いささか報われる火曜日


またしても徹夜である。そしてまたしてもタクシー通勤である。車内で予習していたら、車酔いしてしまった。仙川の大学についたら助手のA女史が「私も昨晩3時まで飲んじゃいましたよお。あははは」って、車に酔うのと酒に酔うのは全然ちがーう! ああ目が回る!

1限「身体表現法」。ウォームアップを兼ねて、5~6人で1列になり、先頭の人の動きを真似て動き回るというアクティヴィティ。合図で先頭の人間が末尾に回り、どんどん交代する。前の人とは違った、色々な動きを工夫するよう指示。前々回、ひとりひとりバラバラだと動きが固まるとわかったので、これなら動くだろうと読んだのだが、正解であった。なかなか激しいウォームアップとなった。

今日のメインは、モーション・ポエトリーの創作。石原吉郎の詩と岩田宏の詩を一篇ずつ与え(本当は鮎川信夫の詩も入れるつもりだったのだが、行きのタクシーで酔ったので選ぶことができなかった)、チーム毎にどちらかを選び、これを身体の動きで表現せよと指示。時間が残り少なかったのできちんと仕上げられたのは1チームだけだったが、なかなか美しかった。次回も今日の続きをやってもらう。

2限「日本演劇史(現代)」。ついに話は1970年代に突入。第1次オイルショック、日本の安定成長(ME化による生産効率の上昇)、三島由紀夫の自決、連合赤軍のあさま山荘事件、日本赤軍のハイジャック事件、ダッカ事件などを解説。70年代は政治的には60年代のツケが一気に噴出した時代であり、70年代文化は、若者の政治的挫折を基調としている。つまり、学生運動が敗北した挫折感を想像力で埋め合わせるかのごとく、ATGの映画、アングラ演劇、マンガといったサブカルチャーが数々花開いたのだと説明。演劇の場合は、つかこうへいの登場を以て時代の転換と捉えるのが常識である。だが、演劇より以上にこうした時代精神の変貌が明瞭に刻印されているのは、フォークソングであろう。そこで、中津川フォークジャンボリーを追体験してみよう!ということで、CDデッキで高石友也の「受験生ブルース」、加川良の「教訓Ⅰ」をかけ(岡林信康はちょうどいいものを調達することができなかった。残念)、「あっ、サブステージに拓郎が!」という感じで、吉田拓郎「人間なんて」ライブ・バージョンをかける。拓郎絶唱。少しは、臨場感を味わってくれたかしらん。そして70年代ミーイズムの帰結として、最後に井上陽水「傘がない」を紹介(CDを忘れたから自分で歌った。私は、カラオケで酔いが回るといつも中島みゆき→井上陽水→中島みゆき→井上陽水→……というループに突入するのだ)。今日の講義は、ようやくまとまった感じでやれたと思うのだが、なんともう来週は最終回である! 今さら形ができても遅いっての、自分! 毎度まとまりがないのに、熱心についてくる学生が何人かいてくれたおかげで、かろうじて成立した講義であった。来年度は、もっと整理された内容にしたいものだ。

午後の川越の大学は、相変わらず私が説明をしているときはやかましいが(もう一々注意するのが面倒で放置している)、作文を書く段になると、皆それなりにきちんと作業をするようになった。この調子で1年乗り切れば、熱心に取り組んでいる連中は、文章を書くことがそれなりに得意になるかもしれない。がんばれ!