対談:モダニスト大岡淳をめぐって <第3回>

 

●ルネサンスとは何だったか

 
佐々木   最初に大岡さんがお話ししたような、演劇は西洋でできたもので、西洋とは何かという問いがありますね。で、西洋って一口に言えませんし、頻繁にひび割れを起こしているじゃないですか、いろんなところで、それは西洋の古典文学を読めば読むほど西洋が一枚岩でないことは逆にわかっていきますね。ドストエフスキーやダンテという大岡さんが取りあげた作家は、ひび割れの渦中ですよ。ただこのひび割れを多く起こした人こそが、西洋文学の第一級品になっているという。

大岡    その通りです。

佐々木   ひび割れを起こさなかった人たちは、埋没しているんでしょうね。当時は読まれたけど、というような感じで。

大岡    同時代的な共感に埋没しているものを、後世になってわざわざ読むのは歴史家だけだということでしょうね。司馬遼太郎や宮部みゆきが後世に残るとすれば、それは歴史資料としての価値しかないでしょう(笑)。

佐々木   大岡さんがこのへんの人たちを取りあげていくのは、確信犯的ですし、逆に、ここまで確信犯的に繰り返している人も珍しいんじゃないかとも思いますけどね。

大岡    内容もそうですし、手法としても、新劇的な手法は基本的に使ってないですね。ただ例外的に『マデュバイ小学校奪取』がそうなっちゃった、リアリズムになっちゃったんですけど。それ以外の作品は全て脱リアリズムですから。90年代版のモダニズムを、そうはっきりとは言語化できなかったけど、ピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイス、あるいはタデウシュ・カントールやハイナー・ミュラーに導かれて、自分なりにゴチャゴチャやっていたというのが僕の90年代でしょうね。

佐々木   そうですね。しかし、この西洋演劇が持つ古代ギリシア、ルネッサンス、英仏独という認識っていうのは個人戦でしか変えられなくて、大きくは新劇にしてもアングラにしてもそのヒエラルキーで見ていますね。この西洋のどの地点から見たんだよ、とつっこみを入れたくなっちゃうような歴史の流れで見ているわけですよね。しかも本人たちがあんまりそれを勉強しないでそう見ちゃっているから、こっちが何を批判しているのかも分からないっていう。なんて言うんですかね、大岡さんは、このへんはもう幻影と戦うことになるわけですよね。

大岡    そうですね。僕が味方だと思っていたのは例えば村上陽一郎とか伊東俊太郎とか、科学史家たちなんですよ。あの人達はルネサンスの意味を…

佐々木   科学史的に問い直すわけですね。

大岡    そうです。ルネサンスとは何だったかを、日本で本当にわかっているのはあの人たちだと。中世の間は、古典古代の文芸、あるいは化学、医学、数学といった知的遺産は、イスラムの側が受け継いだわけですよね。アヴィセンナとかアヴェロエスとか、そういう学者たちが必死に研究して、それが早くて12世紀くらいから――12世紀というのはつまり、十字軍に象徴されるように、西洋がじわじわと対外拡張を始める時代なんですが――徐々にまた西洋の方に、ゲルマン民族の方に環流していく。そこからルネサンスが成立して、それでようやく、僕らが教科書で勉強させられている、古代・中世・近代という単線的な歴史観が描けるようになるわけだけど、実は切断線がそこには存在している。つまり、西ローマ帝国がゲルマン民族の南下によって解体した時点で、西洋の古典文芸の伝統は一度切れているんですよね。それが回復するのがやっと12世紀以降。通常のルネサンスの定義で言えば14世紀から16世紀あたりでやっと復活して、元からあったキリスト教があり、プロテスタントも現れ、そこにユマニスムが合流するかたちで、ルネサンスのシンクレティズム、混交した文化が生まれてくるわけですよ。だから西洋は、実はリニアな歴史観は描けないんですね。偶然的な出会いによって様々な文化が習合したシンクレティズムに対して、我々は西洋というひとつの幻影をみている。そのことを明らかにしているのは、日本では伊東俊太郎であり村上陽一郎である、というのが僕の理解です。『科学史の逆遠近法』なんて村上陽一郎先生の著作がありますけど、この場合の「逆遠近法」とは、こちら側からのイメージを投影するのではなくて、むしろあちら側からこちら側を照射する。通時的にも共時的にも、単一なシステムとして描けない、多様なる西洋の側からこちら側を照射する――そういう試みこそが必要じゃないか。そんなことを考えていたわけです。

