スティーブン・ホプキンス監督「24・シーズンⅡ」全巻を観終わる。

前作も面白かったが、今回の方が予算も上回っているようで、全体にクオリティが上がっている。今回の物語は、「9・11以降のアメリカ」に対する見事なコメンタールになっており、感動的である。とりわけ後半で、中東諸国との戦争を回避すべく、黒人大統領デイヴィッド・パーマー、連邦捜査官ジャック・バウアーを始めとする主要登場人物が、文字通り命がけの行動に身を投じる様は、単なるブッシュ政権に対する皮肉にとどまらず、アメリカ国民にとってのありうべき国家のイメージを造型しており、胸に迫る。なにしろ、「偽の証拠に踊らされて戦争を開始するわけにはいかない」と大統領自身が苦悩するのだ! 同じく黒人であるパウエル国務長官やライス補佐官は、これを見て何を感じるのだろうか。なあパウエルよ、国連で、イラストつきで大仰に演説してみせたあの「トレーラー兵器」はどうなったんかい? 後世に残る「トンデモ資料」かい?

また、パニックに陥った白人市民が、アラブ系市民を襲撃するという場面も登場する。アメリカ社会における人種対立の深刻さが垣間見えるくだりだが、これはあまり深く突っ込んで描かれていない。そこが惜しいといえば惜しい。

パーマー大統領を演じたデニス・ヘイワードは、「どう演じるべきが迷ったが、結局、自分が投票したくなる政治家像を作った」と語っている。これこそ、日本の俳優に最も欠けている姿勢ではないか。自分自身の政治的主体性を役づくりの基点に据える、というのだから。日本の俳優は、どこにでもいるおじちゃんおばちゃんを演ずることは得意でも、政治家や高級官僚や知識人といったエリートを演じてみせるのはヘタクソである(昔の新劇の俳優はそうでもなかったが、近年はひどいものである)。だいたい日本の若い俳優たちは、「議会」とか「内閣」とかいう言葉の意味すらよくわかってないんじゃないか。日本で「24」のようなポリティカル・サスペンスを作ろうとしても、いくら撮影技術があったところで、ああいった人物像を演じきれる俳優がいない(毎度毎度「主演:役所広司」って、芸がなさすぎるじゃないか、映画業界の諸君よ)。それもまた「属国」であることの宿命なのだとしたら、余りに情けないことである。

ちなみに、id:Roquentinさんのサイトにある「24」の感想は、実に的確で、笑えます。味のある文章で、素晴らしい。http://d.hatena.ne.jp/Roquentin/20040727