芝居を見ながら総選挙について考える。


利賀村に来ております。林英雄先生が演出した『ゴドーを待ちながら』、以前見たのは7~8年くらい前だったはずですが、久々に見てやっぱり感動しました。「日本の演出家は『ゴドー』をやるときは安易に改作してしまうのが常ですが、先生の『ゴドー』はそうではなく、戯曲に対して忠実で、ベケットの言いたいことがはっきり伝わってくるところが素晴らしいと感じました」とお伝えしたところ、「僕からすると、『ゴドー』は積み木細工のようなもので、どこかを削ったら全体が崩れてしまう。みんな、『ゴドー』は『不条理演劇』だからデタラメな戯曲で、どう扱っても構わない、と勘違いしているんでしょう」と、林先生から明快なお答えをいただきました。日本演出者協会の国際部部長を務めていた頃、韓国演劇セミナーを開催して林先生とお近づきになったのですが、こうやって利賀村で再会できて本当に嬉しかったです。

これはたびたび演劇批評の中で言及した話ですが、林先生は「自分はリアリズムの演出家だ」と名乗っておられるのですね。ところが、『ゴドー』はむしろ、ボードビル的な身体性に満ち満ちている。精神と身体を相互媒介しながら弁証法的な発展を遂げる、西洋的な意味でのリアリズム=近代演劇の本領を、私は林先生から教わったような気がします。対するに日本の演劇は、内面的表現は新劇が担い、身体的表現はアングラが担い、それぞれ様式化を遂げて流派の1つに落ち着いてしまった。こういう現象って、演劇に限らず、日本文化の特性ですな。ついぞ我々日本人は、弁証法というものを体得できていない。まあそれが日本の面白いところだと言えば言えるのかもしれませんが。

そこへいくと、私なんかはあえて、林先生の『ゴドーを待ちながら』に多大な影響を受けた、と言い切ってみたいなあと今日はつくづく思いましたです。

さて、総選挙当日ですね。私は既に期日前投票を済ませました。小泉・竹中の洗脳から、ようやく日本人が解放される日が来たと信じたいところです。麻生首相が明確に「構造改革」を否定し「郵政民営化」に待ったをかけ、鳩山邦夫を中心とした愛国派の新体制が築かれれば、自民党に一票入れてもよかったんですが……まあ、そうはなりませんでしたね。鳩山弟は新党を作るという噂もありましたし、「正義のためだ」なんて大見得を切ってもいましたが、その割には、不発に終わりましたな。下手すると、これから自民党は、改憲と核武装を主張する極右カルト政党になりかねませんね。これもまた、弁証法を知らず家元化を遂げてしまう、日本人のいつもの癖なんでありましょう。