佐々木   高校生の時に、ファン・デル・ヴェルデン『代数学の歴史』を読んだんですけど、第一章は「回教国の三人の著者達」ってところから始まるんです。アル-クワリズミなんてところから代数学が語りはじめられるので、西洋中心に、というようには考えられないんですね。カジョリ『初等数学史』も有史以前から語りはじめ、アフリカ、インド、エジプト、バビロニアなどが最初に出てきます。まあ、ギリシア、ローマという線にいくのは、単純に、幾何学が軍事的な実用性を伴いながら哲学を含んだ考察をしていくというところなのかもしれません。何が言いたいかというと、文学をやりはじめたときに、思った以上に西洋中心というか、色々と輸入したルネッサンスを根源にしちゃうというか、もちろん、ルネッサンスは重要ですよね、根源ではありませんが。しかし、その重要さは、人文主義というものの考えです。ユマニスム運動。これは科学の全能性、進歩性というものを批判できる。科学批判、教会批判、ある種の体制を批判できるのが人文主義である、というのがあるわけですよね。だから、今の原発なんかもそうですけど、もともと人文的な批判が強ければ、出来ないんですよ、原発は。人文主義的な考えが人々に根付いてればね。ベタに言うと、制御できないものを扱えるのか、害を与えるものを作るということを、人文は批判しますからね。

大岡    なるほど。

佐々木   だけど科学者達はそれをいかに制御するかを考えてくわけだし。やってみなきゃ分からないこともあるわけだし、やれるわけですよ。やってみなきゃ分からないって、みんな好きですしね。もちろん中には、技術的にあやふやだからできない、という人もいますけど、それは別に人文的な判断でやめたんではなくて、科学者の立場として、テクニカルにできないからやめようと言っているだけの話です。そう、オッペンハイマーのように。人文的なものが弱くなると、どんなに暴走しそうなものだろうが出てきちゃうんですよね。

大岡    確かに人文主義は、傲慢な知性を戒めますからね。

佐々木   人文主義が出てきたのは教会などの統治・管理システムへの抵抗、批判ですよね。システムが明らかにおかしくなっているときに、批判できるのは何か、人文主義じゃないかというので、ルネサンスの思想は花ひらくのではないか、と思っていたんで、先ほどの大岡さんのお話は非常によく分かります。ルネサンスとは何か、という問いかけがあまりないまま西洋を漠然と捉えて、でその西洋がやってきた国民国家主導の近代演劇というものを鵜呑みにしつつ、日本でやってきたと。そして、このような鵜呑みに対して苛立ち覚えたのが近代演劇人、近代文学知識人たちですね。で、現在はというと、彼らの失敗、挫折というのを顧みないで延長していると。

大岡    しかも、嬉しそうにやるんですね。高校の世界史教科書レベルのリニアな歴史観をそのまま鵜呑みにして、西洋を祀り上げる。例えば、未だに英国留学というものに、日本の演劇業界はステータスを置いてるじゃないですか。何故イギリスなのか。もちろんイギリスはとても重要な国だけれども、英国帰りの演劇人たちが劇場で職を得て、じゃあ何故イギリスか、イギリスの演劇って何なのかということに関して、納得いく説明なんか一度も聞いたことが無いですよね。要するに、ただ単に日本が英語教育をやっていて、英語が通じるアメリカとイギリスを比べたら、イギリスの方がヨーロッパだからいい、シェイクスピアもいたし、というただそれだけの理由じゃないですか。そんなのは観光ガイドの表象、チープなオクシデンタリズムに過ぎなくて、まともな西洋感じゃないですよね。そう考えると自分の場合は、複雑なことをやろうとしてたんだな、と改めて思います。

佐々木   それは思いますよね。だからこそ、大岡さんが、モダニズムというものをもう一度ベタに考えようというのがあるんだと思いますが、これはさっき僕が言ったような社会と対峙してその中で自分はどうしていくか、という主体を作っていける人間を、どうやったら作ることができるのか、というようなことなんだと思いますが、そういった視点から教育に入っていくというのは非常に分かる部分ではあるんですよね。
 
