今朝、雑誌『演劇人』に掲載する30枚の鈴木忠志論を脱稿。それなりに読み応えのあるものに仕上がったと思うのだが、その代わり、今日の授業はガタガタだった。

「身体表現法」は、簡単なコンタクト・インプロヴィゼーションをやらせてみたかったのだが、これは全くうまくいかなかった。そもそも音楽専攻の学生諸君は、音楽に合わせてのびやかに身体を動したいとは、ちっとも思っていないようだ。それよりはるかに羞恥心の方が勝ってしまっている。しかし、そこでいつもなら途中で発想を切り替えて学生に合わせたエチュードを工夫するところだが、今日は全然ダメだった。もっと具体的な動きを指定するフレームを作るしかあるまい。作戦を立て直すぞ!

「日本演劇史(現代)」は、映像を紹介するつもりだったのだがきちんと準備できず、中途半端なものになってしまった。60年代前半に演劇史の画期を開いた戯曲として、福田善之「遠くまで行くんだ」と別役実「象」を紹介し学生諸君にリーディングしてもらったのだが、アルジェリア解放闘争も安保闘争も原水禁もイメージできない世代に、これらの作品の意義を私の説明だけで理解しろというのは土台無理な話で、映像資料はどうしても必要だったのに。無念である。次週、少しでも巻き返したい。

「文章表現法」は、今日は課題文の内容にはほとんど触れず、小論文の基本形式を伝授し、これに従って文章を組み立てる作業に終始。一部だが、毎回嫌がらず作文に挑んでいる学生は、徐々に文章力を向上させていることに気がついた。実験的な授業なのだが、多少の効果がないわけではないようだ。毎週一つ作文を書くなんて、よく考えればハードな授業だと思うが、学生諸君は予想したよりがんばっている。もっとも、本当にタチの悪い学生は顔を出さなくなっている。彼らが大学に籍を置いているのは時間とお金の浪費でしかなく、大人になる機会を逸してしまっている。どうするんかねえ……。

帰宅したら、テレビでロンブーが相変わらず、どこにでもいそうな若者をいじっていた。火曜の夜は、もう若者の姿は見たくない。お腹いっぱいなのである。