地獄の火曜日がついに終わる。


セメスターなので、1限「身体表現法」は今日が最終回(後期に補講を一回だけ入れているが、実技は今日が最終回)。前回に続いてチームにわかれてモーション・ポエトリーの創作。題材は、中原中也の詩「春宵感懐」と「サーカス」。全体に完成度は高かったが、「サーカス」の方が明らかに詩として面白いのに、こちらに挑戦したのが1チームしかなかったのは残念。しかし、きれいにまとまった締め括りになった。

私は高校生の頃は萩原朔太郎に激しく傾倒しており、朔太郎の“大人の狂気”と比べれば中也は“青年の錯乱”といった風にしか思えず、あまり心惹かれなかった。しかし改めて読み返すと、中也の詩の音楽性はさすがに天才的である。友川かずきのおかげで中也の魅力を再発見したと言うべきか。久々に読み直してみると、朔太郎の“大人の狂気”にはむしろ近づき難いものを感じ、中也の“青年の錯乱”にこそ親しみ易さを感じたりするのだから、不思議なものである。こちらが少し歳をとったということかな。

2限「日本演劇史(現代)」も、ようやく今日で最終回。徹夜で作成した期末試験に取り組んでもらう。学生諸君の大半は一夜漬けで勉強してきたのだろうが、思っていたより結果がよい。彼らが答えを埋めた解答用紙を眺めていると、なんとか一仕事終えたという実感が湧いてくる。とにもかくにも、舞台業界で生きていくための最低限の教養を、これで一度は叩き込んだことになる。後は、彼らがプロになった暁にもう一度この講義を思い返して、記憶の彼方に眠っている知識に息を吹き込んでくれればいいのだが。

いつも通り仙川から川越へ移動。

4限・5限「文章表現法」。今日は佐和隆光の文章。「一般均衡」「神の見えざる手」「パレート最適」を解説することになっており、これに絡めて経済の理解を深めるためのお話を付け加える。「例えば、高校生によるブックオフへの転売目的の書籍万引きを撲滅したければ、再販制度を撤廃し出版流通の完全自由化を達成すべし」「しかし自由競争は往々にして弱者を疎外し、貧富の差を拡大させる」「それに、資本主義とて万能ではなく、恐慌やハイパーインフレのような危機を克服できない」「いっぽう、資本主義における労使の格差は生産手段の私有に由来すると考えた社会主義は、生産手段の国有化を企んだ」「なるほど、我々は生産手段を持たない。勤め先で原材料や生産設備を借り受けない限り、我々は身の回りにあるちょっとしたものすら作ることができない。実際、この教室の中で、我々が自分の手だけで作れるものが一つでもあるだろうか?」「とはいえ、社会主義は計画経済によって恐慌のような危機を克服することを目指したため、経済活動を規制し社会全体をコントロールせねばならないから、必然的に全体主義に傾きがちであった」などなど。

4限は、こういう話は非常に食いつきがよかった。授業終了後に学生S君がわざわざ、面白かった、と感想を伝えにきてくれた。「日曜は選挙だったじゃないですか。お話聞いていると、先生がどこに投票したかわかりますねー。」「えっ、でも俺、社会党にも共産党にも入れてないよ。」「いや、だからわかりますって。」……うーん、民主党に入れたのはお見通しか(笑)。気をよくして5限も同じ内容で臨んだが、こちらは失敗。柔軟に話題の持ち込み方を変えるべきであった。やりかた次第で伝わるはずなのだ、こういう話は。残念無念。

ともあれ、後期は午前中が1コマになるので、今日で1日4コマの地獄はおしまいである。我ながらよくがんばった。しかし、毎週こんなスケジュールでは、本当は無理がある。特に皺寄せがきているのは午後の川越の講義だ。こちらは、もっともっと面白く工夫できるはずなのだ。情報量をつめこむことが難しい講義なので、これ幸いと毎回簡単な準備だけでこなしてしまったが、もう少し中身の濃いことができたはず。午前中の「演劇史」の準備が大変だったので、学生たちには申し訳ないことをした。後期で挽回しよう。