学習院大学文学部仏文学科「語りと身体表現による演劇入門」に“出講”。今日は「アングラの終焉とその後にきたもの--演劇の現在その2」と題し、90年代演劇について論ずる。「先週のプリントを持っていない人は手を上げて」と声をかけるも、全く手が上がらない! す、す、すごい! タルそうに「教科書忘れましたー」と男の子たちが列をなす、川越のヤンキー大学とは大きな違いである。つーか、あれはやっぱり大学じゃないよな。

まずは、アングラ演劇と小劇場演劇の異同を細かく確認。続いて、90年代演劇の諸傾向を、静かな劇・物語演劇・エンタメ演劇・ギャグ演劇・ダンス演劇といった細かなカテゴリーによって腑分けし、特にエポックメイキングな存在である静かな劇(平田オリザから岡田利規までを包括する)の位置づけを、新劇・アングラ演劇・小劇場演劇という3つの大きなカテゴリーと並列させ、4象限の図式によって整理する。そして、具体的な作品論として平田オリザの「ソウル市民」と「東京ノート」を紹介し批評する。また、静かな劇に象徴される90年代の時代精神は、我々の日常が根底から崩壊することへの恐怖心を潜在させており、その恐怖心を払拭するための防衛機制として「わかりやすい物語」を求めたのではないか、と分析。その意味では、「日常を肯定するわかりやすい物語」をベタな学園モノのシーンで、また「日常を襲う得体の知れないもの」をシトが襲来する戦闘シーンで描き、そういった時代精神の重層性を暴き出したという点で、「新世紀エヴァンゲリオン」は、静かな劇より一歩優っているという見解を結論とした。シトはアルカイダである、という強引な解釈まで提出してみる。さらにおまけで、もっと強引な解釈ではあるが、「得体の知れないもの」をアメリカ文化と解した作品の例として、インドネシアのリアリズム絵画を紹介する。

学生諸君はあいかわらず真面目にノートをとっている。居眠りに沈没する輩が三分の一に達したらビデオ・コーナーにしようと思っていたのだが、そこまで沈没しなかったので、延々と大岡版90年代論を語り続けた。こういうテーマならいくらでも語り続けることができるので、そのうち本に書けるかもしれない。少なくとも、大塚英志の80年代論よりは面白い同時代史が語れるんじゃないか。

ところで今朝は、藤沢総合高校「演劇表現」のために台本を書き進めねばならなかったので、学習院の講義の準備が終わった後で執筆を開始し、結局一睡もできなかった。今日は高校は午前中授業で私は顔を出すことができないので、TTのS先生におまかせすべく、台本の続きを早朝高校に送信する。午後、学習院の講義が終った後で高校へ駆けつけ、S先生から授業の報告を受ける。生徒諸君は、車座になってホン読みをやったようである。この台本はまだ完成していないんだけど、気に入ってもらえているかどうか不安である。肝心の中身は、貧乏な若者ばかりが登場するお話に仕上がりつつある。「格差拡大」時代を生きる現在の若者を活写したいと思って書いているのだが、本当に等身大の10代の姿など描けるわけもなく、登場人物は自然と、自分が10代の頃に出会った人々のイメージをまといつつあることに気づく。これは、チューインガム過激弾のために「放課後の国のアリス」を書き下ろしたときも一緒だった。あれに多少なりともリアリティがあったとすれば、私自身の10代の頃の感受性を存分に活かしたからだろう。ちなみに10代の私はアングラっぽい脚本を何本も執筆し、実際に演出・出演もして、先輩たちから「多摩高校の唐十郎だ」とか「まるで井上ひさしと野田秀樹を足して2で割ったようだ」とか言われていた。うーん、この頃が最もラディカルだったかもしれない。ちなみに小説も色々読んでいて、もし自分が小説を書くとすれば、日野啓三の「砂丘が動くように」のような作品を書きたいと思っていた。つまりは、戦闘的アヴァンギャルドの中学生・高校生だったのだ。今の自分は若者相手に商売をする中年のおっさんに過ぎないが、ただ、今どきの10代と比べるなら、10代の頃の自分自身は圧勝しているという変な自信がある(って、昔話なんて自慢にも何にもならないが)。学校の先生なんぞやっていられるのは、この変な自信に裏打ちされているような気がする。繰り返すが、現在の34歳の自分が今どきの10代に勝っているという話ではない。海外雄飛するタイミングを逸してグズグズと日々を送り、とうとう三流知識人に堕落してしまった今の自分なんぞより、もっと吹っ切れていて大胆な決断をなし、大物になっていく人材が存在すると今は本気で思っている。名選手よりも名コーチの方が自分には向いていると自覚しているのだ。