「演劇人」の原稿を仕上げる。


大学および大検予備校のテキスト作成会議、雑誌「演劇人」の締め切り、そして物件探しなど、あたふたと日々を過ごし、更新が滞ってしまった。やっと一段落ついた感じである。

そう、長年住み慣れた吉祥寺を離れ、お引越しをすることにしたのです。諸々順調に事が運べば、10月の頭には転居である。家賃は上がるのでそれなりに稼いでいかねばならないが、広めの家なら仕事の能率も上がるだろうから、いくつか計画している大きな仕事に備えるという意味では、ちょうどいいタイミングである。フリーランスを基本に生活していくためには、自宅も仕事場として考えていかねばならない。しかし、今回部屋探しをして改めて思ったのだが、フリーの人間は大ヒットを飛ばさない限り、歳をとるごとに生活するのは苦しくなっていくだろう。なにしろ40歳50歳にもなれば、収入の安定しないフリーランサーには、まともな賃貸物件など回ってこないのだ。フリーでいくか、組織に入るかと考えた場合に、私などは組織に入るという選択肢には全く魅力を感じたことがなく、別に「賭けに出る」というほどの緊張を覚えることもなしにフリーでいこうと決めたのではあるが、これは若さと無知のなせるわざであったと今にして思う。というか、フリーだとか組織だとかいう以前に、そもそもお金を稼ぐということにまともに関心を持ったことがないのだから、どうしようもない。34歳にもなって初めて、自分の能力を切り売りすればそれなりにお金を貰えるということに気がついたのだが、裏返せばこの10年、私は演劇業界でロクにお金も貰えぬままに、自分の能力を浪費させられていたのかもしれない(神奈川芸術文化財団でやったお仕事だけは例外で、きちんとしたギャラをもらえたので助かりました。それ以外は、全て格安ないし無料で請け負いました)。しかし、本当はそんなのは最初からわかっていたことだから、今さら文句を言うのは卑怯ではある。にしても、もう元には戻れないなあ。

今日は、雑誌「演劇人」の連載原稿を、締め切りを大幅に超過してようやく仕上げることができた。「生田川物語」の批評からはじめて、いつぞやこの日記で書いた、言文一致以降の口語文における韻律の喪失という問題に触れたのだが、時間がなくていいかげんな内容になってしまい、無念である。スガ秀実氏の著作「日本近代文学の〈誕生〉」に頼らなければ、うまく論旨が通らないところだった。危ない危ない。