眠りとしての生 ~三島由紀夫『邯鄲』を読む~


 去る10月13日・27日、はままつ演劇人形劇フェスティバル2012の関連企画である劇評ワークショップで、例年通り講師を務めました。以下は、そのワークショップでお手本として執筆した、三島由紀夫の戯曲『邯鄲』の批評です。来年1月20日、やはりフェスティバルの関連企画として、人形と俳優のコラボによる『邯鄲』を演出します。乞う御期待。
 
 三島由紀夫『邯鄲』の物語の構造は、この作者の常套手段ではあるが、図式的といえば余りに図式的にこしらえられている。能の「邯鄲」の設定をそのまま借りながら、主人公は対照的な人物と設定されている。夢の中で女や金や名誉を極めた結果、それらへの幻滅を味わわせ、浮世が馬鹿らしくなるという邯鄲の枕が、この物語の主人公・次郎にとっては、何の効き目ももたらさない。十八歳にして「僕の人生は終っちゃった」と悟る次郎にとって、女も金も名誉も何の意味もない。それらはとうに自明のことだからだ。では彼は、意味あるもののことごとくに背を向ける破滅的な虚無主義者かといえば、さにあらず。「人生は終っちゃった」が、同時に「僕は生きていたい」というのが次郎の真率な叫びである。
 
 さて、この邯鄲の枕が見させる夢を、戦後社会の比喩ととっておけば、とりあえず作者が設定した図式は読み解ける。美女がすがりつく恋愛やマイホームへの幻想も、踊り子たちのデカダンスも、秘書がコミットする資本主義も、赤旗をふる民衆のシュプレヒコールも、独裁者に熱狂する民衆の声も、紳士たちが暗躍する独裁体制も、いずれも昭和25年の時点で作者が洞察しえた、戦後社会の戯画であると解釈すれば、既に戦後社会の推移を知る我々としては、それはその通りにしか見えず、作者の慧眼にただただ瞠目せざるをえない。その上で、戦後を否定して戦前の価値観に従った作者の姿勢を指摘すれば足りるだろう。ただひとつ気になるのは、邯鄲の里の精霊として、次郎を抹殺しようとする老国主と、次郎の関係である。
 3年に渡り我らが元首・次郎は眠りについており、影武者を立て、自分達が元首を輔弼してきた、と老国主は語る。どこかで聞いたような話である。ここで眠れる元首の立場は、滅び去った大日本帝国において天皇の置かれた立場に似ている。天皇の役割を、いわば「眠れる元首」へと制限した国家公認の憲法解釈が、天皇機関説であった。次郎の夢には仕掛け人たちがいたというわけだ。ただし老国主は、青年の団結に希望を託し「眠れる独裁者は死すべきである」と主張する。普通に解釈すれば、これは国家社会主義もしくは共産主義の到来を予想した、作者からすれば“悪夢”の未来図なのであろう。だが見ようによっては、天皇を「眠れる元首」ではなく「目覚めた元首」たらしめようとした天皇機関説排撃=国体明徴運動によって、却って天皇の存在が扼殺されてしまったと、戦前の歴史を物語っているかのようでもある。確かに、2.26事件は「青年の団結」によって引き起こされたクーデターであったし、その後の日本は、総力戦体制=国家社会主義に突入した。あるいは作者は、戦前と同じことが戦後にも反復されると考え、両者を二重写しにしたのかもしれない。だとすると、次郎と菊はどこへ回帰するのか? 戦後を否定して戦前へと回帰するわけではないのか?
 
 それにしても、夢の中で眠るとは不思議なものである。老国主の目に次郎は「生きようとしたことがない」と映る。だが次郎は決して死にたいわけではない。生きようとせずに生きる。そのためのてっとりばやい方法は、眠ることであろう。思えば既に、菊のもとを訪れるより前、次郎はバスの中で一眠りしていたのではあった。懇々と眠り続けること。それが、「人生は終っちゃった」次郎にとって、敗戦後を生きる処世なのである。眠る次郎にとっては、彼が生きているこの世の現実こそが、まるであの世の夢のようである。だから最後には、庭に花が咲き乱れるという奇跡が起きる。だがその生き返った庭を見ることができるのは次郎と菊だけであり、障子の向こう側を覗くことは、我々には許されていない。我々はもちろん、目覚めて女や金や名誉を追い求める衆生に過ぎないからだ。次郎から見れば我々が夢の側の住人である。逆に我々から見れば、次郎こそが夢の側の住人である。
 懇々と眠り続ける処世を、ともすると作者は、戦前戦中の天皇から学んだのかもしれない。そして、醜悪な戦後に対しては、天皇は再び、背を向けて眠り続ければよいのだと言いたいのかもしれない。目覚めて転向を繰り返すくらいなら、いっそ眠ったまま非転向を貫く道の方が潔い。しかし実際には、昭和天皇こそ、誰よりも先に目覚め、人間宣言を発したのではあった。父なるものは、もはや次郎の側にはいない。父なるものは、銀座の街頭でチャップリンの扮装をするサンドイッチマンと化している(図式的・類型的な登場人物群の中で、この男性のイメージにだけは妙なリアリティがある)。なにやら、長身のマッカーサーの真横に立って写真撮影された、昭和天皇の無残さを想起させるイメージである。対するに、母なるものとしての菊だけが次郎の傍らで、次郎のまどろむ眠りを共有する。男は勝手に目覚めて出て行けばよい。母と子が、まどろみながらこの庭を守っていくであろう。あるいはそこにも作者は、摂政裕仁の姿を投影したと解釈すべきであろうか(とすればここで、難波大助による暗殺未遂を想起してもよいだろう)。ともあれ浮かび上がるのは、子を寝かしつけるうちに母もスヤスヤと寝入り、共に同じ夢を見てしまう、精神のふるさと。マチズモを引き算した日本。そこが――後の三島由紀夫の自己演出とどれほど食い違って見えようと――作者の指し示した帰るべき場所なのだ。
 
 ただ、そんな都合の良い少年と乳母の関係が、現実に成り立つものだろうか? 夢を共有できる擬似母子関係などというものが、現実に存在しうるだろうか? いや、もちろん存在しなくても構わないのだ――なにしろこれはお芝居なのだから! 作者が描く、舞台という夢の中だからこそ、夢を共に生きる相手が見つかったまでである。そう考えれば、見えない庭に見えない花が咲き乱れる(と観客が聞かされる)終幕は、作者流の異化効果だったと解釈できなくもない。先述した通り、現実と見えていたのは夢で、夢と見えていたのが現実だった。改めて我々は皆、邯鄲の枕の夢を、現実に生きるよう強いられていることに気づかざるをえない。そしてその夢から覚める時は、どうやら死ぬまで訪れない気配だ。さりげない逆転劇である。
 ここで私としては、この戯曲を、ブレヒトの戯曲『夜打つ太鼓』と比較してみたい誘惑にかられる。第1次大戦の生き残りの兵士が、身ごもった恋人と共に、スパルタクス団の蜂起に動揺する街を疾走し、最後には、舞台に掲げられた偽物の月に太鼓を投げつけるこの戯曲もまた、三島由紀夫とはまた違ったタッチで、敗戦後の人間の生き様を題材とした作品である。だが、この比較についてはまた別の機会に譲りたい。