「華氏911」を観る。


ああそうそう、更新を怠っている間に、香港旅行にも出かけたのであった。香港は今回2度目である。初めて旅行したとき、九龍から海を挟んで広がる香港島を一望して、私はすっかり香港に惚れこんでしまった。東京では考えられない高さで林立する摩天楼は、いつ見ても壮観である。夜ともなれば、気が狂ったような電飾やムービング・ライトがその摩天楼を彩る。スターフェリーで香港島へ向かいつつあの風景を眺めるのは、昼でも夜でも感動的である。坂口安吾は「日本文化私観」の中で、人為と自然を折衷してみせる「わび・さび」など生ぬるい、芭蕉のように徒手空拳で自然そのものに飛び込むことができないのなら、秀吉のように俗悪と豪奢を極めるがよい、と言い放っているが、香港は後者の典型のような都市である。今回は悪名高き(?!)チョンキンマンションに泊まったが、かつて宮本隆司が写真に収めた九龍城砦の名残のようで、感慨深かった。いかがわしい商売人どもが世界中から集まり、「ブレードランナー」のLAを思わせるディープさであった。

さて、本日はバウスシアターのレイトショーで、マイケル・ムーア監督「華氏911」を観た。良くも悪くも前評判が賑やかな映画であるが、どうも誤解されているところが多いように感じた。これを反ブッシュのプロパガンダと受け止め批判している人々は、おそらく前半で告発されるブッシュ一族とビンラディン一族の欲得尽くめのコネクションを見て、安易な権力者批判であると不快感を覚えたのだろう。だが、この映画の真骨頂は後半である。なぜアメリカでは「草の根」レベルでこの戦争が支持されたか、またその結果、戦場に駆り出され傷つき死んでゆくのはどんな人々なのか、ムーアは自分の故郷を題材として丹念に描写してゆく。これに伴い、前半では戯画化され嘲笑されていたはずのブッシュ大統領が、後半に至ると、むしろ到底私たちには打ち負かすことのできない、恐ろしい人物に見えてくるのだ。ムーアがトリックスターと化していくら挑発を重ねても、しょせんは蟷螂の斧に過ぎず、ブッシュたちエスタブリッシュメントが手にしているカネと権力はびくともしない。結局、大金持ちから貧乏人まで、アメリカ社会のどこをどう切っても、イラク戦争は止めようがなかったんだな、としか私には思えなかった。とにかく凄いのは、ブッシュの顔である。何を考えているのか全くわからないあの顔。ノーマン・メイラーは「クリントンは、常に自分が一番賢い男であるべく、取り巻きには自分より頭の悪い人間しか置かなかった。ブッシュは逆だ。彼は、知性では取り巻きの誰よりも劣っている。ただし、この瞬間に周囲の誰が最も冴えているかを判断する直感にかけては、天才的な人物だ」と評している。確かに、ブッシュはエスタブリッシュメントの掌の中で泳ぐ駒に過ぎないけれども、その掌の中でどうすれば自分が生き延びられるか常に無意識のうちに計算しており、己の愛嬌をアピールする点ではやはり天性の才能を持っていることが、この映画を観ているとよくわかる。おそらく次の大統領選挙も、この男は勝利してみせるのだろう。

そこで思うのだが、ムーアによるブッシュ批判に不快感を示す諸君は、この映画を観て「いやイラク戦争にも大義はあった」などとカマトトぶったことを言うのではなく、せめてこう呟いてほしい--「やっぱりこの世の中、カネと権力だよな」と。