講師を務める大検受験予備校で、父母会に参加。色々と発見があったが、さすがに企業秘密なので一切書くことはできない。ただともかく、改めて教育産業にコミットすることの面白さを感じた1日ではあった。大手予備校は何処も少子化で冬の時代と言われているが、危機に直面しているときこそ裏返せばビジネス・チャンスに満ちているというのは、企業経営者の常識ではあろう。魅力的なアイデアを立案し実現し競合他社を追い抜いて、この冬の時代を、夏真っ盛りとはいかずとも、小春日和くらいには変えてしまいたいものである。
それにしても、今春から本格的に教育産業に肩入れして、私は生まれて初めてビジネスの面白さを味わっている気がする(って、もう34歳だよ、みっともない!)。いや、これまでも芝居作りの過程で、お金を扱うセクションに関わったことは幾度もあるのだ。しかし改めて経済的な観点から顧みれば、演劇業界とはなんと能率の悪い、手応えの少ない、お金にならない世界なのだろう! 赤字決算が当然の前提となっており、文化庁から助成金(って税金だ税金!)をもらってその赤字分を埋め合わせすることを「権利」と信じて誰もが疑わない。文化経済学ではこれをナントカカントカの法則と呼んでいて、白人様がそうおっしゃっているから正しいと言われているのだが、本当に白人様は常に正しいのか?芸術家ってのはそんなに偉いのか?などと、問い返してみたくはなる。もちろん私も他人のことをとやかく言えはしない立場にある。ただ少なくとも、例えば浅利慶太のような、舞台芸術を独立採算で成立させた人物の言い分に、我々演劇業界人はもう少し耳を傾けた方がいいのではないかとも思う。
いやはや、今さらこんなことを言うのは愚痴でしかない。ただ、ビジネスに転化できるような面白いアイデアを思いつき形にするのは、私はけっこう得意だと思うのだ(営業は下手だけど)。しかし演劇業界にあってはそうした能力を発揮することができなかったし、これからもできそうにない。それはたぶん自分の芸術観が邪魔をしているからではあろうけれども、ただ世の中のお金の流れがリアルに把握できればできるほど、演劇というジャンルの影響力が、自分の目にはますますちっぽけなものに映ってしまうのも事実なのだ。むろん表現手段としての演劇は、私にとってなおも大切な商売道具の一つである。ただそれは「演技=身体行為+役割行為」と簡潔に定義できてしまうミニマムな代物でしかない。
この、余計な虚飾を残らず殺ぎ落とした演劇というミニマムな表現手段を、社会というマキシマムな領域と接続する道筋はないものだろうか。自分の仕事が矛盾なく一つながりになる日が、いつか来ることを夢見る今日この頃である。