今さらではありますが、ココリスの自己表現ワークショップは無事に終了しました。参加者の皆さんが感想をアップして下さっていますので、紹介します。皆さんどうもありがとうございます。

ミナミさん  http://blog.tomoko373.com/archives/29582708.html

観月☆星記さん http://plaza.rakuten.co.jp/seshirumiduki/diary/200507310000/

まささん http://someya.tv/blog/log/eid399.html?

加古貴之さん http://blog.goo.ne.jp/plan-b_2005/e/6bbab1b88e0e4bb1386c61bcd64d289f

Mackyさん(ココプラ) http://www.kokoroplanet.jp/diary.kp?fi=5579553

中西美緒さん http://blog.livedoor.jp/attractive_mio/

内容は大変に好評だったので、第2弾も実施されることになると思います。私自身の反省としては、もう少しオリジナルのワークを作って入れておきたかったということがあります。今回、自分で作ったセールストーク関連のワークが特に好評でしたので、ビジネスや日常生活に役立つワークをもっと色々創作し、第2弾に臨みたいと考えております。どうぞお楽しみに。

ところで、上記の感想を読んでいて思わず唸ってしまったのは、加古君の感想にあった「社会における演劇の価値とはなんだろうか」という問いかけです。私はこの問いかけ(解答ではない)に辿り着くまでにおよそ10年を要したのですが、10年かけて醸成された問題意識がたちどころに伝達され理解されてしまう(それも、誤解も短絡もなくストレートに)ところに、コミュニケーションの凄さを感じてしまいました。まあこんな単純な問いに辿り着くのに10年もかけること自体、愚鈍すぎるわけではありますが。それにしても、若い演劇人が余計な手間や余計な労力を省いて、「社会における演劇の価値とはなんだろうか」という問いかけから出発してくれるなら、私にとってこれ以上の喜びはありません。あと10年経って、私より若い世代の演劇人が育ち、日本の現代演劇がもう少し真っ当なものになっていることを、漠然と夢見る今日この頃です。真っ当というのは、つまり社会性を獲得したジャンル、ということです。何度でも言いますが、都会に生きる若者の感性とやらを、ポップだかクールだか知りませんが笑えないギャグを交えて表現するなどということに特権性を見出している限り、現代演劇はマイナーな上にもマイナーな、何の普遍性もないジャンルにとどまるでしょう。しかしかといって、西洋演劇をまねて形式的実験に突っ走ったところで、日本の演劇人の低劣な知的水準では、その実験を有意義たらしめるコンセプトを確立することができず、ただただ知的に見せかけるだけの自己満足にとどまるでしょう。日本民衆の土着性(阿部謹也先生言うところの「世間」)と、いくばくか触れ合ったところで表現を模索するしかないと思いますが、そこで新劇もアングラも小劇場も乗り越えるような形式と内容を発見できれば、日本の現代演劇ももうちょっとマシなものになるかもしれません。「民衆」だの「土着性」だの「世間」だの、そんなものはもう消滅したという議論もありますが、これに対しては、私は浅羽通明氏の議論に拠って異を唱えたいと思います。

ともあれ、もともと私は主体性に乏しい人間で、状況に応じてやることは変えていくつもりでして。そろそろ、若くて可能性のある演劇人と共に仕事をすることに、エネルギーを向けていきたいと考えております。今回、河合塾COSMOからIさん、桐朋短大からSさん、そして私から声をかけた加古君と、それぞれ異なった場所で出会った若者たちがこのワークショップで活躍し、社会人メンバーに大いに刺激を与えてくれて、実はあまり予想していなかったのですが、大変に良い結果をもたらしたと判断しています。彼らが、真っ当な表現の場を獲得する、ないしは確立するために、なにかお手伝いができたらいいなあと感じています。