俳優&パフォーマー経験を総括する。


「私は海をだきしめていたい」ココリス版、同・河合塾COSMO版、そして「声の漬物シリーズ1」のシアターピースと、3公演を「出演者」として無事にこなすことができた。この間の経験から得たものを、簡単に総括してみたい。

私は、80年代小劇場における「劇作家=演出家(=主演)」などという1人2役・3役体制を批判して登場した演出家で、これまで自分が演出する場合、戯曲を書いたり舞台に立ったりすることは、基本的には禁じ手としてきた。そのような必要が生じた場合でも、飽くまで軸足は演出という行為に置いており、執筆した戯曲は演出の方針に沿って惜し気もなく改変したし、出演する場合も「同時に演出家でもある」ことが明示されるメタフレームを設定して、そこから逸脱しないように慎重に振舞ってきた。つまり、徹頭徹尾演出家という立場にこだわることによって、演出行為の独自性とは何であるかということを、自分なりに提示してきたつもりではある。簡単に言えば、時間と空間の枠組をデザインし、そこに人間(俳優)を適切に配置するのが演出という仕事であろう。

余談であるがここから顧みた場合、新劇というジャンルにおける演出行為は、俳優の演技のデザイン(それも写実的な)に特化してしまっており、時間のデザインは脚本に依存しており、空間のデザインは劇場機構および技術スタッフのコンベンションに依存している。結果として、現代芸術としての最低水準の美意識をクリアできず、老人たちが昔を懐かしむ物語を提供することしかできていない(むろん若者を熱狂させれば良いというわけではないが)。その割には、新劇業界の人々は演劇を「芸術」と規定することが多い。あれは一体何なのか。じゃあ「芸術」って何なのか、教えてもらいたいものだ。粟津潔や横尾忠則がアングラに同伴したという時点で、新劇は既に「芸術」であることに敗北しているのだが、なぜ当人たちはそのことに気づいていないのか。むろん、新劇の遺産の中には、確かに「芸術」と評する他ないような傑作も存在する(そのことに気づきもしていないのが、小劇場演劇人の決定的に駄目なところだ)。だが、自堕落に新劇を継承する限り、その遺産を現代に活かすことは絶対に不可能である。

閑話休題。演技を構築する方法論については、私は独自のスタイルを確立できなかった。いや、確立できなかったというより、敢えて確立しなかったのだ。「商品劇場」を旗揚げした92年当時、私は大田省吾氏の方法論を自分なりに応用していた。あれをそのまま徹底して洗練させるというやりかたもあったはずだが(そしてその方が観客にはわかりやすかったはずだが)、94年に黒テントと出会い、そこで即興的なエチュードから芝居を構成する方法にも魅せられ、演出のスタイルはどんどん変えていこうと決めてしまったのである。ピカソがそうであるように、西洋の優れた芸術家は固定したスタイルに安住しない。自分もそれを真似ようと、愚直に考えたのである。

特定のスタイルに固執せず、作品のコンセプトに従ってスタイルを決めるという私の演出方針は、独自のブランドを確立して持続的な集客をおこなうことを不可能にしてしまった。また、固定したメンバーを集団として抱えることも、当然ながらできなかった。一つの演技法を深めるというやりかたを取らないために、私の演出は、表現方法について浴びせられる批判は毎回同じ内容であった。曰く「方法論が不足している」「身体性が欠如している」「演出家のコンセプトが先走りしており、俳優には理解が足りない」等々。ついでに、表現内容に対する批判も毎回同じである。こちらは「難解だ」の一語に尽きた。

表現内容については方針を転換し、原則として国外のテキストは扱わないことにした。国外のものであるというだけで、観客は「難解」というバリアーを張ることができる。よくよく観察してみると、「難解」と罵られているのは我々だけではない。新劇の芝居ですら「やっぱり外国人の名前は覚えられないわねー」などという感想をもらす観客は、いくらでも存在する。そういう頭の悪い観客は切り捨ててしまえばいいという気もするが、こちらが多少条件を変えるだけでその手の逃げ道が封殺できるなら、それは妥協の範囲内だ。そう考えてここ数年、自分で立てた企画は自分で戯曲を書くか、日本の古典的テキストを選ぶか、どちらかにしている。これは既に、手応えを感じている。少なくとも「難解だ」という感想はずいぶん減った。

