「べき論」を欲するのは誰か?


舞台芸術財団演劇人会議が発行している雑誌『演劇人』の最終号がぼちぼち書店に並んでいると思います。「21世紀日本の再生」というテーマで会員への原稿応募がおこなわれたので、大岡は「帝国復活論」と題した30枚の原稿を寄稿しました。内容をひとことで言えば、小さな政府の確立とセーフティネットの拡充という背反する目的を達成するために、日本国憲法を破棄し帝国憲法へと復帰せよ、という極右反動そのものの主張でして、これぞ新生自民党のマニフェストにぴったり(笑)という感じです。「戦前より戦後の方がマシ」とみんな思い込んでいるけど、本当にそうか?という疑問を投げかけてみました。故・江藤淳は「保守とはエスタブリッシュメントの思想である」という、正直と言えば余りに馬鹿正直な発言を残していますが、大岡はこの原稿では、エスタブリッシュメントの倫理に期待するという意味で保守の側に立っており、右翼にも左翼にも与していないつもりではあります。篠沢秀雄先生、南出喜久治先生、櫻田淳先生の影響を受けて、自分なりに勉強してきたことをまとめてみました。しかし、いちばん勉強している帝国憲法および君主制の意義についてはほとんど何も書けませんでしたし、軍備や核武装の問題も含め、いずれもっとちゃんとした形に仕上げたいと思います。

『演劇人』を扱っているのは、都内で言えば紀伊國屋やジュンク堂のような大書店のみですので、地方在住の方はぜひこちらをご利用下さい。まだバックナンバー一覧にアップされていないようですが、最終号は「第25号」です。

http://www.jpaf.net/info_mgzn/

演劇の雑誌に載せた割には演劇についてひとことも言及していませんけど、私は演劇なんてしょせんは金持ちの道楽だと思っていますので、金持ちが気持ちよく金を使う世の中が来れば、必然的に、演劇のみならず文化芸術はたいてい生き延びるだろうと。んなのはもう自明のことなので、言及する必要すら感じなかったですね。

それはそうと、こんなふうに社会評論の真似事に挑戦してみて、今さらながら、この手の評論と呼ばれるジャンルの存在意義に気がつきました。こういう文章って、書いている当人も、自分が主張する理想が実現するかどうかなんて、本当はどうでもいいって思っているんじゃないでしょうか。文章を通して世の中に何事か訴えかけたところで、現実は微動だにしない――と、そんなことは百も承知の上で、それでもあえて青臭い理想を語ってみせることが、現実に対する不満をくすぶらせている一定数の人々にとっては、ガス抜きになるわけですな。だからまあ、こういう言論はしょせん消費財だし、こういう執筆活動はしょせんパフォーマンスですな。最近で言えば、田母神俊雄氏なんて、なかなか優れたパフォーマーだしエンターテイナーだと思います。小林よしのり氏は、お株を奪われた感がありますね。

ただ、例えば演劇なんてのは何を語ったところで虚構でしかないって観客も承知しているわけですけど、評論は「ただのエンタテインメントです」とは名乗らないわけだし、確かに状況次第では現実を変える可能性をほんの少しですが持っているわけで、そう考えると、同じガス抜きでも、評論の方が罪が重いという感じがします。

私自身は、実際に「帝国復活論」を書いてみて、今後こういう「べき論」で読者を鼓舞するようなことは、一介のエンターテイナーに徹するのであれば、思想の如何に関わらずやらない方がいいような気がしてしまいました。しかし他方、そういう危うい一線を踏み越えてこそ本当のエンターテイナーだという気もするんですよねえ。まあ悩んでも仕方がない。神の見えざる手に従い、単純に商売になる方を選択したいと思いますので、しばらくはマーケッティング・リサーチに徹します(笑)。