「YES オノ・ヨーコ展」を見に行く。


「YES オノ・ヨーコ展」を見に、東京都現代美術館へ。

おもちゃ箱をひっくり返したような、諧謔精神と批判精神に満ちた、実に愉快な作品群である。これだけ楽しめる展覧会はなかなかない(来週いっぱいで終わってしまうので、未見の方はお見逃しなく)。オノ・ヨーコは、ジョン・レノンのパートナーであるという以前に、フルクサスの名に恥じぬ立派な前衛芸術家であったことを確認した。はっきり言って、私はビートルズの楽曲より彼女の作品の方が数段優れていると感じた。

展示されている中では、インスタレーションが最も見応えがある。モダニズムの極北において芸術作品というフレームを解体するという課題に、彼女はマチエールを〈透明〉にしてしまい、そこに〈光〉を導入することで応えている。作為的なリリシズムを排除することで、却って、空間にリリカルな気が満ちる逆説。そこに日本的な感性を見出すこともできよう。ともあれ、こうした透明感が彼女の作品の特質であったと初めて知った。とりわけ、吹き抜けに設置された「モーニング・ビームズ」には感動した。

それにしても、土曜日に来たせいか、人出が凄まじい。瞬く間に人だかりができてしまうので、鑑賞を諦めた作品もいくつかあった。オノ・ヨーコは、芸術作品を〈消費〉してしまう態度を痛烈に批判しているのだが、皮肉にも、その批判的芸術を大勢の若者(それもなぜか女の子が多い)が〈消費〉している、という風にしか見えない。これは作家自身が抱えた矛盾の反映なのではあろう。しかし、ビートルズが人気を博していた時代ならそこに矛盾はなかったのかもしれない。あるいは、矛盾することを承知の上で、ぬけぬけとマスメディアに登場してラブ&ピースを主張する態度が若者にウケていたのかもしれない。だが今のように保守化が進んだ時代にあっては、矛盾は矛盾にしか見えない。少なくとも私は「ヨーコへの共感を示す若い世代に希望を見た」などと空々しいことは書けない(別に誰かがそう書いているわけではないが)。良し悪しを言うことができず、反抗したり反逆したりすることができず、ただ無力なだけの若者の群れが、テレビで見たことのある「主張」のありそうな女性アーティストの作品を見にきて、にこにこ笑っている。なんだこれは。

ただ見方を変えれば、一般大衆がそれと気づかず迂闊にもあのフルクサスの芸術に触れてしまうというのは、それ自体愉快なハプニングだと言えないことはない。――いやいや、偉そうなことを言っている場合ではない。私自身、ついついグッズ・コーナーでオノ・ヨーコTシャツを2着も買ってしまった。まさに「消費」! アンディ・ウォーホール万歳!(唐突だが!)