 

●テクネーからテクノロジーへ

 
佐々木   作品の話だと他にも触れたいのが、さっきの西洋のど真ん中じゃなくて、今度は聖ニコラスとかベケットになってきますよね。

大岡    ええ、ええ。

佐々木   ベケットのアイルランドの固有性にこだわった、というのを個別で聞きたいんですが、どういうことでしょうか。

大岡    私が演出したベケットの『伴侶』は、横たわっている老人の頭の中で、自分の声なのに別の人間の声みたいに聞こえる声が響き渡るという、単純なようで複雑なテキストなんですね。で、複雑に複数の声が交錯するんだけど、でも現に目の前で起きていることは、老人が死にかかっている、ただそれだけのことである。ところで、このとき私が演出上のモチーフとしていたのは、コティングリー妖精事件です。コナン・ドイルが本物と信じたことで有名な、妖精写真ですね。写真という新しい発明を使って、ヨークシャーの姉妹が、妖精が写っている写真を捏造して話題となったわけです。あれがこの作品のモチーフですね。つまり妖精というのは、ケルティックなものですね。

佐々木   ケルティックというアイルランドの固有性?

大岡    妖精はケルティックだし、それを写真に撮るという発想が、ベケットの感覚に近いんじゃないかと。よく考えてみれば、近代的なテクノロジーに幽霊みたいなものを見出すっておかしいのだけど、でも柳田國男も、明治時代に初めて蒸気機関車が入ってきた東北の村では、お化け機関車が夜中走ってる、なんてフォークロアがあったと報告しています。テクノロジーが進展すると、逆に、非テクノロジー的なものの影がつきまとうわけです。

佐々木   狐が化けてくるみたいな。

大岡    ええ。「トイレの花子さん」も学校建築という、まさしくフーコー的な規律-訓練権力を体現した近代建築に出現するわけですね。つまり人間は、ガイストだかスピリットだかを、近代テクノロジーの只中に見出してしまう。写真撮るときに真中に立ったら魂抜かれるとかね。そういう近代的なテクノロジーと前近代的なフォークロアの同居が、ベケットの持っているメディアへのこだわりに通底するんじゃないか。特に、ベケットのテレビ作品を見ているとそう思います。そこで私の演出では、横たわる老人の頭の中で、あたかもあの妖精写真の中に写り込んでいたケルティックな妖精達が跳ね回るようなイメージを加えています。一見すると舞台の上は、アンドリュー・ワイエスの絵画のような、自然主義的にアイルランドの風景を思い起こさせる草原に覆われているんだけども、劇場のテクノロジーを生かしてその背景に浮かび上がってくるのは女の子たちで、生きているんだか死んでいるんだかわからない、パシャッて写真を撮ったときに写り込んだ妖精のような存在である。その妖精たちに囲まれながら、老人が雪降る中で死んでいく。そういうイメージの全体によって、『伴侶』のアイルランド性を浮上させたつもりです。たしかその頃に北文美子さんというアイルランド文学研究者と知り合って、彼女はアイリッシュ文学の文脈でベケットをやってたんですよ。だから、私のベケット理解は、彼女から示唆を受けた部分も大きいです。

佐々木   これとても興味深いなと思うんですが、ルネサンス人と近代人の違いみたいなことを言ってるんですが、ルネサンス人というのは自分の周りにあるモノがすべて何でできてるか、どうやって作られるのか、とういうのが全部分かっていた。だけど、近代人以降になると、コンピューターがどういう中身になっているのか専門家にしか分からない。自分の周りのテクノロジーが、何でできているのか分からないモノに取り囲まれている。というようなことを確か安部公房が言うんですよね。だからルネッサンス人が考える教養人というのは、すべてのものがわかっている人なんですよね。

大岡    うんうん。

佐々木   どうやって鉄を精製するのか…そういうことを知っていたんですよね、職人じゃなくても、教養人は。

大岡    テクノロジーじゃなくてテクネーですからね。

佐々木   手仕事で分かることですし、分かることと熟練することはまた違いますがね。

大岡    テクネーの段階では、人間は世界に関する知を統合することができた。テクノロジーの段階になると専門分化が進み、それができなくなってくる。その結果として、我々は何か不気味なものを見てしまうと。

佐々木   見てしまうんじゃないか、というのがこの『伴侶』でやられていたわけですね。で、大岡さんの『伴侶』上演のアイルランド性というのはケルティック、ケルトというのが出てきますね。ベケットはそういったアイルランド文芸運動だとか、アイルランド愛国主義からは距離を置いてますよね?

