リヒャルト・シュトラウスは、音楽監督とか指揮とかはやめて、蓄財を取り崩しつつ、ガルミッシュの山荘で作曲だけに専念する優雅な晩年を夢見ていたようだが、ナチスの政権獲得によってその夢は破れ、70歳を過ぎて否応なくファシズムに巻き込まれた作曲家だった。同時代のドイツやオーストリアにいたユダヤ人作曲家たちのように、アメリカにでも逃げればもうちょっと心穏やかな晩年が待っていたかと思うが、おそらく彼にはドイツ音楽こそ西洋音楽の中核であるという自負があったのだろう。標題音楽の名手なのだからミュージカルとか映画音楽とか手がけたらぴったりだったろうと思うのだが、そのようなアメリカ文化は彼の眼にはただの子供騙しにしか映っていなかったようで、彼が興味を示したのはあくまでオペラだった。だから彼はクルト・ワイルにもバーンスタインにもガーシュインにもなりようがなかった。しかし考えようによっては、たとえアメリカに渡ったところで彼は活躍のしようのないタイプだったのかもしれない。彼の音楽はいつも揶揄や挑発や嘲笑の対象を求めており、後半生でその傾向はなお強まった。ひょっとすると、ヒトラーより長生きしてやるぞ、という情熱こそが彼を創作に駆り立てたのかもしれない。確かに、治世で輝く才能もあれば、乱世で輝く才能もある。シュトラウスはたぶん後者であり、謹厳実直なお人柄の影に、乱世になると妙に心が躍るというデモーニッシュな性分を隠し持っていたのだろう。

 私なんかはそこに共感する。「平和な世の中があってこそ文化の華が咲く」みたいな考え方は、頭ではそうだよなあ正しいなあと思うが、なぜか私の心は踊らない。中学生の頃の「荒れた」学校環境と管理教育は正直私には過酷なものだったが、そのおかげで、ルールより暴力が、論理より衝動が、正義よりいじめが、慈愛より虐待が、友情より背信が、連帯より競争が支配する――それこそが人間の本当の姿であり、それ以外の人間観は虚妄に過ぎないという確信を得た。「ポピュリズム」批判なんてのはそんな虚妄の最たるもので、自身がいかに恵まれた境遇に育ったかを相対化できない輩による、特権意識の表明に過ぎないと理解している。本音むき出しの暴力性に身を委ねたいという衝動は、誰にも備わっているものであり、「ポピュリスト」限定の性向であるわけがない。むしろ昨今の政治状況によって私は、一切の偽善を排した「ふるさと」へ帰還するような、戦慄と郷愁がないまぜの、なんとも説明しようのない思いにとらわれる。そんな「ふるさと」には、きっと、リヒャルト・シュトラウスの音楽がふさわしい。

 さてそんなわけで、宮城聰SPAC芸術総監督から、リヒャルト・シュトラウスが日本政府の依頼により「紀元2600年奉祝曲」を作曲したというエピソードを中心に据えて戯曲を構想し執筆せよとのお達しを受け、静岡音楽館AOIとSPAC-静岡県舞台芸術センターの共催による公演、宮城聰演出・野平一郎音楽監督『1940-リヒャルト・シュトラウスの家―』に、戯曲を提供しました。4月29日にAOIホールにて本番を迎えますが、チケットは既に完売しております。興味のある方はこちらを御覧下さい。