「他人から認められたい」というムズムズする気持ち(by小池龍之介氏)を振り捨てて、目の前の仕事に取り組むことに力を尽くせば、却って道は開けるのかもしれません。自分が次に進むべきステージが、おぼろげながら見えてきた気がする今日この頃であります。
目下、月見の里学遊館でモリエール『ゴリ押し結婚』の稽古中ですが、これだけ徹底してフィジカルな演出を施しているのは初めてです。リアリズムを探究し、インプロを実験し、ワークショップを練磨し、長い彷徨の果てに、ようやく帰るべきところを見つけました。まずはこの方法を武器として、行けるところまで行きたいと思っています。ただしこの先にあるのは、現在獲得している基盤から更に一歩飛躍した場所だという気もします。たぶん、もう一度、舞台人として本気で努力しなければならないのでしょう。どこで、どういうふうにかは、まだ全くわかりませんが。
物書きとしても、ようやく行き着く場所が見えてきました。先日「日本は帝国へ復帰せよ」という、極右顔負けのアジテーションを書いてみたのですが(ぼちぼち活字になります)、思想の左右に関わらず、こういう理想社会の青写真をスケッチした「べき論」を量産するのが「オピニオン・リーダー」の仕事なのだということが、自分でやってみてよくわかりました。いま仲正昌樹氏の『〈学問〉の取扱説明書』(作品社)を読んでいるんですが、ポストモダン左派の「べき論」を片端から斬って捨てておりなかなか痛快です。もっとも仲正さん自身の立場は、一知半解のまま安易な「実践」に走って知識人が自己満足することを侮蔑し、「理論」の限界をわきまえる正統派アカデミシャンということなので、そこが私とは異なります。私は単なる商売人だし、エンターテイナーなんで、別に「理論」にも「実践」にもコミットする気はないわけでして。
それより、思想の左右を問わず「べき論」(ハイエクの用語を借りれば「設計主義」)を回避したところで、世の中を茶化していればそれでいいのかな、という気がしてきました。「王様は裸だ」と、ただそれだけを連呼して、人々に笑ってもらえればそれで本望だなあ、と。従って、わかりやすく言えば、創作家としても批評家としても、〈笑い〉を追求することがこれからの私のテーマかな、とぼんやり考えております。ただしこれは、いわゆる「お笑い」や「ギャグ」とは全く異なります。遥か遠く古代ギリシアの、アリストファネス先生へと遡る旅路であります。