問題は表現方法で、こちらは独自のスタイルを確立することを頑なに拒み続け、最近ではとうとう、ほとんど俳優の自発性に委ね、ただ形だけを整えるというやりかたに変化した。「何をやるか what to do は俳優が決める。演出家である私は、どうやるか how to do についてのみ関わりを持つ」というのが、ここ数年の指針である。特に若い人たちと芝居を作る場合、多くのメンバーが全力投球で臨んでくれるので、この指針を貫けばそれなりのレスポンスが得られ、結果として「俳優に理解が足りない」という批判はほとんど聞かれなくなった。余り大きな声では言えないが、プロの俳優さんという人種は、物を考える習慣を身につけずに育ってきているから、若い俳優の卵たちと比べれば、実り豊かな共同作業をおこなうことは困難なのだ(もちろん例外は存在する)。思えば、本来学校で習っておくべき基礎知識を、私が延々と稽古場で説明するようなことが幾度もあった。もっともそのおかげで、桐朋短大で講義までやれるようになったわけだが(私の講義のスタイルは、本来は稽古場で培ったものなのだ)。これからは、私より若い世代の俳優さんの中から優秀な人材を抜擢すれば良いので、これまでよりキャスティングはずっと楽になるだろう。残る批判は、「方法論が不足している」「身体性が欠如している」という類である。

今回、長年守ってきたルールを破り、自分自身が出演しフロントに立つという決断をしたのは、大学で講義を持っていて「演劇を教える」ということの嘘臭さを痛感し、これに自分なりの決着を与えたかったからだ。むろん、大学の講義を他人に譲る気はない。今のところ、この仕事を私よりうまくできる人材は、この国には存在しないからだ。しかし、やっぱり嘘臭いものは嘘臭い。先生と学生という権力関係が、試演会のような場で、そのまま演出家と俳優の権力関係にスライドしてしまうのも、何か根本的に間違っているような気がしてしまう。だいたい、なぜ芝居に携わるのに「単位」などというものが必要なのか。では、仮にこうした権力関係を全て取っ払って大学や専門学校を運営し、それでも学生たちが立派な俳優に育つかと言えば、情けないことに過半の学生にとってそれは不可能だ。他人様から叱ってもらわねば独り立ちできない若者が、数多く演劇業界に流入している。しかしそれを「教える」「育てる」側の演劇人たちも、所詮は社会常識の欠落した、アウトサイダー気取りのナルシシストばかりではないか。私もその1人なんだけど。

そこで私は、敢えて禁を破って自分が俳優として舞台に立ち、若い俳優の卵たちと、同等に批判し合える場に身をさらそうと考えたのである。「先生-学生」「演出家-俳優」という権力関係を自ら打破する手段として、それ以外のやりかたを思いつくことができなかったのだ。ともあれ、今若い人にとって必要なのは、彼らの身近にいる年長世代である我々が、「身をもってやってみせる」ことではないだろうか。頭で考えるだけでなく、体も動かす。そこまでやらなければコミュニケーションが成立しないところまで、現在の日本人は追い詰められているということかもしれない。

実際に俳優をやってみて気がついたこと。これまで私は、俳優に対して「こうやって動け」などと指示して、演技を外面から規制するということを、これまた原則として禁じ手にしてきた。つまり、俳優に対して何か要求がある場合はひたすら言葉で説明して、その俳優の内発性を媒介とする造型を心がけてきた。それはそれで理想的だと思うのだが、やはり理想的に過ぎたかな、と今回初めて反省することとなった。「方法論が不足している」「身体性が欠如している」という批判も、今回は聞かれなかった。それは、私という俳優が高い技術を持っていたり、身体的なプレゼンスが強かったり、ということでは全くない。ないのだけれど、ただおそらく私が身をもって触媒となることで、共演者である若い女優さんは、テキストが体現するコンセプトに接近することが容易になったのではないだろうか。その結果、「こいつらはみんな確信犯だな」と観客に感じさせる強度を、作品が獲得することとなったのではないだろうか。

今後は、また俳優としてパフォーマーとして、舞台に立ってみたい。もっとも「劇作家=演出家(=主演)」という小劇場方式と同一視されるのは避けたいので、「集団創作」のような方法論でも模索すべきかもしれない。ともあれ、演出という枠組に固執し理想論を徹底するよりも、いかがわしくフレキシブルに動き回って若い俳優たちを刺激し、こちらも色々教えてもらって、ダイナミックな現場を組織してみたいものである。これは、非常に大きな心境の変化である。