大岡    その通りです。

佐々木   となると、『伴侶』の中で、アイルランドの固有性を考えるときは、イェイツのアイルランドの固有性と違いが出て来ますよね?

大岡    違いますね。だから、さっきの北文美子さんが注目していたのも、そこらへんです。アイリッシュ・ナショナリズムに対するベケットの距離感を彼女は追いかけていて。私もそのようなことは考えていて、だからこそ、このテキストだったというか。つまり、ベケットの戯曲すらやりませんと。これはちょっとスガ秀実ですけど、散文をあえて上演することに意味がある。ナショナリズムに対するベケットの距離感を、演劇の形式に落としこむとすれば、きちっと配分されたセリフを俳優に渡すんじゃなくて、きわめてモノローグ的な散文を読んでもらう。実際私の演出では4人の俳優がテキストを延々とただ音読し続けるんですけど、それと重ねて、セリフを与えられていない妖精達が駆け回るという構造になっているんですね。だから、ポエティックかつシアトリカルなテキストを上演するのではない。戯曲ではなくて散文をあえて上演するという捻れを持ち込むことが、ベケットのアイリッシュ・ナショナリズムに対する距離感を、より鮮明に形式化するはずだという、そこそこ高度に練られた演出だったと思うんですけど。まあ観てる人はそんなこと何もわかんないですよね(笑)。しかし以上の説明で、僕の演出手法についてはなんとなく伝わったんじゃないかな。
 
 

●アジア型近代を歩み直す

 
佐々木   まあ特に大岡さんこの赤本の中でも、批評家と愛好家というか、批評家がちゃんと観れてない、みたいなことが書いてありますが、いわゆる演劇ライターとかは、上演形態の、今言ったような散文を上演する時の距離感とか、違和感を演出したりすると、上演の不手際程度にしか、ただの違和感にしか感じないという鈍さがありますよね。

大岡    困ったことにそうですね。

佐々木   やはりきちっと台本があって、俳優がいて、泣いて、叫んで、何かやったりしてると安心するという。これもう批評家じゃないだろと。演劇安心家とか名乗れば何も言いませんけどね。

大岡    村上龍が昔、演劇ってのは非常に苦手だ、舞台の上で俳優が「お母さーん!」って叫んだりするのは身の毛がよだつって言ったことがあって、彼の演劇嫌いは『五分後の世界』の最後で破壊される能舞台に集約されるんですが、演劇批評家とか演劇ライターとかは、村上龍が毛嫌いしたアレが、むしろ大好きなんでしょうね(笑)。

佐々木   安心して良かったと言いたい、というのが批評家の土台になっちゃうと、何をやっているのか分からないからイヤだ、頭でっかちは嫌い、面白いことは面白いから、面白いのは好き、とかそんなことになっちゃって、やっぱり、ただのわからないで終わりますね。

大岡    いやもう、批評家たちは、今ここまでで我々が話したことの、たぶん九割方理解できていないと思うんですよね(笑)。

佐々木   アングラのパロディと『エヴァンゲリオン』、『攻殻機動隊』で深いのは終了みたいな感じですかね?

大岡    洋物だと『ブレードランナー』『マトリックス』が限界かな。

佐々木   そこが限界になってますよね、消費と思考の妥協点。私のゴーストに触らないでみたいになっているから。ATフィールドに入らないでって言ってるのかみたいな。ぜんぶお前じゃんっていう。感情移入の消費の限界ですかね。

大岡    自己を同心円的に拡張したら世界が見えてくるっていう、おめでたい認識でしょう。そこで思考停止するんなら演劇批評なんてやらなきゃいいんだよね。宇野常寛氏だって「セカイ系」の先を見ようとしているのに。

佐々木   これはもうしょうがないかなと、僕も今までは会う度に罵倒してましたけど、最近はこう、ちょっとやわらかくしてます。だって、何言っても、お前は売れてないってところで終わるんで(笑)。

