学習院大学文学部仏文学科「語りと身体表現による演劇入門」に出講。って、別に本務校があるわけではないので“出講”も何もないのだが、なんとなく気分が出るので敢えて“出講”と言ってみる。

佐伯隆幸教授の企画で、毎回様々なゲスト講師が登場する。林光氏、山元清多氏、KONTA氏(バービーボーイズのボーカルさんですよもちろん)など。私も末席に名を連ねているわけだが、つまりは黒テント人脈である。

私が登場するのは今日を含めて3回。3週連続である。今日のお題は「アングラの終焉とその後にきたもの--演劇の現在その1」。桐朋の授業のプリントをベースにして、80年代の演劇史を概観できるようなハンドアウトを作成。この作業だけで一晩かかってしまい、話の内容まで組み立てる余裕がなくなってしまった。毎度こんな具合で、大学の講義できちんとした脈絡を立てて話をした覚えがない。授業計画書でも作ればいいのか? って、台本通りに芝居ができれば俳優をやってるっての!

午前10時、学習院の見学を希望する大検予備校の学生N君と目白駅前で待ち合わせ、大学構内へ。目白のキャンパスに足を踏み入れるのはまだ2度目だが、改めて観察すると緑が多く、広々としており、落ち着いていてなかなか良い環境である。仏文の研究室で佐伯さんと合流。その後教室のある校舎へ移動したが、なんとその校舎の中にエスカレーターが設置してある! いまどきの大学はどこも金をかけて小奇麗になっているが、学習院も御多分に漏れず、という感じだ。

さて、さっそく授業開始となったが、学生さんたちとは初めての顔合わせであり、当然ながら調子をつかむまで時間がかかる。それに加えて毎度の準備不足&寝不足とあって、どうにも話がうまく運ばない。しかしもっと根本的な原因がそこにはあって、この講義は大教室でマイクを用いるスタイルだったのだ。よく考えれば私はこれまでマイクを使った講義などやったことがないため、どうも声量のコントロールが難しく、要らぬところで神経を使ってしまった。最後までいまひとつハジけることができず、なんとも悔しい限りである。

講義の中身であるが、肝心の80年代小劇場演劇にはほとんど踏み込むことができず、1時間近く、80年代における「シミュレーショニズム」とは何か、またそれがなぜ「核戦争後の廃墟」というイメージにつながるのか、ついでにバブル期の学生気質はどんなものだったか、という説明に終始してしまった。これを、押井守「うる星やつら・2/ビューティフル・ドリーマー」、立花ハジメ「テッキー君とキップルちゃん」、フィリップ・K・ディック「最後から二番目の真実」、北村想「寿歌」といったマイナーな作品をとりあげながら解説するという、極めて偏った80年代論になってしまった。そして最後には、唐十郎と野田秀樹の演技を映像で比較。以上の内容を、私のいつもの猛スピードの口調で喋り倒してしまったため、おそらく学生さんはただのひとりもついてこれなかったのではないか。だが、さすがは学習院である。それでも熱心にノートをとって、必死に話の内容を追う学生さんがいるではないか! それも、何人も!! す、す、すごい!!!

学生が講師の話を聞いてノートをとっているって、考えてみればごく当たり前の光景なのだが、三流知識人である私は基本的に、お勉強ができない大学生しか相手にしたことがないため、こういうまともな大学生の姿を見ると、新鮮な思いがしてならなかった。しかし……本当は、大学というのはすべからくこうあるべきなのだ。これと比べれば四流五流の大学は、大学の真似事をしているだけで、教員の金儲けの道具にしかなっていない。やっぱり教壇に立つなら、名のある大学がいいなあ、少なくともここには欺瞞がないなあ、と痛感して思わず溜息をつく。もっとも私は研究者ではないから、こういう環境で仕事をもらうことは不可能なのだが。その代わり、高校生諸君と芝居作りをする仕事では、大学にはない楽しさを感じてはいるが。

講義終了後、N君ともども仏文研究室で鴨せいろを御馳走になる。もう様子はわかったから、来週はもう少し落ち着いてできるだろう。来週は、90年代演劇論である。