「CASSERN」を観る。


紹介し忘れていましたが、「コンベヤー」の上演に合わせて、ダンス批評家の柳澤望さんが、以前「商品劇場」ムックのために書いて下さった文章をアップロードして下さいましたので、どうぞ御一読を。

http://www.medianetjapan.com/2/20/drama_art/yanoz/review/theater/ooka/20th.html

さて今日は、今更ながら、紀里谷和明監督「CASSERN」をDVDで鑑賞。

30代40代の「イケてる」若手クリエーターたちが、「俺らのPVの技術があれば2時間くらい楽勝っしょ」と言いながら、おやぢどもを騙して6億も引っ張ってきて映画製作にチャレンジしたところ、楽勝どころか素人以下の出来にしかならなかったという、究極のバカ映画。これ、あと数年経てば、深作欣二監督「宇宙からのメッセージ」のような“怪作”扱いになるんじゃないだろうか。ただ“怪作”といっても、カルトなファンはつかないだろうがね。

真面目に論ずるような代物ではないが、とりわけ気になったことを書いておくと、唐沢寿明、寺島進、大滝秀治、三橋達也といった脇を固める俳優陣の印象が強すぎる一方、主役級の俳優たちの演技は演技になっていない。特に、キャシャーン役の伊勢谷とかいう若い男は、見るからに運動神経に乏しく、ガニ股で走る姿は超かっこ悪いし、へっぴり腰の殺陣も超みっともない。顔も、貧相なカッパ顔である。高校生が作った自主映画なんぞを観ると、演技ができる出演者がおらず笑っちゃうことがあるが、この映画も本質的には同じである。

全編、「戦争反対」っぽい主張をしたいらしいモノローグが幾度もダラダラと語られるが、これはアニメの脚本のやり口である。冨野由悠季や押井守が定着させた悪癖だろう。先輩として責任を取りなさい。しかし、こんな粗雑な台詞も大真面目に成立させようとする唐沢寿明のプロ根性には頭が下がるなあ。

まああれだね、ニューヨークあたりで、宇多田ヒカルをはじめとするアーティストやらクリエーターやらと酒を飲みながら、「9.11以降どうよ?」みたいな話題になったとき、紀里谷という御仁はこういう「哲学」を開陳したんだろうね。あのね、みんなでバーに飲みに行ったりホームパーティを開いたりするヒマとカネがあるなら、本を読みなさい。いや、本は難しいだろうから、せめて映画を観なさい。映画も面倒なら、せめてバーで、年配の人たちの話に耳を傾けなさい。

こういう男がアーティスト志望、クリエーター志望の若者の憧れを集めているとすれば(大して集めていないと思うけど)、問題である。努力も蓄積も省いてビッグな仕事ができちゃう、だってそこには新しい感性があるから、などという「自分探し」幻想にぴたりとはまるんだろうけど、んなことがあってたまるか。と思うのだけど、これに億単位のカネを出すおやぢがいるんだから困ったものだ。新手のヒモっつーことならわからなくもないが。