昨日はSPAC『ペール・ギュント』のプレレクチャーで、静岡音楽館AOIの学芸員である小林旬さんに、グリーグの『ペール・ギュント』について話していただいたのですが、私も前座でイプセンの生涯と作品について解説しました。聴衆の中に、一級の知識人の方々が見えたので大変やりにくかったですが、イプセンという劇作家が浪漫主義・自然主義・象徴主義と作風を変遷させた意味について、少しだけ考えてみました。大人向けに喋ったのは久々かもしれません。小林さんのレクチャーでは、改めてグリーグが描く旋律の美しさを堪能しました。イプセンの世界観とはミスマッチですが、ミスマッチだからこそこんな名作が生まれたんでしょうね。演劇人が音楽家に無理難題をふっかけるのは昔から変わらないということが確認できて面白かったです。

それにしてもこの機会に、イプセンについて集中的に勉強できたのは良かったです。27年間を故国ノルウェーの外で過ごし、上演を前提としない読み物として戯曲を執筆し、名を成したというのは、驚きでした。不偏不党のリベラリストでありながら、同時に、嫉妬深い勲章マニアでもあるという俗物ぶりにもまた、シンパシーを覚えました。最近は「演出家の時代」とか何とか言うけれども、近代演劇をリードするのはやっぱり劇作家の想像力なのかなあ、と私は漠然と思っていて、現場からも故国からも離れて孤独に執筆を続けるイプセンの姿を知るにつけ、まあそうだよなあ、こうやって頑張る人がいるからこそ現場が成り立つんだよなあ、とつくづく感じ入りました。

吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』の後半で演劇を論じているところは非常に重要でして、あえてひとことで言っちゃうと、演劇というのは文学の延長上に成立するジャンルだから、敷居が高くなるのはどうしようもない、ということですな。以前ある人から「演劇の人は文学が好きですね」と素朴な指摘を受けたことが私には大きな衝撃で、「脱演劇」を志向させることにもなった出来事だったのですが、吉本隆明に言わせれば、文学が発展して演劇になったんだからそんなのは当たり前だ、ということになりましょう。

なにをぐちゃぐちゃ言っているのかというと、つまり演劇というのは、しょせんはお家に本棚があったりピアノがあったりして育った、知的階級の娯楽に過ぎないのではないか、ということですな。それでいいじゃないか、と開き直ることができれば気が楽なのですが、私の脳裏には経済人類学者・栗本慎一郎が『鉄の処女』で映画批評家・蓮實重彦を批評した一節がひっかかっていて、それは「しょせん知識人の遊戯指導者に過ぎないが、まあそれでも頑張れ」というものでした。この本、私はたしか中学2年か3年で読んだのですが、そのとき「知識人の遊戯指導者」どまりは嫌だなあ、と思ったものです。

もっとも今の私は「知識人の遊戯指導者」にすらなっていない、地域文化行政の末端で働く労働者に過ぎませんから、こういうことをいくら頭で考えても大した意味はないのですけれど。ちなみにそんなふうに蓮實さんをからかった栗本さん自身はどうなったかというと、学者をやめて国会議員になって、大した仕事をしないまま、身体を壊しちゃったわけですな。「知識人の遊戯指導者」を超えようとした心意気はよかったのだけど(それも今考えると、バブルで浮かれていたのかな、という気がしないでもないですが)、挫折しちゃった。知識人が知識人であることの限界を超えようとするのは、危険な誘惑なのかもしれませんな。しかし私自身、「知識人の遊戯指導者」を超えた何者かでありたいと、常々夢見てはいるのです。それが何なのかは、未だによくわからないのですが。