過剰労働の火曜日


1限、桐朋短大音楽専攻科「身体表現法」。今日は6チームにわかれ、「夏」というお題で音の風景(サウンドスケープ)を作ってもらったが、さすがに音楽専攻だけあって完成度が高い。なかでも「高原の夏」を表現したチームは凄かった。リコーダー(かな?)が鳥の鳴き声を、チューバ(かな?)が牛の鳴き声を奏で、鈴の音が朝ごはんをねだる猫の動きを表現し、パイプ椅子が床をこする摩擦音はお父さんの芝刈りに変貌する(オーディエンスは目を閉じて鑑賞するので、本当のところはよくわからない)。これらが、淡々とした女の子のナレーションとともに進行するのだ。実に爽やかで、見事な出来栄えであった。また、「夏祭り」をやったチームも、最後は打ち上げ花火の音でしめくくり、風情があった。「た~まや~」の掛け声があれば完璧だったのだが。この授業は、常に、創造行為の原点に立ち返るようなワークショップを工夫しているつもりである。

2限、桐朋短大演劇専攻科「日本演劇史(現代)」。GHQの占領政策の転換(いわゆる逆コース)から、中華人民共和国成立、朝鮮戦争勃発、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印、55年体制成立と、1950年代の社会状況を概観したうえで、哲学者・菅季治の自殺を招いた「徳田要請問題」を解説し、最後に木下順二の戯曲「蛙昇天」第2幕を、学生諸君に音読してもらう。主人公シュレとその恋人ケロを演じた2人がなかなか味のある演技を披露してくれて、面白かった。木下順二御大が手本を示してくれているように、本来、政治的緊張感の中で搾り出すように台詞を生み出すのが、戯曲というもの、演劇というものの醍醐味ではあるはずだ。学生諸君には、そのことを再発見してもらいたいのである。来週あたり、ぶどうの会が上演した「蛙昇天」を若き日に観劇した際の感想を、蜷川幸雄学長に喋ってもらうつもりなのだが、来てくれるかな。

午後の4限5限は、尚美学園大学総合政策学部「文章表現法」。前回扱った「経済格差と学力格差」というテーマを再考させるために、「大手出版社と零細下請け編プロとの落差」を身も蓋もなく暴露した、故・青木雄二のエッセイを配布する。本当は「搾取」という概念を詳しく説明したかったのだが、ここの学生はそこまで突っ込んだ話になると沈没して居眠りを始めてしまうので、禁欲して、毎度の文章指導で締め括った。

こんな1日を毎週毎週繰り返しているのである。吉祥寺に帰ってくる頃には、もう腰が抜けそうである。