大岡    佐々木や大岡はかわいそうな人たちだと(笑)。

佐々木   はい、そして、大岡さんの仕事が僕はわかってきましたよ(笑)。でもわかってきたのはこうです。大岡さんが対峙している、批判してきた西洋を体制化して、一つの規範として捉えているであろう人、モダニズム的構築をしているであろう人達というのは、西洋を体制化はしているが、意識はしていない人達なんだと思うんですね。すると、ここで一発、西洋の方法なり、思考なり、テーマなりというのものをやらなきゃならないんだ、というのが自覚されてきたときに、シクスーの『マデュバイ小学校奪取』をやる。ここの公演だけなんか変わるんですよね。

大岡    そういうことなんですよね。これは、僕の中では理念的に失敗した作品というか、最初から挫折を決定付けられていたような感じですよね。

佐々木   シクスーというのは、太陽劇団に入ってましたっけ。

大岡    メンバーかどうかはわかりませんが、戯曲は提供していますね。ムヌーシュキンとは仲良しだったんじゃないですかね。

佐々木   この辺は、私たちはアジア人である、というものが表面化しますよね。

大岡    実際芝居の中に、インド人が出てきちゃうわけで、それをどう表現するかと考えると、インド的にやったら、もうアウトでしょう。そうすると、結局リアリズムでやるしかなくなっちゃったんですよね。芝居もスタンダードなセリフ劇として書かれていたし。またこれは内容がミソで、女盗賊プーラン・デヴィが官憲に自分の身を売り渡すときに、引換えとして、私の故郷に学校を建てろって要求する話なんですね。つまり近代の学校教育制度というものを、今僕たちは牢獄みたいなイメージでしか捉えてないけど、最初はそれを切実に必要とした人達がいた。この頃僕は、アジアの演出家達と知り合い、フィリピンに行ったせいもあって、内発的近代化論に触発されていたんですね。内発的近代化というのは、開発経済というフィールドで、鶴見和子や西川潤といった人達が提起していた主題ですけれど。竹内好が言うところのアジア型近代と考えてもいいんですが。つまり、さっき指摘していただいた通りで、レジーム化された西洋の脱構築というものが通用しない以上、もう一回西洋渡来のモダニズムというものを、他ならぬこの私が構築し直さなければならぬのではないか、ということに気がついてしまったので、じゃあそのことをストレートに主題化したものをやろう。ただしその場合、もう一度我々は何故モダニズムを選択したのかを考えたい。確かに黒船の大砲が怖かったからだけど、はたしてそれだけなのか。単に強制されただけではなくて、我々が主体的にそれを選びとった、掴みとったという部分も、近代の中にはたぶんあるんじゃないのか、と考えたわけです。

佐々木   これ非常に次に繋がる部分だと思うんですけど、『マデュバイ小学校奪取』の中で考えられた内発的近代化。僕も思うわけですね。僕はふと、自分が江戸時代に生まれてたらどうなっていたかと思うことがあるんですよね。たぶん文字を書くことも学ばされないまま、寺子屋にも通えないような場所にいて、和尚さんにも気に入られず、ずっと文盲だったのかもしれない。だって、江戸時代は結構文章を書ける率は高かったとかいろいろ言われますけど、でもやっぱり今ほどではないわけですよね。例えば20%が文盲だったとしたら、必ず僕はその20%の中にいたに違いない階層の出身なんですよね。そうすると、僕はこの近代の有り難さを享受しまくってる。(笑)

大岡    誰しもそうだと思います。

佐々木   内発的近代化というのは非常に分かるというか。狂おしく求めてしまいますね。この『マデュバイ小学校奪取』の中で、私の身柄を渡すから教育を、という近代的な差別の無い、すべての人が学べる、すべての人が学び始めるスタートラインを作れる近代的なシステムをやってくれ、というのはもう涙が出る話です。

大岡    そうなんですよね、なにしろカースト制度の国の中にそれを持ち込むという話だから。今考えると、シクスーって人がなぜあんなテーマを選んだのかが不思議なんですけどね。それで、このあたりからだんだん僕がヒューマニストになっていっちゃうんですけど、この年に高校で演劇の授業を開始していたんで、この芝居を高校の生徒に見せたりするわけですね。

