超円高で輸出産業は青息吐息と言われ、今年に入ってから円安に振れたかと思いきや、またジリジリと円高に向かいつつあるようである。このような状況下で、消費税増税を決めることの意味とは何なんだろう。経団連はこれを歓迎している。消費税を増税する分、法人税が減税されることが確実だからだろう。内需に依存しない輸出産業からすれば、税収など日本国内でどうにかしてくれ、こっちは諸外国と競争する中で、少しでもコストダウンできるかどうかが死活問題だ――とでも言いたいところだろう。「財政健全化」を目指した消費税増税により、ただでさえ低金利の日本国債は、これでワンランク格付を上昇させ、これまで以上に「健全」との評価を得るだろう。そうすると、低金利での資金調達を目指した投機マネーの流入はとまらず、為替は円高に振れて、これでは結局法人税を減税しても、更なる円高で相殺されてしまうのではないかという気がするが、そんなことはないのだろうか?

まあ、財界に深謀遠慮などあるとは思えない。だが財務省が、検察を使って小沢の動きを封じ、自民と民主を野合させてまでこのタイミングで消費税を上げる背景は、単に「財政健全化」や「税と社会保障の一体改革」といった、国内要因のみには還元できないのではないか。ギリシアがデフォルトの危機に見舞われ、ECBの金融緩和で一息ついたものの、ヨーロッパ経済はなお危機的状況にある。アメリカも、FRBの金融緩和で最悪の事態は乗り切ったようだが、とはいえオバマ政権下のアメリカ経済は、わずかに景況感が好転したかと思いきや、不安材料となる統計数字が発表されて失速する、という一進一退を延々と繰り返しているように思える。つまり、EUもアメリカも綱渡り状態だ。そして、ユーロに対しても米ドルに対しても、世界の投資家が今いちばん警戒しているのはインフレだろう。

だが、実体経済からはるかに遊離した投機マネーは、それでもなお自己増殖を続けずにはいられない。そこでユーロや米ドルを警戒したマネーは、日本円・日本株・日本国債に向かったわけだ。しかし現状の日本国債の売れ行きをバブルと懸念する声もある。世界経済のインフレ懸念と連動した、日本国債のバブル崩壊を恐れた日本政府が、資産の切り売りや歳出の削減や景気回復などという、みみっちい、まどろっこしい手段は放棄し、ここであえて歳入の確保による「財政健全化」を宣言し、世界の投機マネーにとって安心安全な売り物をなおも提供し続ける――国債破綻の危機を回避するとは、裏返せばそういうことではないのか。円高も辞さず、内需収縮も辞さず、輸出産業の敗退も辞さず。アダム・スミスの教えに従えば、貿易収支が悪化すれば為替は反転して円安に向かうはずだが、なにしろ、原発事故が起きてすら粛々と働き続ける勤勉な日本人である。そこは歯を食いしばって、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、国内労働力はさらなる非正規化、生産拠点はさらなる海外移転、先端産業は死に物狂いの技術開発、かくして意地でもコストダウンを実現し、20年にわたるデフレの延長戦を、しばらくは継続してくれそうである。思えば昨年のG20で、野田総理は消費税10%を国際公約に掲げたのだった。

このように、国際社会から信頼され、インフレへの歯止めとして機能する通貨を、本当は「基軸通貨」と呼ぶのではなかったか。だが、日本円が国際社会で「基軸通貨」並みの地位を占めているにもかかわらず、わが国は外交上の主導権をほとんど有していない。現実には、日本企業はアジア諸国に工場を建て、雇用を生み出しているにもかかわらず、日本の国際的プレゼンスが高まれば高まるほど「北方領土」だの「尖閣諸島」だの政治問題がどこからともなく蒸し返され、日本を中心とした超国家的な政治経済圏を構築する動きは抑制される次第である。カネは日本、覇権は米国。どこまでいっても一蓮托生。これが現代の帝国の構成である。世界史で習った「皇帝教皇主義」のようなものであろうか。

基軸通貨並みに強い円を持ちながら、植民地並みにイニシアチブを喪失している。私と同世代以上の人々なら、なにやらデジャブを感じる話だろう。そう、プラザ合意からバブルへ、という80年代が、まさにそんな時代だった。そう考えると、国際公約化した消費税増税は、第2のプラザ合意と解釈できるかもしれない。ただし、今度はバブル崩壊は回避する。せめて、わが国が世界経済危機の発火点となり、歴史に汚名を残すことだけは避けようではないか。――財務官僚諸君は、そのように決意しているのだろうと、経済オンチなりに忖度している。