長年続いた商品劇場ウェブサイトをとうとう閉鎖することにしましたので、代わりに、ブログを始めることにしました。私、大岡淳の日々の雑感を、さして力みもせず、ゆるゆると綴っていきたいと思います。

それにしても、商品劇場ウェブサイトでも「東京クリティーク」という日記をつけていたのですが、フリーランサーとしてはなかなか難しいところがあって、「あっ、こいつ原稿書くのサボッて今日映画行きやがったな!」とかバレてしまうので、日付をごまかしたりとか、けっこう大変なのです。もちろん仕事をするのが遅い自分が悪いのですが。

まして今年は、90分1コマとすると、週に10コマをこなす非常勤講師稼業に邁進しており(大学・高校・予備校と請け負っており、とりわけ大学の講義は、色々な意味で大変です)、そうそうボリュームのある文章を更新するわけにもいかないと思います。しかしまあ、のんびりとおつきあいいただければ幸いです。

ところで以前は「日本で演劇をやるのは辛い。しかし海外ならば……」などと考えていましたが、最近は「日本でも海外でも、演劇、いや演劇のみならず芸術というものがそもそも、エリートのための文化なのだから、別にあってもなくても構わない」というふうに、考えが変わってきました。ただし、あってもなくても構わないのなら、あった方が人生は少しだけ豊かかも、という判断は変わらないのですが。

教育産業に身を置いていると、「教育は必要か不要か?」などという議論が生じませんので、芝居をやっているときより精神的にはラクです。教育とか福祉とか医療とか、そういう業種は存在理由がはっきりしていていいですね。しかし、一般的なビジネスになると、本当は存在理由なんて無いに等しいでしょう。芸術がそうであるように。

ただ、一般的なビジネスの場合は「なぜ必要か?」と聞かれれば「限られた顧客のため」「自分らが食っていくため」と居直ってしまえば話がすむのですが、日本の芸術家は「一部の人たちのため」と答えることはめったになく、たいてい「分け隔てなくみんなのため」なんて答えるので、それは矛盾だ、といじめられてしまうのですね。本当は芸術ほど人を選ぶものは他にないのですが、階級格差の見えない大衆社会が成立してしまったため、芸術の存在意義が宙に浮いてしまった格好です。