佐々木   ここは重要ですね。話は第二部に移ります。

大岡    学校通うのはウザいと思っている、勉強できない高校生達に、どうせ伝わらないかもしれないけど、学校を最初作った人達はこういう気持ちで作ったんだぞ、と。なんかもう、どんどんヒューマンな人になっていきましたね(笑)。アジアに引っ掛けていうと、この98年は僕にとっては運命的な年で、『マデュバイ』をやる前に、川崎の大師高校で演劇の授業を初めて持つことになり、PETAのワークショップにも参加しました。まさかその後こんなに、学校教育現場との繋がりが深くなるとは思ってもいなかったですね。で、佐藤信さんから持ち込まれた企画で、日本演出者協会が主催した東南アジア演劇研究研修セミナーに関わりました。そこでアジアの演出家達と生のお付き合いをする訳ですね。それで、アジアの演劇人達に僕が何を見たかというと、結局は近代を見たんですね、ひとことで言っちゃうと。そこにあったのは、アジアというより近代だったわけですよ。まさにこれが近代社会を動かしていくエリート達なんだと。宮澤賢治や太宰治が名家の出身って話は、いまいちピンと来なかったけど、あ、地主の息子ってこういう人達のことを言うのかと。自分の階級的出自の高さに由来する疚しさを原動力として、左傾しながら演劇をやっているような人達ですよね。PETAだってもともとは、フィリピン共産党シンパの学生達が作ったようなグループですし。フィリピンを含め東南アジアの近代化を担うブルジョア・エリート達とここで人間的な接触を持った。じゃあ自分も、自分の文脈の中でもう一度アジア型の近代を考え直そうと思ったわけです。
 その際、僕の場合は竹内好に理論的に引っ張られました。魯迅とかタゴールとか、後には毛沢東ですけど、そういうアジアの知識人達から抽出した原理ですね。竹内の中にもやっぱり加藤周一的な見方がありまして、日本の近代化は、無批判に無媒介にドンドコドンドコやってしまうけれど、アジアの国々はそうではない。抵抗を含んで進行する。ただそれを「アジア的停滞」と言ってしまうと身も蓋もないんで、三歩進んでは二歩下がる水前寺清子的な、土着的なスピードでもって達成される近代化。一見ノロマだが、そうやって一進一退を繰り返しなら獲得されたアジア型の近代は、揺るぎのないものであるというのが竹内の理解ですね。その延長線上に毛沢東がいたものだから、竹内好は戦後、中共のシンパとして保守派から一斉に攻撃されるわけですけれど。確かに、アジア型近代の果てに達成されたものが共産主義だった、というのはどう考えればよいのか難しいところです。でもまあその点は措いて、僕も竹内好が示してくれた道のりを、自分なりに歩み直そうではないか、と考えました。ただ作品としては、『マデュバイ』から先には進めなくなってしまった。アジア型近代に見合った表現形式を求めると、単なるリアリズムに陥りかねなかった。その後、僕の表現方法(単なるテクニックではなくて、思想としての方法ですね)は徐々にブレヒトに接近するんですが、90年代終わりの時点では方向性を見失い、商品劇場は解散となります。ということで、ここから先の私のキャリアは、数は多いんですけど、わかりやすい話でしかありません。

佐々木   こうなってくると運動ですね。

大岡    そうなんです。活動家ですね。ひとことで言えば、ティーン・エイジャーをみんな主体化すると。同調圧力から一回断ち切ると。みんなが右向いたから、私も右向きます、というのをやめろと。この舞台の上では…

佐々木   感じるな、考えろと。

大岡    そう、考えろと。ブレヒトですね。この役を演じる上で次に何をすべきか、と僕に聞いてもらっても何の答えもありません、それはあなたが決めるんだ。あなたがあなたの人生を自分でしか動かせないのと同じで、あなたが背負っているこの役は、あなたがまずは自分で決めて動かすしかないんだ。だから何をやるかはあなたが決めなさい、どうやるかに関しては私がアドバイスします。つまり、whatは各自に任せ、howにのみ演出家は関わる、という基本原則を立てたんですよ。
 

佐々木治己          大岡淳


 

