エロール・モリス監督「フォッグ・オブ・ウォー」を観に、お台場・シネマメディアージュへ。

映画の感想を記す前に、一つ述べておきたい。お台場というところに初めて出かけたが、隅々までデオドラントな清潔感を偽装し、徹底して管理された中の「遊び」しか許容されない、ディズニーランドを模倣したような人工的空間で、呆気にとられた。のみならず散策しているうちに、吐き気を催してしまった。確かに、アウトレットモールなんてのはだいたいこんなつくりであるが、それにしても度を越している。大前研一はヴィーナス・ポートを、成功したショッピング空間として持ち上げていたが、こういう空間を称揚するなんてのは正気の沙汰ではない。建築や都市計画の分野では、こういうものを批判的に論評する理屈は既に存在するのだろうが、もっと声を大にした方がいいのではないか。これを雛型としたモールがあちこちの地方都市に建設されているんじゃないかと想像するだけで、身の毛がよだつ。グローバル化がどうのこうのなどという理屈を持ち出す必要はないだろう。ただもう生理的に耐えられないのだ。象徴的な事例を一つだけ挙げておくなら、この人工空間の屋内に於ては、喫煙できる空間が厳重に隔離されている。つまり、ここで本当に「一息つく」ことを欲するなら、タバコを手にして、肩身の狭い喫煙者集団のゲットーに自ら入って行かねばならないというわけだ。やれやれ。

さて肝心の映画であるが、モリス監督はマイケル・ムーアと双璧をなす、アメリカのドキュメンタリー映画作家の代表格と目される人物なのだそうだ。ムーアが軟派ならこちらは硬派という感じで、作風は対照的である。ケネディ政権およびジョンソン政権で国防長官を務めたロバート・S・マクナマラへのインタビューを軸として、巧みに資料映像をおりまぜた、現代史のドキュメントである。さして大きな発見があるわけではないが、東京大空襲を爆撃した側の戦術的な観点から捉えるというのは、なかなかに慄然とさせられるものであった。特に、例のカーティス・ルメイ空軍少将の輪郭が見えてくるあたり、我々日本人にとっては発見と言えるだろう。また、マクナマラが、ベトナムからの撤退を認めないリンドン・ジョンソン大統領に反発しつつも、そこに秘められた政治的信念を評価せざるをえないと口にするあたり、圧巻であった。アメリカ現代史の空白が埋められていくような、知的満足感を与えてくれる場面に満ちていたと言ってよい。

ただ、マクナマラ自身は、国防長官といっても実体的な権力の中枢に触れていたとは思えない人物で、パワー・ポリティクスの秘密に迫るというような面白みには乏しい映画である。むしろマクナマラは、経営管理を専門とする少壮の学者から身を立て、フォード社の社長まで務めたという経歴からわかる通り、極めて優秀なビジネスマンという印象が強い。従って、彼がケネディやジョンソンに示す忠誠心も、日本のサラリーマンの「愛社精神」のようなものと思えばしっくりくる。「プロジェクトX」のアメリカ大物版とでも言えばいいのだろうが、ただしこの「プロジェクト」は、東京に焼夷弾を落とし、広島と長崎に原爆を投下し、ベトナムには枯葉剤を撒くという具合で、大量虐殺の一幕を含むのである。贖罪の念に駆られるかのようにマクナマラが平和を説く姿を見ていて、ふと、社会学者リースマンが展開した反核運動を想起した。

映画館を出ると、再びお台場のデオドラント空間である。既に閉店時間を迎えた店舗が多いらしく、いつの間にか警備員が何人もウロウロして、お客に目を光らせている。もうウンザリである。こんな風景を見ていると、東京大空襲を「不要だった」と総括するマクナマラの苦悩に果たしてどれだけの意味があるのか、と嘆息せずにはいられず、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまった。徹底的に破壊され、焦土と化した大地に、我々が築いたのは遊園地であった。……などと考えつつも、マクドナルドでポテトを食べコーヒーを飲んでから帰路につく。店員さんは、可愛らしい中国人のお嬢さんだった。