19歳と33歳


連休最終日、目下準備中のユニットであるSAND(Social Artists Network for Democracy)の企画、DVDマガジン・パイロット版のコンテンツとして、歌舞伎町のルノアールでI嬢(と書くと、田中康夫っぽくていいな。いやよくないか)による「大岡インタビュー」を敢行。I嬢は、落ち着いた構えでありながらアグレッシヴな攻めの姿勢を忘れず、なかなか刺激的なやりとりができたような気がする。私は、本格的に映像媒体に取り組むのはこれが最初の経験といってよいが、きちんと形にすることができれば、「反テレビ運動」の一形態になるかな、と考えている。

ちなみにI嬢は、映像を学ぶ19歳の若者である。私が19歳の頃はといえば――1年浪人した後に大学に入り、しかしキャンパス・ライフには何の期待も抱かず、浅羽通明、大月隆寛、オバタカズユキ、呉智英といった知識人諸氏の周辺にゴロツいて、彼らに憧れ、時に雑用を引き受けながら、多くのことを学んだ時期であった。思えば、私は既に当時の浅羽氏や大月氏の年齢に達してしまっているのだ。そう考えると、今さら己の不甲斐なさを反省するなんていう殊勝な態度をとる気は全くないのだけれども、しかしやっぱり彼らの知的体力は相当なものだったなあと思い当たる。

だが大学3年(21歳)の折、私は彼らの「地に足をつけろ」というアジテーションに反発を覚えるようになった。大きく見れば彼らの思考の型は「個と全体が相互媒介を経て調和するヘーゲル的な全体性」の埒内にすっぽり収まってしまうじゃないか、と、いささかトンチンカンな総括をして、そうした枠組の「外」へ出なければダメだと勢い込んで思い切った飛躍をなし、就職を諦め演出家を名乗り、前衛芸術家の戦列に加わったのである。今振り返れば、確かにそれで浅羽氏をとりまいている、劣等感の強い亜流インテリの群れの「外」に出ることはできたものの、一方この国の現状で前衛芸術が社会的影響力を発揮するなどということがありうるはずもなく、それはつまり前衛芸術という別個の業界の「内」に入ることにしかならなかった。滑稽な軌跡であるが、日本社会に生きる限りどこもかしこもタコツボなのだ。今さら言うまでもないことではあるが、当時の私は無我夢中で気がついていなかったのだ。

そういえば、大学4年(22歳)のときに、今や売れっ子の評論家となった東浩紀氏に出会っている。彼は当時から思想のタコツボ化に警鐘を鳴らしており、タコツボに穴を穿って風通しのよいネットワークを構築することを目指していたようである。ただ彼はそれを、彼個人の活動範囲を多ジャンルへと拡大し、同時に、面と向かってタコツボ知識人を罵倒するという、徹頭徹尾「自分」を中心に置いた方法によって貫徹しようとしていた。ネットワークの構築は大いに結構なのだが、そういう試みは一種の社会運動として同時多発的に展開しない限り有効性を持ち得ないと、今の私は判断する。少なくとも、彼がまるでサルトルのような突出した「個」と化してパフォーマンスを繰り返し人々を惹きつけたところで、それはそれで東ブランドという新しいタコツボを拵えることにしかならず、悪循環から抜け出せないではないか。翻って、社会運動を成立させるには、メンバーが共有できる明快なメッセージが必要である。タコツボに穴を穿ち多様なネットワークを構築するというのは、聞こえはいいが単なる手段に過ぎない。その手段を通して何を目指すのかが明快に提起できない限り、どんな運動もエセ運動に終わってしまうだろう。

ともあれ、学生時代の私にとって東氏は、浅羽氏や大月氏のもとを離れたために生じた不安感を払拭してくれる、実に爽快な存在であったことは事実である。「地に足をつけつつ、抽象的で難解なことも考えなきゃダメだ。そんなのは当たり前のことだ」と彼が言い放ってくれたので、私はずいぶん救われた。

では今はどう考えているかといえば――この大衆社会においては、思想も芸術も、いずれも狭小なタコツボを脱け出ることはできない。しかし、だから「地に足をつけろ」といったところで、その「地」とやらはどこにあるのか? 浅羽氏や大月氏は「とりあえず会社に就職しろ」と言っていたが、だが企業戦士として産業社会にコミットところで、それもまた専門化=分業化=機械化によって分断されたタコツボのひとつに身を置くことにしかならないだろう。企業というのは特定のマーケットを対象にしているからこそ商売が成り立つのであって、その意味ではサラリーマンもまた、限定された専門性に邁進する「おたく」ではあるのだ。とすると個人が独力で「おたく」の閉塞を突破し社会全体と関わりを持つことができるとすれば、それは巨大コングロマリットの経営者か、財務省の事務次官か、総理大臣か、政財界のフィクサー(それもロックフェラー級)か、そんな立場に出世する以外にないだろう。つまり、「地」は幻想なのだ。

否、歴史を遡れば、各自のタコツボをぶち壊して多種多様な生活者が出会い、互いの生き様をさらし、労働の内(ビフォア5)と外(アフター5)とを融通無碍に往還しながら、共に連帯し行動するような機会が確かに存在したのかもしれない。すなわち、敗戦直後、再建された産業社会のただなかに出現した労働運動の現場――それこそが、本来「知」を着地させるに足る「地」ではなかったか。しかし、この「知=地」に「血」を注ぎ込むのは、階級意識に他ならない。浅羽氏も大月氏も、また立場は違うが東氏も、かつて存在したが今は消え去った、階級意識の残像を追い求めているような気がしてならない。その残像を埋め合わせるべく持ち出されるのが、例えば浅羽氏であれば「世間」であり、東氏であれば「ジャーナリズム」であるということではないか。

なるほど、戦後の労働運動が前提としていたような階級意識は消滅したのだろう。しかし、実体としての階級もまた消滅したのだろうか? 私はそうは思わない。大衆社会の見かけの下で、目には見えずとも階級が潜在し存続する限り、「知=地=血」が一致して力を発揮する可能性もまた消え去りはしない。「一億総中流」もまた幻想であることを実も蓋もなく暴露してくれたという点で、私は小泉純一郎に感謝している。SANDは、階級社会の本質が露呈する酷薄な時代を見据えた、無数の運動体のひとつとして構想されている。そのメッセージはずばり「民意の向上」である!

さて、そんな具合に舞い上がる私を冷ややかに見つめるI嬢の目には、どんな未来が映っているのだろうか?