●ノブレス・オブリージュを実践する

 
佐々木   ちょっと戻りつつなんですが、結局それをアジアの演劇人に教えられたというのが意味深だなと思うんですよね。しつこいようですけど、さっきのサブカル問題なんですよね。サブカル問題の良い面は、消費者としてすべて平等に扱う。だから階級が無くなるんですよね。消費をさせるときには。しかし階級が無い、というふうにドンドン刷り込まれていきながらも、貧富の格差というのは完全にあったわけですよね。

大岡    ええ、実はあった。苅谷剛彦さんも、東大入学者の出身階層を調べると、教育格差は近年拡大したんじゃなくて、戦後一貫して存在していたことがわかると言っています。

佐々木   だけどさっきの『エヴァンゲリオン』とかになってくると、もはや階級はなくて、みんな消費者として王様になるというようなところがある。しかし階級が下の人達は教育をあんまり受けてないし、知識の量も相対的に少ないし、考える機会も少ない。職業選択の自由も実は無い、というのがずっと隠されているわけですよね。階級が上の人達が平等だよ、と隠蔽し続けているわけですからね。もう、下層階級が自発的に平等だ、私は私だって自分の殻に閉じこもってくれるほど有難いことはないでしょうからね。で、下層と消費的な精神は同調して、平等だっていっているから、階級の上の人達がやらなければならない、社会的なり文化的なる貢献をしなくなる。

大岡    ノブレス・オブリージュですか。

佐々木   そう、それが無くなってきてるんじゃないかと。だから教育や文化に対しても俗情と結託しやすくなる。こうじゃないだろと、あなた達はもっと考えなければいけないんじゃないか、という厄介な役回り、だからアジアの階級的な出自が恵まれている人達が引き受けている厄介な仕事は、日本の演劇人、芸術家などは担わなくてよくなってしまったし、そのような社会的な役回りを負わないことを批判されることもないですね。

大岡    そうですね。俺バカだから、と言っていればいい、ということですね。

佐々木   俺知らないんで、わからないんで、勉強しなくてもいいんだよという。でも貧しい人間からすれば、勉強する機会なんて最初から無いんだから、それをあえて作ってくれないと出来ない。まあこれはさっきの、私を差し出すから学校を作って欲しい、という場を本来は演劇人は担っていくわけですよね。で、出来なかった。どんどんサブカルに吸収されていって、中途半端な娯楽。娯楽として一つの市場を作れているでもない、経済的にも意味が無い、雇用も生まれない、という散々なものになっている中で、もう一度アジア的近代が担った階級的出自を、知識人の責任を全うしようと、大岡さんは思ったと。

大岡    そう言っちゃうととんでもなく偉そうですけど(笑)、でも、私は全うします、と思ってましたね。さっきもちょっと言いましたけど、学生の頃、よその大学ですが民俗学者の大月隆寛氏の研究室によく遊びに行っていて、大月さんが「戸塚ヨットスクールの戸塚宏は色々間違ったかもしれないが、『私が直す!』って本を書いていて、彼以外に『私が直す!』と言い切った教育者はいないじゃないか」なんてよく言っていたのを思い出します。「大学生には果たすべき社会的責任がある」とか。「がんばれ近代!」ってタイトルで講演会やったような気もする。今にして、大月さんの発想に影響を受けたところもあるかな、と思います。もちろんそれ以上に、自分自身学校で演劇の授業を持ったことが大きかったですし、それに90年代の演劇活動の中で、現場で出会った俳優というのは、佐々木さんのところもそうだろうけど、はっきりいってそんなに高学歴な人はいないわけですよ。

佐々木   わかりやすく言えば、落ちこぼれですよね。

大岡    そう。落ちこぼれの俳優たちと話をする時に「ロシアって国はこのユーラシアのど真ん中にあるんだよ」「えーっ大きな国ですね」とか、そういう話から入らないと現場が成り立たなかった。

佐々木   南米ってどこですか? 義務教育で習ったろというレベルなんで。

大岡    よし世界地図を見てみよう、というところから始まるんですよね。だから90年代に芝居の現場で、俳優に対して啓蒙することで鍛えられていたんで、その延長線上で、学校に行っても同じようなことができたんだと思います。いみじくも僕が呼ばれた学校というのは、どれも偏差値が低い高校で、生徒の過半は大学には進学しない状況でしたから。そんな高校に呼ばれて、90年代の終わり頃だから、女の子はコギャル、男の子は単に元気が無い、という教育現場に飛び込んだわけです。

