普通劇場『じぱんぐ零年』通信第5号


 

普通劇場パフォーマンス『じぱんぐ零年』を深く楽しむためのエッセイ

日本経済から見た2011年

 

私が今年を振り返って思うのは、既に日本は滅亡に向けて坂を下り始めたということでして。まあそもそも、移民に頼らねば経済規模が維持できないという時点で、文明としては危機的だと思います。古代ローマ帝国がそうでしたね。ゲルマン民族の大移動が始まり、東西ローマ分裂、西ローマ滅亡と続くわけです。現代は、人と物と金と情報が、国境を越えて行き交う時代ですが、こうなると、国内で需要と供給が噛みあって経済成長を達成する、大塚久雄が言うところの「国民経済」が成立困難になる。優秀な人材は国外に流出し、どんどん金を稼ぐ一方で、国内に滞留する労働力は、低賃金を物ともしない外国人労働者との競争に突入させられる。かくして格差は拡大し、国家としての一体感が毀損される。その反動で、外国人に対する敵意をむきだしにする「草の根」における排外主義が、今後ますますウイルスのように蔓延することになるでしょう。

震災、原発事故に続いて、TPP、増税。原発事故を引き起こした東京電力が象徴するのは、山本義隆先生が『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)で指摘されている通り、国家主導の社会主義的経済政策の産物だということです。原発は55年体制下、低価格によるエネルギーの安定供給を確保しようとした「国民経済」にとって、夢のような存在だったと言ってよい。広瀬隆は、建設された原発の数と、越山会の国会議員の数が比例していると指摘したことがありますが、確かに、田中角栄型の公共事業の一環として、原発が日本中に作られたという面はあるでしょう。ところが、今は当の「国民経済」が解体し始めている。考えてみれば、年々日本経済の外需依存が強まり、企業は生産拠点を海外に移転させねば競争に勝てないと言われている時代に、原発に固執する理由など消え失せたのではないでしょうか。だからこそ、「国民経済」を解体する「構造改革」を唱えた小泉純一郎は、福島原発事故後「脱原発」を支持したのだと思います。

従って、2011年の危機を日本経済という観点から考えるとすれば、55年体制下の「国民経済」を象徴する電力エスタブリッシュメントが、原発事故によって自壊し始めた一方、輸出産業の海外移転による空洞化の進行が、「節電」によって加速した年だということになるでしょう。また、TPP参加表明によって、米国企業の日本進出に対して国内産業の保護を放棄して出迎えるという、昭和恐慌直前の金解禁にも似た、アメリカン・スタンダードの強制が宣言された年でもあった。つまり2011年は、強い企業が「国民経済」の束縛から離脱を遂げ、弱い企業が「国民経済」による保護から放逐された年ですね。そしてこうなると必然的に、国家財政の弱体化は増税によって補う他なく、これは国内市場でしか商売が成り立たない「弱者」をますます圧迫し、国内のデフレ・スパイラルに歯止めはかからないことになる。来年はいよいよ失業が社会問題化する年になるのではないかと予想します。

あるいは、我々が独立した主権国家として「国民経済」を維持してきたというイメージ事態が、幻想だったのかもしれません。しょせんは極東の島国である日本は、常に覇権国家に従属しながら、従属国の優等生として相対的な独立性を保ってきたというだけで、実質的には「日本」というより「じぱんぐ」に過ぎなかったのかもしれません。

 

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