久々に近況報告。桐朋短大の試演会「コンベヤーは止まらない」、無事に終了しました。ご来場いただいた全ての皆様に、改めて感謝申し上げます。

改めて振り返れば、演出はしばらくやらないつもりだったのだが、大学から依頼があり、せっかくなので引き受けることにした次第である。海上宏美さんのように、潔く演出家の「廃業」を宣言できないのが私の駄目なところかもしれない。さて肝心の芝居であるが、約1ヶ月半の稽古期間だったので、決して時間的に余裕があったわけではなく、やり切れなかったことややり残したことは、細かく言えば色々ある。ただそれでも、俳優諸君がみんなよくがんばってくれたし、私自身全力投球で臨んだつもりなので、悔いはない。私としては、桐朋の学生諸君に「この社会における自分自身の立ち位置」を、戯曲との対決を通して発見してもらいたかった。それが桐朋生に最も必要な課題だと感じているからだ。果たして、どれだけのメンバーがこの課題に応じてくれたかはわからない。だが、それでも何人か、こうした問いかけを真正面から受けとめてくれたメンバーがいて、救われる気持ちがした。

結果として、評価は悪くなかったように思う。実際、楽日を迎えた後で、大学内で観てくれた人からあれこれレスポンスを頂戴し、手応えを感じた舞台とはなった。よく考えてみれば、公演を終えて手応えを実感したというのは、10年以上芝居をやってきて、これが初めての経験かもしれない。私も少しは実力がついてきたかな、あるいは、ようやく日本の観客との間に何らかの接点を見出すことができたかな、とちょっと嬉しくなったが、しかし冷静に考えれば、これは大学という守られたフィールドでやっているから得られた手応えに過ぎず、同じことを普通の劇場で普通の観客を相手にしてやれば、やはりいつも通り「こんなことをやっていて何になるのか」という疑念に苛まれることになるのかもしれない。そう考えると憂鬱になる。なにより学生諸君は、未だこの疑念にぶつかっていない。本当は、この疑念を自分なりにくぐりぬけて答えを出して、ようやく一人前の演劇人と呼べるはずである。いちばん大切なのはそういうことで、それと比べればテクニックを身につけることなど全くどうでもいいことだ。従って、学生諸君には在学中に冷や水を浴びせてしまうべきだと思うのだが、これがなかなかうまく伝わらない。そんな本質的な問題は、卒業後に、彼ら自身が勝手に学べばよいことだと割り切る方が正解なのだろうか。もっとも私自身、芝居をやることについての自分なりの根拠を明確に見出してはおらず、やりたいがやる意味がない、やる意味はないがやりたい、という自己分裂を抱えたまま、徒に歳月を費やして今に至ってしまった。

こういう分裂を、どうやって乗り越えればいいのだろう。最近思うのは、「演出家」とか「演劇批評家」とかいう肩書き自体がなんだかしっくりこないということである。誤解をおそれずに言えば、私はもともと「演劇人」という立場に自分のアイデンティティを求めていない。ではお前は何者かと問われれば、広い意味での「活動家」--狭く限定して「文化活動家」でもいいけれども--でありたいと思っている。大学時代は、日本という先進国の都市部で革命蜂起を起こすことが自分に下された至上命令で、その前段階として自分の得意分野である「文化・芸術・演劇」セクションに携わり、演劇活動を通して都市大衆に社会認識を啓発することこそ自分の使命だと心得ていた。最近は、暴力革命に対しては批判的になったものの、社会変革という大きな課題は捨ててはいないし、そのために演劇を使用するという発想も変化したわけではない。だが時にこういう大きな課題を見失うと、「自分探し」的な問いかけにたちまち足元をすくわれてしまう。芝居をやる根拠というのも、本当は、それが私にとって社会変革に貢献できる最善の方法ならばやるべきだし、そうでないなら別の分野に行くべきだという、ただそれだけの話ではあるのだ。わかってはいるのだが、それだけの話といっても、これは自分の資質と現状認識とをうまくリンクさせなければ答えが出せない問題であって、ここまで考えたところでいつも足踏みしてしまうのだ。

それにしても、芝居をやめたいやめたいと言いながら、今年は「カタリエヌモノ」に「コンベヤー」と、結局2本も演出することになってしまった。「ハムレットマシーン」~「アンティゴネー」で一つのサイクルを終えたとすれば、今年は、創作家として第二期に突入した年だったのかもしれない。「カタリエヌモノ」はひたすら実験に徹した作品だったが、「コンベヤー」は、実験的な方法と古典的な内容、異化的な枠組と同化的な演技、ユーモラスな要素とシリアスな要素といった具合に、これまでの大岡演出の中で最もバランスのよい芝居に仕上がったように思う。「戯曲が良かった」という感想をいくつも貰ったが、実のところ、この戯曲は一見非常に地味な戯曲なのだ。それを、できる限りダイナミックな舞台へと立体化した点が、強いて言えば私の技量であったか。否、やはりその多くは、照明の三谷洋平さん、音楽の河崎純さんの力量に負っていたことを、ここで白状しておかねばなるまい。

また演出をする機会があれば、今回の成果を踏まえ、アングラ以降の感性と方法を尊重しつつ、戦後新劇の戯曲を復権するという作業に徹してみたい。日本の観客を相手にする場合、これ以外にやるべきことを私は見出せずにいる。ちなみに、来年早々に予定している藤沢総合高校「演劇表現」の発表公演「秋風とピストル」で、私の演出作品は20本に達する。