今日もまた芝居を終える。


「私は海をだきしめていたい」河合塾COSMO版、無事終了。今日1日の流れ。

朝9時、コスモのスタッフYさんがワンボックスを運転して、大岡宅に迎えに来てくれる。道具の積み込みをおこない、津島裕子と同乗し、一路コスモへ。これが業界用語で言う「乗り打ち」ってやつか!などと言いつつ、改めて今日は芝居をやりに行くんだなあと実感が湧く。

11時、仕込み開始。コスモ生しほちゃんに助けてもらって、教室を即席の小劇場に改装する作業を開始。まずは、窓に銀マットを貼り、さらにその上から暗幕を貼って、二重にして遮光。次いで、ありものの灯体である、100w電球をつけたクリップライトを設置。ちょうどシーリングの位置にクリップを固定できる隙間があったので、薄暗いけれども、なんとか地明かりを作ることができた。まあこんなもんだ。12時半、代々木駅前のパン屋さん「神戸屋」のゆっきー姐が、ランチ販売の巡回に来たので作業中断。

午後、コスモ生めぐみちゃん、卒業生しょうた君、そして津島姉が助っ人で駆けつけてくれた。河崎さんも到着したので、全員で残りの設営作業に着手。教室内の机と椅子を廊下に撤去し、コントラバス演奏用のピットを設営。続いて客席を設営。花道に出るための袖を、パーテーションで設置。舞台上に道具を設置。津島・大岡は、会場のあちこちにとりつけたクリップライトの配線作業。午前中の努力の成果がここでようやく確認できた。完全暗転、とは言わないまでも、97%暗転が実現したのである。ブラボー!(私は舞監さんのやる仕事って、どれも大の苦手なのである。それでもここまでできたんだから、喜んだっていいだろうが。素人と笑わば笑え。このプロ気取りの、エセ演劇人どもめが。)

津島妹と津島姉は、一足先に衣裳の着付けを始めてもらう。全ての作業が終了しスタンバイできたのは3時過ぎ。急いで開演から終演までの段取りをみんなに説明し、GP開始。開場10分前にGP終了。表の事情で開演がおしたので、約20分のインターバルを挟んで、3時10分に本番開始。予定通り、3時40分に終了した。大きな拍手を頂戴した。とても照れ臭かった。

バラシは、予定通り約1時間で終了。しょうた君、しほちゃん、めぐみちゃんとお別れし、観客として立ち会って下さった生物のY先生、英語のY先生、教務のSさん、Kさん、そして我々出演者3名+津島姉というメンバーで打ち上げ。先生方の話が、さすがにベテランの人気講師だけあって面白く、賑やかに盛り上がった素敵な打ち上げであった。有益な感想もたくさん貰ってしまった。皆さんどうもありがとうございました。

アンケートを取ったのだが、ココリスのときとはまた一味違った感想がもらえて面白い。ダメ出しも色々あったが、概してオトナの皆さんは、思わず自分の人生を振り返ったようである。そういう味わい方ができるのが、この芝居の良いところなのであろう。現役コスモ生の諸君はどうだったのだろうか。私としては、コスモ生に対しては次の一節をメッセージとしたつもりである--もう私は幸福などは願わない、これからは甘んじて不幸を追い求めればよい、しかしその実私は、不幸も幸福もよく知ってはいない……。

とはいえこちとら、おっさんの人生観を若者にわかってもらおうなんて、一つも思ってやしないのだ。どう感じようが君らの勝手さ。なんてね。

ひとつ気がついたことがある。私が商品劇場時代、「若者」という観客層を相手に、苛立ち、歯噛みし、憤りながら悪戦苦闘を重ねてしまったのは、自分もまた「若者」だったからだ。しかし自分が歳を重ねれば、自然と観客層も「若者」から「大人」へとシフトしていく。これによって、ずいぶんと救われるところがある。これからは、今回のような「大人の鑑賞にたえうる芝居」を作っていきたいものである。「若者の感性」なんぞ犬にでも食われてしまえ。今私が関心を持つのは「人生の機微」と「社会の構造」と、その二つである。いや、本当はこれまでだってずっとそうだったのだ。脱「若者」、脱「青年」という自分自身の資質を、私は自分もまた若かったが故に、見失っていたようである。思えば「若者」は「青年」は、常に近代社会を構成する原動力となってきたが、同時に、近代社会を自滅させる危険分子でもあり続けてきた。そして近代演劇というジャンルは、シェイクスピアの「ハムレット」を御丁寧に踏襲するかのごとく、往々にして「若者」「青年」の同調者であり、理解者であり、代弁者であった。私はここに違和感を覚える。今回、敢えて戯曲ではなく小説を劇化するという方法を選択したのは、この違和感の故であったと、改めて気がついた次第である。