佐々木   僕らの世代ですね。僕は高校卒業95年なんで。

大岡    佐々木さんよりちょっと後輩の子たちですね。彼らと出会って、そこで知識を授けるわけじゃないけれども、じゃあ何故学校で演劇を教えねばならないのかと考えると、それは別にその人達を俳優にしたいからじゃなくて、演劇という民主主義的な時空間に一回アクセスさせることによって、教室では何故か得ることのできない、近代的な主体になる経験を踏ませることに意味があるからだろう。そう考えて学校教育現場にも入ったし、川崎市では中高生ミュージカルをやるんですけれども、これは柳澤望氏が批評を書いてくれたわけだけど、学校が必要かどうかを裁判にかけるミュージカルだとか、書き言葉を持たない国家が書き言葉を持っている帝国に蹂躙されるというミュージカルだとか、そういうものをやってたんですよ。この社会の中であなたは必ずしも有利な場所に立っていないけれども、貧しいリソースしかない状況で、どうやりくりしたらうまくサバイヴできるだろうか。それを演劇の中で疑似体験してもらうという構想が、大岡ミュージカルにはありました。こういう仕事は内容は全部一緒なので、どんどん挙げていくと、04年に桐朋短大では八木柊一郎の『コンベアーは止まらない』という戯曲を上演して、まさしく隠蔽されていた格差がとうとう見え出してきたということを表現した。もちろん、なんでこんなものを今やるかわからないという指摘も多かった。非正規雇用の労働者が組合を作ろうとしても挫折する。そんな物語を上演することの意味がわからない、と。

佐々木   でもその後ですよね。非正規雇用の労働者が組合を作るという運動ができてくるのは。

大岡    そうなんです。だから時代認識としては割といい線いってたと思うんですよ。その後06年には、桐朋短大の卒業生達を使って、ブレヒトの『例外と原則』を演出した。この社会はどういうメカニズムで動いているのかを若い俳優たちと必死に考えて、その様をお客さんにも見てもらって、みんなで一緒に考えましょう!という芝居をやったわけですね。学習の波及効果とでもいいましょうか。そのように、ブレヒトの教育劇をねじ曲げないで愚直にやって、近代的主体の形成という路線を継続し、これも同じような話だからついでに言っちゃいますけど、08年から静岡県袋井市で月見の里学遊館に関わり、ワークショップを率先してデザインするディレクターを務め、芸術監督を2年間務めました。演劇に限定せず、美術、音楽、ダンスなど、あらゆるワークショップを僕が(自分がファシリテーターになるときもならないときをあるんだけど)基本的にはコーディネーションするという形で、地域住民に、芸術表現を通した主体化を体験してもらおうと考えた。要は、他の人の真似をしても仕方がない、自分で考えて行動しようぜ、という創作体験を提供することを一貫してずっとやってきていて。SPACでも『大人と子供によるハムレットマシーン』を2008年に演出しましたけれども、まさにこれが、大岡淳演出史第2期、アジア型内発的近代化=教育路線に突き進んでからの一つの集大成だと思いますが、下は13歳から上は18歳くらいまでのメンバー達にあえてハイナー・ミュラーをぶつけたわけです。これはSPAC芸術総監督・宮城聰氏の発案に従った座組だったんですが、この段階ではもうブレヒトの方法論を自分のものにしていましたから、ハイナー・ミュラーのブレヒト化みたいなことをやりました。

佐々木   やっぱり、さっきのお話からすると、演劇が今の知の体系というものを批判し、それを変えさせるものとして、非常に不甲斐なくなってしまったと。だけれども、演劇自体が持っている優れた道具性がある。それは何か、民主主義、だから個の主体を形成するのに非常に優れたものである。もともと演劇はそういうふうに国民国家で作られてきているし、そういう国民を育てるための芸術でもあった、というのがここで再発見されるわけですよね。それとともにモダニズムの構築というものが行われるわけですよね。

大岡    そう考えざるをえなかった、という感じです。

(最終回へ)