然なことだ。そして、安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」も橋下徹の「日本維新」も、このような右翼的発想を「改憲」へとソフトに焼き直した理念だが、日中の軍事的衝突が米国の利益にかなうという条件が整わない限りは(言い換えれば、米国の外交政策が完全に軍産複合体に掌握されない限りは)、米国に対する無益な挑発にしかならないだろう。

反革命思想が革命精神に依拠せざるをえないという、戦後保守思想の抱えた矛盾。親米をポリシーとしているはずの有力保守政治家たちが、迂闊にも、米国を挑発するかのような失言を繰り返すという事態は、思想的にはこの保守思想の矛盾に由来するのではないだろうか。