「ヘッダ・ガブラー」を観る。


高知県立美術館舞台公演シリーズVOL.30/クリエイション05『ヘッダ・ガブラー』(イプセン=作、中島諒人=演出)を観劇し、演劇学者ハンス-ティース・レーマン教授と、その奥様で演劇批評家のエレニ・バルポロウさんと共に、アフタートークに出席。

芝居はなかなかの力作であった。ヘッダを男優と女優が2人1役で演じ、さらには、ヘッダの父である故ガブラー将軍の亡霊が登場するという奇抜な演出によって、父による去勢を「ピストル遊び」によって埋め合わせようとする、女性ヘッダの無意識に潜む男性性を暴き出すという趣向である。私などとは戯曲解釈の力点がずいぶん違うなと感じたものの、これはこれで演出家の独自のコンセプトとして成立しており、面白かった。ただ、鈴木メソッドによる演技様式と、70分という短い上演時間の枠組では、4人の主要登場人物がカルテットを奏でるこの複雑な物語を理解するのは至難の業であり、昨日観た限りではその点に不満を感じた。しかし今日の回は俳優たちに迫力が漲っており、細部に拘泥する必要を感じさせない、有無を言わせぬ説得力を感じることができたのも事実。2日間ともおつきあいして良かった。高知県立美術館の、能舞台を模した野外ステージの使い方もなかなか素敵であった。

アフタートークは、通訳の方が残念ながら演劇について詳しくはなかったため、中島氏と私の英語力を総動員して、レーマン教授とバルポロウさんのお話をうかがうという展開に。日本演出者協会国際部長として、ネイティブではない人々の英語に耳を傾けてきた経験がこれほど役に立ったことはない……が、しかし、もっとちゃんとした英語力があれば、今日はもっともっと手助けができたはずなのだ。己の非力に悔いるばかりである。

そこで、英語学習について思ったことを少し。言い訳するつもりはないが、私は学校英語しか勉強したことがないのだ。中学3年間・高校3年間+浪人1年間の計7年が、まともにやった英語学習の全てである。しかしこの中等教育の過程で、実は日本人は相当な時間と労力を英語学習に注いでいるはずで、これ以外に更に英会話学校に通ったりするなんて、いくらなんでも時間とお金の無駄遣いだろ!というのが、私の信念である。古臭い文献講読よりも「生きた英語」の学習を、という主張がこのところ盛んだが、これについては私は反対で、英語学習の中心は飽くまで名文を数多く講読することに置くべきであり、会話なんぞは反射能力の一種だから簡単に応用が効くという渡部昇一説を支持してきた。従って、渡部説を自ら証明すべく、断固として英会話学校には通わず今日に至るのである(?!)。

ただ、そうは言っても本場の英会話教育はなかなか面白い方法論を駆使していて、NHKの中級者向け英語番組(日本語が一切登場しない類)を見ていると、語学留学も悪くないという気にさせられる。ここを読んでいる大学生の皆さん、就職したら短期留学すら不可能になるから、語学は今のうちに海外で勉強しておいた方がいいよ。

思えば、1998年に日本演出者協会が開催した東南アジア演劇セミナーで私は事務局長を務めていて、仕事上、英会話の必要に迫られたのであった。あのときは初めての経験だったから、通訳の人たちに気の利いた言い回しを教えてもらいながら、海外から招聘した演出家たち(全部で10人位いたような気がする)に対してコミュニケーションを試みたのである。今振り返ると結構必死だったが、この仕事を通してひとつ気がついたのは、「見たことも聞いたこともないような難しい英単語は、日常会話では滅多に登場しない。相手の言っていることがわからない場合、本当は知っている単語を聞き取れていないケースが大半だから、相手にゆっくりはっきり言い直してもらえば、大概の内容は理解できる」ということであった。それ以来、協会でセミナーの担当スタッフとなる度に、なるべく通訳さんに頼らず、直接ゲストとやりとりするように頑張っている。ここを読んでいる受験生の皆さん、そういうわけだから、受験英語をしっかりやっておくに越したことはないよ。

しかし、私も他人に説教している場合ではない。もうそろそろ意識的に努力を重ねないと、英語力も頭打ちだ。今回みたいに悔しい思いをしないように、修練しなければなあ。